(3)





「イタチ兄ちゃんの眼、治らないのか?」
その日、サスケと共に任務に就いたナルトは、報告書提出の道すがら、幾分か控えめな口調でそう、訊いた。
「__ああ…」
「そっか。何だか…、可哀相だってばよ」
「可哀相?」
鸚鵡返しに訊き返したサスケに、ナルトは「だって」と続けた。
「あんなに強かったのに何か勿体無いし。眼が見えなかったら色々、不自由じゃん?綱手ばあちゃんが何とかしてくれれば良いのに」

サスケは相手から視線を逸らし、自分の足元を見つめた。
不愉快さに気持ちがささくれ立つのを感じ、それが一層、苛立ちを募らせる。

「兄貴には不自由なんかさせてない。オレがちゃんと面倒を見ている」
「だけど、任務は。何か暗号解読みたいなこと、やってるんだってば?そんな任務に就かせておくのは勿体無いって、カカシ先生も言って__」
「前線に行かせて、また危険に晒した方が良いって言うのか?」
ナルトの言葉を遮って、サスケは言った。
ナルトはサスケが不機嫌な理由が判らず、何度か瞬く。
「イタチ兄ちゃん、すっげぇ強いんだから、そんな危険なんて無いってばよ__眼が見えていれば、だけど」

サスケは再びナルトから視線を逸らし、先に立って歩き始めた。
今ではナルトは大切な仲間なのだと衒いも無く認められるが、それでもナルトには__カカシにも__理解できないのだと、心中で呟いた。
イタチが仇では無いと知った時の戸惑いと驚き。
もう、憎まなくても良いのだと判った時のおののきと喜び。
そしてやっと元通りの兄弟に戻れるのだと思った矢先に、重傷を負ったイタチが倒れるのを見た時の、気が狂いそうになるほどの恐怖__
一族が皆殺しにされる幻術を見せられた時でも、あんな恐怖は感じなかった。
自分自身の生命が危険に晒されても、恐怖など無かった。
それまで8年の間ずっと憎しみに閉ざされていた心に、晴天の霹靂のように突然、与えられた喜びと、それを再び失うのではないかという恐れ。
あの時の気持ちは言葉に表せるようなものではないし、他の誰かが理解する事も無いのだろう。

「……サスケ?」
黙って歩き出したサスケの名を、ナルトは幾分か不安そうに呼んだ。
サスケは振り向きも、立ち止まりもしなかった。





「…兄さん?」
家に戻ったサスケは、先に帰宅している筈の兄を探した。
その日はサスケが任務で遅くなるので、イタチは暗部の部下に送られて帰っている筈だ。
「まだ、帰ってないのか…?」
イタチの部屋にも居間にも台所にも姿が見えず、サスケは不安になった。
不意に、イタチと暮らした数ヶ月の記憶はすべて長い夢に過ぎなくて、イタチは暁との戦いで死んでしまっているのではないかという考えが、黒く冷たい塊のようにサスケの心を覆った。
馬鹿馬鹿しい__と、サスケはすぐにその考えを否定する。
つい今しがたまで、ナルトとイタチの事を話していたばかりだ。
呼吸を整え、精神を集中してイタチのチャクラを探る。
家の中にいるのなら、感じ取れる筈だ。

------道場……?

意外な場所からイタチのチャクラを感じ取り、サスケはその脚で道場に向かった。
扉の前に立った時、すっと背筋が寒くなるような悪寒を、サスケは覚えた。
8年前のあの日、扉の向こうには斬殺された両親と、二人を殺した兄がいた。
殺したのがイタチだと思ったのは暁の首魁の幻術だったが、両親が殺された事実は変わらない。
もう一度、呼吸を整えてから、サスケは道場の扉を開けた。
「……!」

その光景に、サスケは思わず眼を瞠った。
道場の一方の端に設えられた的に向けて、イタチが手裏剣を投げている。
そしてその全てが、正確に的の中心に突き刺さっていた。

「兄さん……眼が__」
「サスケか。お帰り」
振り返りもせず、イタチは言った。そして最後の1本を投げる。
それもまた、正確に的の中心を突いた。
「ど…ういう事なんだ…?」
半ば呆然として訊いたサスケに、イタチは軽く笑った。
「静止している的だ。歩幅で距離と位置を把握すれば、眼など見えなくても当てられる。ましてやこの距離だ。アカデミー生でも当てられるだろう」
「何…で、そんな事、してる?」
訊かなくとも判る答えに、サスケは胸が締め付けられるように感じた。
「何でクナイを研いだり、手裏剣の修行なんかしてるんだ?兄さんの任務は情報分析と、計画立案__」
「俺はいずれ、前線に戻る積りだ」

サスケの言葉を遮って、静かにイタチは言った。
聞きたくなかった言葉に、サスケの不安が募る。

「何、馬鹿なこと言ってんだよ?眼も見えないのに、前線に戻るだなんて無茶だ。死にたいのか?」
すっと手を伸ばし、イタチは宥めるようにサスケの頬に触れた。
「今すぐにと言っている訳じゃない。部下の足手まといにはなりたくないし、無論、死ぬ積りも無い。前線でも充分に戦えると、自分で確信が持てるまでは戻る積りは無いし、その許可も下りないだろう」
「無茶だ、そんな事…!敵は動かない的とは違う」
「サポートは必要だろうな。忍猫を借りる事を、猫バアに相談しようと思っている。それに地形が把握できない場所で戦闘になれば著しく不利だから、就ける任務はおのずと限られる」

冷静に語るイタチの言葉に、その決意は固いのだとサスケは思った。
と言うより、サスケ自身、とうに判っていた。
誇り高い兄が、その能力の殆どを失った状態に甘んじていられる筈が無いのだ、と。
危険に身を晒す事無くずっと自分の側にいて欲しいなどという願いが叶わないのは、初めから判っていた。
それが判っているからこそ、移殖の話を隠している自分に罪悪感を抱き、ナルトの言葉に苛立ったのだ。
だが、それでも。

「それでも……オレは兄さんに側にいて欲しかった……」
咽喉から振り絞るようにして言ったサスケの髪を、イタチは無言のまま、優しく撫でた。



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