
(10)
「__どこに行くんですか?」
踵を返し、部屋を出ようとしたサスケを鬼鮫は引き止めた。
「イタチの所だ。あいつに会って、直接話を__」
「そうやって、イタチさんを苦しめたいんですか?」
「……何…?」
訊き返したサスケに、鬼鮫は歩み寄った。
「騙されていた事で、イタチさんを非難する積りですか?」
「そんな積りは無い。オレはただ__」
「アナタがイタチさんに『愛している』と言えば言う程、イタチさんは罪悪感に苦しむだけなんですよ?」
サスケはすぐには何も言えなかった。
嫉妬。憤り。恐れ__その全ての感情が綯い交ぜになって、心臓を締め付けるかのようだ。
冷静になれ、と、必死で自分に言い聞かせる。
「……アンタはオレからイタチを奪い返したいだけだろ?」
「それが、イタチさんの為だからです」
「……信じないぜ。イタチの口から、直接、話を聞くまでは」
だが今はとても無理だと、サスケは思った。
今イタチに会っても、とても冷静に話などする事は出来ないだろう。
「もう…帰ってくれ」
視線を落とし、低く、サスケは言った。
鬼鮫は頷いた。
「ただ、最後に一つだけ言わせて下さい」
サスケは顔を上げ、鬼鮫を見た。
「イタチさんの事は、諦めてください__アナタがをこれ以上、イタチさんを苦しめたくないのなら」
翌日。
カブトはイタチの部屋を訪れ、眼の検査と治療をしていた。
「少しずつだけど快方に向かっている。後は焦らないことだね。無理をすれば、また悪化しかねない」
「…判っている」
ところで、と、道具をしまいながらカブトは言った。
「君の耳に入れておかなければならない事があるんだ。残念ながら、君には不愉快な話だけれど」
カブトの言葉に、イタチは幾分の警戒心を示して相手を見た。
眼鏡の位置を正し、カブトは続けた。
「君が両性具有だという事、何人かの側近に知られてしまっている」
イタチの顔色が幽かに変わるのを、カブトは見逃さなかった。
「勿論、僕は誰にも喋っていないし、君の手術に立ち会った医療忍たちにも口止めしてある。だから転生前に大蛇丸様が話したとしか、考えられないんだが…」
イタチは黙ったまま視線を逸らした。
「その事を…サスケは知っているのか?」
「話そうとはしたよ。『大蛇丸』様の口から、側近たちに口止めして貰おうと思ってね。ところがあの日のサスケ君は酷くご機嫌斜めで__ほら、側近たちと会議のあった日だよ」
イタチの横顔を見つめながら、カブトは続けた。
「後で大蛇丸様の式を利用して口止めの命令は送ったけど、側近たちが既に自分の部下に喋っている可能性があるし、どこまで噂が広まっているのかは判らない」
でも、と言って、カブトはイタチの腕に軽く触れた。
「何も心配する事は無いよ。ここにいる限り、君は口さがない噂や好奇の目に晒される事も無く、護られるのだから」
「…噂が広まるとしたら、音の里の中だけでだろう」
「そうであれば良いと、僕も思うよ」
それより、と、カブトは話題を変えた。
「このところサスケ君がずっと苛立っていて僕としては手を焼かざるを得ないんだが__何かあったのかい?」
カブトの予想通り、イタチは何も言わずに首を横に振った。
だがその表情は明らかに憂いを帯びていて、問題を抱えているのは疑うべくも無い。
「…そもそも君に復讐しようとしていたサスケ君が、どうして急に君と恋仲になったのか、それが僕には判らないのだけど」
「お前には、関係のない事だ」
言って、イタチは席を立ち、カブトから離れた。
その後姿を、カブトは見つめた。
------罪悪感を感じる必要など……
------サスケを……懐柔……
------記憶を操作して……
立ち聞きしたイタチと鬼鮫との会話が、カブトの脳裏に蘇った。
距離があったので聞き取れたのはごく断片的なものでしか無かったが、それだけに興味を惹かれる。
イタチとサスケ、その二人の動向に音の里の命運がかかっているのだと思うと、単なる興味では済まされない。
だが今、何より気にかかるのは、サスケの子を産んだばかりのイタチが、何故、鬼鮫の腕に抱かれていたのかという事だ。
イタチに復讐する事に全てを掛けていたサスケが急にイタチを愛するようになったのは、いかにも奇妙で不自然だ。
それでも二人の結びつきは強く、分かち難いものに思われた。
だがイタチには何らかの目的があって、サスケはそれに利用されているだけかも知れない。
イタチがそんな人間だとは考えたくない。
だがもしそうなら、と、カブトは思った。
イタチの目的が何であるか突き止める事が出来れば、取引が可能になるかも知れない。
そして不安定になり易いサスケよりも、常に冷静で、大蛇丸に「私以上」と言わしめた実力を持つイタチの方が、音の里の長に相応しいのかも……
「…判ったよ。煩く聞き質して君に嫌われたくは無いし」
全てが憶測でしかない今は、言動を慎重にすべきだと、カブトは思った。
焦れば、全てを台無しにしてしまいかねない。
「ただ……何か話したい事があったら、いつでも聞くよ。こう見えても僕は口が堅いんだ__秘密は護る」
言ってカブトが部屋を出る間、イタチは振り向きもしなかった。
サスケがイタチの部屋を訪れたのは、その日の夜の事だった。
冷静になれるまで待つ積りだったが、時間が経てば経つほど苛立ちが募り、居ても立ってもいられなくなったのだ。
「…サスケ…」
変化を解いたサスケの名を、イタチは呼んだ。
会うのは1週間ぶりくらいなのに、もうずっと会っていなかったような感覚を覚える。
サスケはイタチから離れて座った。
自分の手を見つめ、「落ち着け」と、内心で繰り返す。
「……昨日、鬼鮫さんから話を聞いた__あんたが、オレを拒んでいる理由を」
イタチはサスケを見、それから視線を逸らした。
「嘘…だよな?あの人はあんたを取り戻したくてあんな嘘を__」
「嘘ではない__赦せ……」
頭を鈍器で殴られたようなショックを、サスケは覚えた。
イタチに歩みより、その両腕を掴む。
「全部、嘘だったって言うのか?10年前のあの微笑みもあの優しさも、ただオレを繋ぎとめておく為の、嘘だったのか?1年前のあの夜の事は、ただその罪滅ぼしだったって言うのか?」
「……済まない__」
「謝ってなんか欲しくない…!」
思わず強く言ってから、サスケは後悔した。
イタチの腕を掴んでいる手から、力を抜く。
「…伊織がお腹にいた時の事も同じなのか?オレへの罪悪感から、拒みきれなかっただけなのか?」
その時の事が脳裏に蘇り、イタチは眼を閉じた。
サスケの指が軽く胸に触れただけで、身体の奥が疼いた。
そんな反応を示した自分の身体を恨めしく思いながら、サスケを欲したのは確かだった。
サスケに愛撫されて、とろけるような快楽と、糖蜜の様な幸福を味わった。
それにここ数日は会いに来ないサスケを想い、眠れぬ夜を過ごした。
そしてそんな自分の気持ちを持て余している。
「オレは……あんたを責めている訳じゃ無いんだ」
イタチの頬に軽く触れ、静かにサスケは言った。
「10年前のあんたがどんなに辛い想いをしていたかは判る。オレは弟としてあんたを支えてあげるべきだったのに、勝手にあんたに恋をして……却ってあんたを苦しめた」
サスケは眼を開けたイタチを、間近に見つめた。
「だけどあんたは言ってくれたよな。『俺はお前を必要とはしていない。ただ…お前を欲している』__と。あんたはもう、オレに依存はしていない。ただオレと一緒にいる事を望み、共に生きる道を選んだ。あの言葉は、そういう意味じゃなかったのか?」
イタチは答える代わりに視線を逸らした。
サスケが蘇生した時には、その積りだった。サスケと共にある事を、何よりも望んでいた。
だが日が経つにつれ、気持ちが落ち着かなくなり、言い様の無い不安を感じるようになった。
そして自分がサスケを犠牲にしているのではないかと、考えるようにもなった。
10年前のあの頃、イタチはサスケが自分の事だけを見、自分の事だけを考えるように仕向けた。
それは一族殲滅の事件の日まで続き、まだ幼いサスケを身体で誘惑した事さえあったた。
イタチはサスケの世界の全てとなった。
そして自分をイタチから引き離そうとした一族を、その手で滅ぼした。
イタチは一族殲滅の罪を負い、サスケの記憶を操作した。そうする事で、サスケを自分から解放する積りだった。
だがサスケは復讐という鎖でそのまま繋ぎとめられ、仲間を捨て、里を裏切った。
あたかも8年前に時が止まり、そのまま呪縛されたかのように、イタチはサスケの全てであり続けた。
------あんたを恨み、憎み、そして…あんたを殺す為だけにオレは、生きてきた……!!
サスケのその言葉を聞いた時の罪悪感と、そして奇妙な歓喜は今も忘れられない。
「答えてくれ」
視線を逸らしているイタチの肩を掴み、サスケは言った。
「オレが側にいるのは、あんたを苦しめるだけなのか?あんたのオレに対する感情は、罪悪感だけでしかないのか?」
「サスケ……」
「答えてくれ。オレはただ……あんたの本心が知りたい」
イタチは黙ったままサスケを見つめた。
相手の髪に指を絡め、宥めるように優しく撫で、それから手を離す。
「…お前は俺に囚われ、周りを見失い、俺に恋をしていると思い込んでいるだけだ」
「思い込み……?」
鸚鵡返しに、サスケは聞いた。
「俺はお前を篭絡しようとした。その結果は予想以上だったが__」
「そんな事を聞いてるんじゃない。はぐらかさないでに質問に答えてくれ」
イタチはサスケを見、哀しげに眉を顰めた。
「…お前は俺の為に両親を殺め、一族を滅ぼした。俺への復讐の為に仲間を裏切り、里を捨てた。これ以上……俺の為にお前が罪を犯すのを見たくない」
「あんたの為なら、オレは何だってする」
まるで憤っているかのような強い口調で、サスケは言った。
「あんたの為に、オレは皆を殺した。オレの為に、あんたは父さんと母さんに止めを刺した。あんたはオレの為に罪を負い、オレはあんたの為に全てを棄てた」
イタチの背に腕を回し、引き寄せるようにして抱きしめながら、サスケは言った。
「オレ達は忍だ。どうせ罪からは逃れられない身……。ならば与えられた命令にただ従うのではなく、最愛の者の為に罪を犯したい。それで共に地獄に堕ちるなら本望だ」
「お前はまだ16だ。今ならまだやり直しがきく。だから__」
「それにオレは全てを棄てたんじゃない。オレの全てはあんただ。あんたが……オレの全てなんだ」
口を噤み、イタチは暫くサスケを見つめていた。
それから、深く溜息を吐く。
「……俺への妄執から離れ、もっと多くの仲間や友と出会い、競い、語り、学び……そしていつか本当の恋をすれば、俺の事など忘れる筈だ」
「どうして……」
間近にイタチを見つめ、振り絞るようにサスケは言った。
「どうして判ってくれない?あんたはオレの全てなのに、どうしてオレの想いをただの思い込みだなどと決め付ける?何年も何年もあんたの事だけ考えて生きてきた。その時間も想いの全ても、あんたはただの迷いだと切り捨てるのか?」
「冷静になれ、サスケ。そうすれば実の兄弟への恋心など、一時の気の迷いに過ぎないと気づく筈だ」
イタチの言葉にサスケは歯噛みした。
「だったら……だったら伊織はどうなる?たとえあんたがオレを愛していなくとも、伊織はオレ達の子だ」
「だからこそ……伊織の為にもお前には冷静になって欲しい。ここは里とは名ばかりの、抜け忍の集まりに過ぎない。伊織には友や師や、『母親』になってくれるひとが必要だ。重い障害が残るようなら別だが、そうでなければ木の葉の里に帰った方が、あの子の為だ」
イタチがまだその考えを捨てていないのだと知り、信じられない想いで、サスケはイタチを見た。
「あんたは……伊織と離れても平気なのか?あんなに伊織の事、可愛がっているのに、手放して平気なのか?」
平気な訳が無い__思わず言いかけた言葉を、イタチは噛み殺した。
伊織ともサスケとも、離れたくなど無い。
だが自分は伊織に母親だとは名乗れないし、罪悪感の故にサスケも受け入れられない。
側にいれば、二人を苦しめてしまうだけだ。
絡みついた想いの糸を今、断ち切ってしまわなければ、皆が不幸になるだけ。
「……伊織を連れて木の葉に帰れ。それが、お前と伊織の為だ…」
サスケは深く息を吸い、そして吐いた。
イタチの頬に触れ、覗き込むようにして相手の瞳を見つめる。
「…オレがあんたから離れて、他の誰かを好きになっても、あんたは平気なのか?オレが他の誰かを抱きしめて永遠の愛を誓っても、あんたは平気なのか?オレがあんたの事を忘れて、思い出すことも無くなっても、あんたは本当に平気なのか?」
「……」
イタチは答えなかった。
答えられなかった。
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