願い事を云いなさい
そして叶えなさい





−(2)−



任務を終え、仲間と共に暗部控え所に戻ったイルカは、そこに佇む銀髪の男の姿を認めた。
「カカシさん…!」
思わず二人きりの時のように名を呼んで相手に駆け寄ろうとしたイルカは、カカシの表情の硬さに立ち止まる。
「……カカシさん…?」
戸惑うイルカに、カカシは無言のままついて来いと合図し、踵を返した。
「『写輪眼のカカシ』。戻って来てたのか?」
「里がこういう状況だからな。当然の措置だろう」
仲間の話すのを背後に聞きながら、イルカはカカシの後を追った。

数週間ぶりに会った恋人の笑顔に、カカシは言いようのない苛立ちを覚えていた。
こちらに気づくなり、イルカは破顔した。
嬉しそうな、どこか照れたような、カカシの好きな笑顔だ。
だが、その前にもイルカは仲間と笑って話をしていた__離れていても判るほどに、血の匂いを漂わせながら。

「……カカシさん」
人気のないところで二人きりになると、イルカはもう一度、カカシの名を呼んだ。
カカシは振り向かない。
幽かに、イルカは眉を顰めた。
「カカシさん。何を…怒っているんですか?」
「…血の匂いがします」
「怪我はしていませんよ。返り血は浴びてしまいましたが」
カカシは振り向き、改めて相手を見た。
暗部の白い胴着が、何箇所か血に染まっている。
「何で返り血なんか浴びたんですか。アナタはトラップ専門の忍でしょ?」
「トラップしか扱えない訳じゃありません」
幾分か不機嫌そうに答えた恋人に、カカシは言った事を後悔した。

イルカが暗部に配属になってから、イルカの事ばかり考えていた。
離れているのが耐えられなくなって、綱手に直談判して暗部に戻って来たのだ。
折角こうして会えたというのに、イルカを不機嫌にさせる積りなどなかった。
だがそれでも、カカシの心は重い。

イルカも忍だ。それは判っている。
Aランク任務も二桁はこなしている。人を殺めた事がないなどと思っていた訳ではない。
それでも、殺した相手の血の匂いを漂わせながら、罪に手を染めたことが無いかのように笑えるのだとは、思ってもいなかった。

イルカと知り合ったばかりの頃、とても忍だとは思えない雰囲気に驚いたものだ。
よく笑い、子供たちに慕われ、親身になって生徒たちの事を思う。
里人から忌み嫌われているナルトにまで深い愛情を注ぐ姿に、不思議な憧憬を覚えた。
驚きと憧憬はすぐに恋慕に変わり、気づいた時にはイルカに夢中になっていた。そしてどんな事をしてでもイルカの心を手に入れたいと思った。
そして、何かを欲しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

イルカは躊躇いながらもカカシの想いに応え、安らぎと温もりを与えてくれた。
ナルトに嫉妬を感じることもあったが、イルカが慈しんで育てた相手だと思えば、ナルトもサスケも、アカデミーの生徒すべてが愛しく思えた。
こんな穏やかな日々がいつまでも続けば良いと密かに願い、そしてそれは叶うのだと根拠も無く信じていた。

だがその子供じみた願いは突然に打ち砕かれた。
オビトの死が、唐突に訪れたように。

「…今日は何人、殺して来たんです?」
「……6人です」
「その割には返り血が少ない。上出来ですね」
感情を伴わない笑顔を見せて言ったカカシに、イルカは不安と戸惑いを覚えた。
「…斬ったのは二人だけです。後は、トラップに嵌めたので」
「陰険でえげつないトラップが得意だそうですね。部隊長が誉めてましたよ」
「カカシさん。一体…何を怒っているんですか?」
イルカの言葉に、カカシは軽く肩を竦めた。
「誉めてるんですよ。罠っていうのはそーゆーもんでしょ?」
「誤魔化さないで下さい。俺が暗部配属に決まってから、あなたずっと不機嫌だったじゃありませんか」
何故なんですか?__イルカの問いに、カカシは相手から視線を逸らせた。
まっすぐにこちらを見つめてくる黒曜石の瞳を、見つめ返す勇気が無かった。

黙り込んでしまったカカシの姿に、イルカは苛立ちを覚えた。
髪をかきあげ、それでも落ちてくる前髪の煩わしさに内心、悪態を吐く。
この方が面を付け易いので暗部に来てから首の後ろで髪を括っているが、そのせいで額や頬にかかる髪の感触が、今は奇妙なほどに煩わしい。

カカシは以前から、自分の任務の事を話したがらなかった。
7班の任務は別として、上忍としての任務に関しては殆ど何も語らず、特に人を殺めた後には無口になった。
何も喋らない癖に、カカシはイルカの側にいたがった。
自分の側にいればカカシが安らげるのだと気づいた時、イルカはそれが嬉しかった。
以前から憧れていたカカシに想いを打ち明けられた時には驚きもし、躊躇いもした。
カカシに意外に子供っぽい側面があるのを知って、愛しく感じた。
この人となら全てを共有できる__そんな気がした。
けれどもそれは思い込み__もっと言えば思い上がり__に過ぎなかったのかも知れない。

暗部に来てから、ずっと気を張り詰めていた。
矢張り3年振りの実戦は緊張もするし気疲れもする。しかも暗部にいる以上、この状態がずっと続くのだ。
正直言って、カカシが暗部に戻って来ると聞いた時は嬉しかった。
カカシならば暗部が長かったし、この言いようのない疲労を癒してくれるのではないかと期待していたのだ。
だが今、恋人である筈の男の不機嫌は、こちらの疲労を増すだけだ。

「…お話がそれだけなら失礼します。刀の手入れをしたいので」
カカシはイルカが背負う忍刀を見遣った。
その刀で敵の生命を奪った時の、冷静なイルカの姿が目に浮かぶようだ。
「……イルカ先生?」
踵を返しかけた相手の名を、カカシは呼んだ。
自分でも理不尽だと思う苛立ちを鎮めたくて、精一杯、穏やかに微笑む。
それでも苛立ちは収まらず、それだけにイルカが欲しい。
「ここに来て。刀の手入れなんか、後でも良いでしょ?」
「……でも……」
「外じゃヤだってんなら、二人きりで落ち着ける場所を確保しますよ?」
暗部では融通が利くから__言って、カカシはもう一度、微笑った。
感情の伴わぬ笑いとは桁違いに綺麗な微笑み。
それでいてどこか子供じみていて、可愛いとすら思えてしまう__カカシのその姿は、イルカの愛した男のそれだった。
躊躇いながらも甘やかな誘惑には勝てず、イルカはカカシの差し伸べた手を取った。



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