俺を初めて人間扱いしてくれたその人の事を 俺はただ『先生』、と呼んでいた
−(4)−
イルカの予想通り、カカシはイルカの元へは帰ってこなかった。そして数日後に同じ任務に就くまで、イルカの前に姿を現さなかった。
そして任務の間は、まるで見ず知らずの他人のようにイルカに接した。
「イルカ」
部隊長に呼び止められ、イルカは面を外した。
「相変わらず見事なトラップだったな。それに剣さばきも鮮やかだ」
「有難うございます」
誉められれば嬉しいのは人情だ。
イルカは笑顔で礼を述べ、軽く一礼する。
「火影様からは、お前には上忍を目指すだけの実力があると聞いている。俺の見るところも同じだ」
気を抜かず、頑張れよ__言って軽くイルカの肩を叩いた部隊長に、イルカはもう一度、頭を下げた。
「あーゆーのが好みだとは知りませんでしたよ」
踵を返し、歩き出そうとしたイルカの背後から、不機嫌な声がした。
「…気配なんか消して何してるんですか?」
「って言うか、アンタ暗部が好きなんだもんね。暗部なら誰でも良いんだ」
「カカシさん…!」
イルカの顔色が幽かに変わったのを見て、カカシは後悔した。
イルカを失いたくはない。
そんな事、考えただけでぞっとする。
イルカが思っていたような人間ではなかったとか、両親が筋金入りの暗部でイルカはその両親をとても誇りに思っているとか、そんな事はどうでも良い。
イルカが側に居て笑ってくれるなら、他に望みなど何も無い。
そう思っても、イルカが漂わせている血と死の匂いに、本能的な嫌悪にも似た感情を抱かずにいられない。
「……あなたからそんな事を言われるなんて、心外です」
「…そう?」
「一体、何が気に入らないんですか?はっきり言って下さい」
アナタを穢れない人だと思い込もうとしていた自分の愚かしさ。
己と同じ『人でなし』に嫌悪を感じる己の身勝手さ。
それでもアナタを諦めきれない不甲斐なさ__
「…その、全てが」
カカシの唇から漏れた言葉に、イルカの指先が幽かに震える。
「…やっぱり…あなたは俺との事を真剣には考えて無かったんですね?」
「…俺から離れたのはアンタの方でしょ。アンタこそ俺個人はどうでもよくて、暗部の肩書きに惹かれてただけなんじゃないの?」
「そんな事、言うならあなたはどうなんですか?自分より格下で弱い俺を、大人しいペットみたいに思ってたんじゃないんですか?」
苛立たしげに髪をかきあげ、イルカは続けた。
「あんたのようなエリート上忍がどうして俺みたいな平凡な男に抱かれたがるのか、ずっと不思議に思ってたんですよ。むしろ平凡な男だから、簡単に見下せる人間だからあんたには好都合だったんだ」
「…イルカ先__」
「俺だって自分の実力の程は判ってます。たとえ上忍になれたとしても、あなたのレベルには到底、追いつけない。それでも、俺にだってプライドはあります」
これ以上、お話しすることはありませんから__言って、イルカは踵を返した。
「イルカ先生……」
「俺はもう、アカデミーの教師じゃありません__失礼します」
振り向きもせずに言うと、イルカはその場から歩み去った。
「戻ってたのか?」
上忍控え室にカカシの姿を認め、アスマは言った。
カカシは軽く手を上げただけだ。アスマに答えもしなければ、アスマの方を見ようともしない。
が、アスマはカカシのそんな態度に慣れていた。
「それで?イルカはどうしてる?」
「……何で髭がイルカ先生の事に興味を持つのさ」
イルカの希望で、二人の仲は周囲には隠している。
が、アスマと紅には気づかれている。だが、二人が気づいている事をカカシはイルカには話していなかったし、二人ともイルカの前ではそんな素振りも見せない。
「お前が殺気立つような意味での興味なんぞこれっぽっちもねえよ。だがな、あの『イルカ先生』が暗部だぞ?俺のところのガキどもも皆、イルカの教え子だったし、ちょいと気になってな」
「……蛙の仔は蛙。鵺の仔は鵺だ」
「ああ?」
聞き返したアスマに、カカシはすぐには答えなかった。
「……俺はあの人の事を『イルカ先生』だと思ってた。でも…あの人はもう、『先生』じゃないんだ…」
「そりゃ、今はアカデミー教師じゃないだろう。だが、配属先が変わったからって、すぐに別の人間になる訳じゃあるまい?」
「だ・か・ら、鵺の仔は鵺だって、言ってんでしょ?」
いつになく苛立たしげなカカシの言葉に、アスマは黙って煙草に火を点けた。
深く息を吸い、そして吐く。
カカシは人前では滅多に感情を見せない男だ。
その点ではアスマも同じだ。だからこそ、気を許して思いのままの感情をぶつけられる相手を欲する気持ちは、よく判る。
カカシとアスマは、互いに本音で物を言える仲だ。だが、カカシが本当に気を許す相手は一人だけなのだと、アスマには判っている。
「……俺は何も訊いちゃいねえ。勝手に独り言を喋りたいなら、好きにすれば良い」
カカシはアスマを見、それから視線を逸らした。
紅が平然と人を殺せる人間だとしても、アスマは思い悩んだりしないだろう。
そう思うと、苛立ちを覚える。
「……アスマさぁ、何で忍になんかなったの」
「はあ?」
頓狂な声を上げた相手に、カカシは笑った。
「名門猿飛家の坊ちゃんに、聞くだけ野暮だったかな」
「俺は……一言で説明できるようなもんじゃないが、ともかく忍になろうと思ってなった。猿飛の家がどうのというのは関係ない」
「……俺にはね」
へらりと笑って、カカシはアスマを見た。
「選択の余地なんか無かった。忍になるか、野垂れ死ぬか__二つに一つだった…」
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