(17)


頸に千本を打ち込まれて倒れた大蛇丸とそれを投げたカブトとを、イタチは半ば呆然と見やった。
「…何をした?」
歩み寄ってきたカブトに、イタチは訊いた。
「殺してはいないよ。薬で眠っているだけだ」
言って、カブトイタチの腕に手をかざし、チャクラを送り込んで傷の手当てをする。
「……俺は良い。それより…サスケを__」
「頼むから動かないでくれ」
言葉の割に鋭い口調で、カブトは相手を制した。
「すぐに止血をする」
言ったカブトを、イタチは間近に見つめる。
「何故……だ?大蛇丸が蘇生したのなら、お前にはその方が……」
イタチの言葉に、カブトは怒っているのか哀しんでいるのか判らない奇妙な表情を見せた。
そして、言う。
「どうしてこんな事をしたのか、僕にも判らないよ__ったく……」
ただ、と、カブトは続けた。
「君が殺されようとしているのを、黙って見ていられなかった……」
「__カブト…」

カブトはイタチを見たが、何も言わなかった。
言うべき言葉が見つからなかったのだ。
イタチの出血を止め、傷を塞ぐと、カブトはそのまま大蛇丸に歩み寄った。
変化が解け、今はサスケの姿になっている。
肩から胸にかけての肉は鬼鮫の鮫肌に削り取られ、複数の千本を頸に打ち込まれて倒れる姿は凄惨だ。

「……助かるのか?」
心配そうなイタチの問いに、大丈夫だと答えかけてカブトは口を噤んだ。
それから、「助けるさ」と言った。
次に覚醒した時、この身体を支配しているのが大蛇丸であれば、自分は間違いなく殺されるだろう。
だが音の里の存続の為には大蛇丸の存在が必要だ__それが、大蛇丸自身であれ、サスケの変化であれ。
この里が崩壊し、己の居場所を失うのを手を拱いて見ていたくなければ、大蛇丸を眠らせたままサスケを助けるしか無い。

サスケの身体の上に手をかざし、チャクラを送り込んで細胞を修復しているカブトを、イタチは黙ったまま見つめた。
やはり月読は不完全だったのかと思うと、口惜しさに歯噛みしたい気持ちだ。
何より、大蛇丸に復活する機会を与えてしまったのが、自分がサスケを受け入れてやらなかったせいでサスケの精神が不安定になった結果なのかと思うと、悔やんでも悔やみきれない。

暫くの時間の後、カブトはサスケの上にかざしていた手を下し、深く溜息を吐いた。
「……どうなんだ?」
「傷は塞いだよ。千本に塗った薬の作用で、暫くは眼を覚まさないけれど」
カブトの答えを聞いたイタチは、覚束ない足取りで何とか鬼鮫に歩み寄った。
急所は外れているものの剣で身体を貫かれた鬼鮫は、その場に横たわったままぴくりとも動かない。
身体の下の血溜まりは広がる一方だ。
「鬼鮫を…助けてくれ」
「無理だよ」
イタチの頼みを、カブトは言下に拒んだ。
「君とサスケ君の手当てでチャクラを使いきってしまった。これ以上は、無理だ」
「…ならば他の医療忍に__」
「こんな状況を他の者に知られたらどうなると思う?」
カブトの言葉に、イタチは幽かに唇を噛んだ。
激しい眩暈がして、意識はまだ朦朧としている。
「……サスケを大蛇丸の寝室に運びこみ、怪我をしたのは鬼鮫だけだと思わせれば良い。大蛇丸の不興を買って罰を受けたが、治療する許可は受けた……と」
「僕自身が治療しない理由は?それに負傷者が一人なのに何箇所にも血が飛び散っているのは不自然じゃないか?」
「……それが大蛇丸の命令なのだと言えば、部下たちはそれ以上、聞き質さない筈だ。それに綾乃たちならば、眼の前に重症の負傷者がいれば何より治療を優先し、他の事になど眼を向けないだろう」

カブトは改めてイタチを見た。
流石に、こんな時でも冷静だと思う。
そしてカブト自身も、冷静さを取り戻していた。

「残念だけど」
そう、カブトは言った。
「この男は音の里に取っても僕に取っても必要な存在じゃ無い。むしろ邪魔者だ。それを助けなければならない理由は、僕には思いつかないよ」
「お前は……」
イタチは、言いかけた言葉を噛み殺した。
大蛇丸に殺されかけた自分を助けたとは言え、カブトは味方なぞでは無いのだ。
だが、カブトに頼らなければ、鬼鮫は救えない。
「……何が望みだ…」
カブトから視線を逸らし、死に掛けている鬼鮫を見やりながら、低くイタチは言った。
「別に…僕は取引を持ちかけている訳じゃない」

言いながら、こんな機会は二度とないかもしれないと、カブトは思った。
図らずして、イタチのかつての恋人は自分の『捕虜』となったのだ。それに今のこの状況ならば、サスケの生命を握っているのも自分だ。
それが何を意味するのか、イタチも良く判っているだろう。
眼鏡の位置を正し、カブトは改めてイタチを見た。
苦悩に眉を顰めた横顔は憂いを帯びていて、手を差し伸べて触れたくなるくらいに美しい__笑えばもっと美しいのだろうが。

「…でも君がどうしてもその男の生命を助けたいと言うのなら…取引に応じても構わない」
イタチはカブトを見、すぐにまた視線を逸らせた。
出血は止まったものの、意識はまだ朦朧としている。
それでも、鬼鮫のチャクラが弱まって行くのは感じられた。
「__鬼鮫を……助けてくれ」
「君が…僕の望みを叶えてくれるのなら」
イタチはカブトから視線を逸らしたまま、瞼を閉じた。
そして、「判った」と、短く言った。




カブトがイタチの部屋を訪れたのは、翌日の午後になってからだった。
「サスケと鬼鮫の容態は?」
カブトの顔を見るなり、すぐにイタチは訊いた。
「サスケ君の方は問題ないよ。薬で大人しく眠っている。鬼鮫は__」
途中で一旦、言葉を切り、それからカブトは続けた。
「重症なのは確かだけれど、幸い急所は外れている。それに出来る限りの手は尽くしているし、あのチャクラ量ならばまず大丈夫だろう__それより君の方は?」
「…会わせてくれ。鬼鮫と、サスケに」
カブトの問いに答える代わりに、イタチは言った。
カブトは首を横に振った。
「大蛇丸様は今、ご機嫌斜めで部屋に閉じこもってらっしゃる事にしてあるんだ。暫くは、僕以外の誰も近づけない。君を鬼鮫の所に連れて行けない理由は、今更、説明するまでも無いだろう?」
イタチは何か言いたげな表情を見せたが、諦めたように視線を逸らした。
カブトがもう一度、体調を問うと、イタチは短く「大丈夫だ」と答えた。
「だったら……君の気が変わらない内に、契約を果たして貰おうか」

言って、カブトはソファに座っているイタチの隣に腰を降ろした。
頬に触れると、イタチは眉を顰める。
滑らかな感触を楽しむように、カブトはイタチの頬にゆっくりと指を這わせた。
手術の時に見たイタチの肌を思い出し、身体の中心が熱を帯びる。

「……君のようにプライドの高い人間が、好きでもない男の意のままになるのは死ぬより辛い屈辱だろうに…。そうまでして助ける価値が、あの男にあるのかい?」
「俺は鬼鮫を信頼している」
言って、イタチはカブトの手を振り払った。
「どんな窮地にあっても安心して背中を預けられる相手だ。鬼鮫は俺の為ならば何でもするだろうし、俺も……」
「…サスケ君が聞いたら、嘆くだろうね」
カブトの言葉に、イタチは幽かに唇を噛んだ。

だがあの時、イタチは鬼鮫を止めたのだと、カブトは思い起した。
イタチに止められていなかったら鬼鮫は深手を追わされる事は無かった筈だ。むしろ大蛇丸を倒していたかも知れない。
そして大蛇丸が斃されれば、サスケも死ぬ。
サスケと鬼鮫のどちらかを選ばなければならないとしたらどちらを選ぶのか、イタチは迷っているのだろうかと、カブトは思った。
イタチが鬼鮫を選べば音の里は存続が危うくなる。それだけは絶対に防がなければならない。
だがサスケと鬼鮫の傷が治癒するにはまだ時間がかかり、それまではイタチも動けないだろう。
そして、迷っている人間の心は脆くなりやすい。

「勿論、この事は誰にも話さないから安心して良いよ…」
囁くように言って、カブトはイタチの背に腕を回し、抱き寄せた。
そして、しなやかな髪に指を絡める。
そのカブトを、イタチは間近に見据えた。
「…俺は、お前の事も信じている…」

------俺は、お前を信じている

古い記憶が蘇り、指先が幽かに震えるのをカブトは自身で感じた。
すぐにその『亡霊』を追い払い、口元に冷たい笑みを浮かべる。
「言っただろう?僕は口は堅いんだ」
「その事では無い」
イタチの言葉に、カブトは軽く眉を上げた。
イタチは続けた。
「俺がお前との取引に同意したのは、お前が俺に無体な真似などしないと信じているからだ」
「それはそれは…。残念ながら、買い被りだね」
「お前は今まで俺の身体を自由にする機会が幾らでもあった。だが、そうしなかった。だから……俺はお前を信じる」

------そんなお人よしで、忍が勤まるんですか?
------忍である前に、人間だからな

再び蘇った鮮やかな記憶に、カブトは軽い眩暈を覚えた。
幼い頃に草として木の葉に送り込まれ、そのままずっと周囲を欺き続けて生きて来た。
やがてサソリのスパイとなり、大蛇丸の部下となり、幾重にも周囲を欺いた。
腰抜けの無能者だと思われて蔑まれる事にも馴れた。
所詮、忍など里の隆盛の為の道具に過ぎず、ならば危険を避けて少しでも長く生き延びるのが得策だと信じて疑わなかった。と言うより、自らにそう言い聞かせて生きて来た。
ただ唯一、自分を心から信じていた養父の存在だけが、咽喉に刺さった魚の骨のように痛みを与えた。
あの頃、感じていた痛みはおそらく良心の呵責とかいうシロモノで、利用価値の高い養父を薬殺してしまったのはそれに耐えられなくなったからだ。
後から思えばそれは全く愚かしい行動だった。
お陰で庇ってくれる者が誰もいなくなり、木の葉での諜報活動に支障を来たすようになった。
砂の里からは裏切りを疑われ、そのせいで実際に里を裏切ることとなって帰るべき場所を失った。
大蛇丸の部下となって居場所を得た筈だったのに、蘇生した大蛇丸がイタチを殺そうとするのを見ていられず、主人に逆らった。
一時的な感情に振り回されるなど何よりも愚かしい事だと軽蔑していたのに、今の自分はかつての自分なら嘲笑するだろう醜態を演じている。

「……ったく。ずるいね、君は」
ぼやいて、カブトはイタチから手を離した。
そしてソファから立ち上がる。
何故、大蛇丸の邪魔をしたのか、何故、イタチと取引などしようとしたのか、何故、何も得られずに引き下がろうとしているのか、自分でもよく判らない。
ただ、不思議と後悔はしていない。
「…一つだけ聞かせてくれ。もし僕が力ずくで君を手に入れようとしていたら、君はどうしていたんだい?」
「お前の首の骨を折る」
躊躇いもなく、イタチは答えた。
カブトは笑った。



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