アナタは俺の
唯一の安らぎ
唯一の光
唯一の希望
そして唯一の……





−序章−



「皮肉だ…」
「何がですか?」
半ば独り言のように言ったカカシに笑顔で聞き返したイルカは、苦虫を噛み潰したような恋人の表情に眉を顰めた。
「どうしたんですか、カカシさん?」
「……」
「さっきからずっと黙ってばかりいて、本当に、どうかしたんですか?」
軽く笑って仕事を続けるイルカの手首を、カカシは掴んだ。
「どうかしてるのはアナタの方です。アカデミーから暗部に配置換えになったのに、どうしてそんな風に平然としていられるんですか?」
イルカはカカシを見、自分の手首を掴んでいるカカシの手を見、それからまたカカシの顔に視線を転じた。
「…何年も前から話はあったんです。それでも俺がアカデミーに留まっていたのは、ナルトを見てやれる人間が他にいなかったから」
「それを知ってたら、アイツらを中忍試験に推薦なんかしなかった」
カカシの言葉に、イルカはもう一度、眉を顰めた。
「…あなたはナルト達が中忍選抜試験を受けるに充分な実力を身につけたと判断したから推薦したのでしょう?俺はナルトに無茶をさせたくなかったから反対しましたけど、あなたは私情を交えず冷静な判断を下して7班に試験を受けさせたのだと思っていましたが?」
カカシは内心、舌打ちし、イルカの手を離した。

私情を交えないどころか、7班を__と言うよりナルトを__選抜試験に推薦したのには、ナルトをイルカから引き離したいという気持ちがあったからだ。
中忍になれるにしろなれないにしろ、選抜試験を受け最後までやり通す程の忍であれば、完全に元担任の手を離れたと言える。そうなればイルカは今までのようにナルトを構わなくなるだろうし、ナルトもイルカから離れるだろうと思っていた。

無論、それが全てな訳ではない。
波の国で危険に晒された結果、サスケとナルトの能力は飛躍的に向上した。元々エリートだったサスケはともかく、落ちこぼれのナルトが力を発揮できたのは、訓練ではなく実戦で危地に立たされたからだ。
荒っぽいやり方なのは確かだが、中忍選抜試験を受けさせることは、7班の下忍たちの潜在能力を引き出す好機になると、踏んでいた。
そして、予選の結果を見る限り、カカシの読みは外れていなかった。
だがまさか、ナルトから手の離れたイルカがアカデミーを辞め、望んで暗部に配属になるなどと、思ってもいなかったのだ。

「……どうして選りによって暗部なんですか?ナルトが卒業しても、アナタを必要とする生徒は沢山います」
「…俺以外にも、教師の資質を持った忍は沢山います」
「俺が訊きたいのは、何故アナタがわざわざ危険に身を晒したがるか、です…!」
思わず、カカシは言った。そして言ってしまってから後悔した。
イルカが、酷く哀しそうな眼でこちらを見たから。
「……アカデミー教師は、内勤の中でも特に希望者の多い仕事です。他の任務に比べて遥かに危険が少ないから。その上、俺は受付業務にも就いていましたから、里外の任務には、何年も行っていません」
イルカは筆を置き、両手の指を軽く組んだ。
「『三代目のお気に入りだから危険な任務を免れているのだ』と陰口を利かれるのが、一番、辛かったんです。『狐憑き』だと罵られる以上に」
「だからと言って__」
「カカシさん」
イルカは、穏やかな口調で相手を遮った。
「誰だって危険な任務には就きたくない筈です。そして俺が安全な地位に留まり続ければ、代わりに誰かが危険に晒されることに__」
「そんな事じゃない。そんな事じゃないんです、イルカ先生」
カカシはイルカの両腕を掴み、間近に相手を見つめた。
「アナタを危険に晒したりなんかしません。暗部だろうと何処だろうと、アナタの身は絶対に俺が護ります。でも……」
「…任務に私情を挟まないで下さい、はたけ上忍」
「アンタは暗部がどんな所か知らないんだ!あそこはアンタみたいな人に耐えられる所じゃ無い」
「カカシさん」
強い口調で、イルカは相手を遮った。
そして、間近に相手を見つめ返す。
「俺は確かに一介の中忍で、あなたのような輝かしい戦歴はありません。それでも、俺も忍なんです。誰かの庇護を受けなくとも、自分の身は自分で護ります。それに、暗部がどんなところかも、ちゃんと判っています」
「……イルカ先生……」
「暗部着任までに、アカデミーの仕事の引継ぎを済ませてしまいたいんです。これ以上、お話しすることはありませんから__」
「イルカ先生……!」
ナルトがそうするように抱きついて来た相手に、イルカは口を噤んだ。
「もう、邪魔はしません。だから…側にいさせて下さい」
「…カカシさん…」
幽かに溜息を吐いて、イルカは銀色の髪を優しく梳いた。

優秀な数多くの忍を抱える木の葉の里。その木の葉一の業師と呼ばれる程の実力者でありながら、カカシは傷ついた子供の心をそのまま抱え込んでいる。
そんなカカシがたまらなく愛しいと、イルカは思った。
出来れば、カカシを哀しませるような真似はしたくない。
それでも、同じ里の仲間が危険な任務に就いている時に、のうのうと安全な後方に留まり続ける事は出来ない。

「…必ず帰って来るとあなたが約束してくれたように、俺も必ず生きて帰ると約束します。だから……」
そんなに心配しないで下さいね?__穏やかな口調と優しい手の動きに、カカシは何も言わず、眼を閉じた。



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