(2)

ぼんやりと部屋の壁をみつめながら、シスイは1週間前の事を思い出していた。
その日はうちは一族の会合の日で、休暇で家に戻っていたイタチも出席していた。
会合の主題はいつも通り生き血と生き胆の分配に関してと、新たにそれらを入手する方法に関するものだったが、別の話題もあった。
イタチの婚約だ。
うちは一族の長老たちは優れた素養を持った血を残すことに熱心で、まだ13のイタチを早々に結婚させようとしていた。
相手はひと回りも年上の従姉で、イタチは当然、反発した。
だが長老たちはイタチの反発など意に介さず、強引に婚約が定められた。

『大叔父上たちは俺を種馬か何かだと思っているのか』
会合の後、シスイの検査を受けながら、苛立たしげにイタチは言った。
『でも…いずれ一族の誰かと結婚する事にはなるだろうから』
『血族結婚を繰り返している事が遺伝病の原因なのに、何故それを止めない?』
イタチは会合でも何度か血族結婚を止めるべきだと主張していた。
が、それはいつも一笑に伏されるだけだった。
血族の濃い血は写輪眼会得の必須条件だからだ。
だがそれは必要条件であっても充分条件ではなかった。
イタチの両親もシスイの両親もそれぞれ従兄妹同士だが、シスイは写輪眼を会得していない。
写輪眼は濃い血を必要とするが、濃い血が必ずしも写輪眼を生む訳ではない。
だが遺伝病は確実に引き継がれる。
だから写輪眼に頼る事は止めるべきだというのがイタチの主張だったが、誰もその言葉に耳を貸さなかった。
写輪眼を失うリスクは、余りに大きいからだ。

『……治療法が確立している病気と引き換えに写輪眼を失う訳には行かないだろう?』
『その治療法が誰かの生命を犠牲にするようなもので無ければ…だ』
改めて、イタチはシスイに向き直った。
『シスイ兄さんの研究はどうなっているんです?』
『……ごめん…思うような成果が出なくて……』
『だが俺はずっとあなたの薬しか飲んでいないのに、何の病状も現われていない。それが成果じゃないんですか?』
『それは……君がまだとても若いからだよ。それに症状の出方や時期には個人差があるから……』
イタチから視線をそらせたまま、シスイは言った。
イタチは訝しげに、軽く眉を顰めた。
『シスイ兄さん、何だか元気がないし…痩せたんじゃないか?』
『そんな事、ないよ』
無理に笑顔を見せて、シスイは言った。
『そりゃ中忍になってから任務がきつくなったから、少しは精悍になったかも知れないけど』
イタチは手を伸ばし、シスイの頬に軽く触れた。
心臓がどくりと脈打つのを、シスイは感じた。
『いつも俺の事は過剰なくらいに心配してくれるのに、自分の事となると無頓着なんだね』
『…そんな事はないよ。これでも医療忍の端くれだし、健康管理はちゃんとしている』
それより、とシスイは話題を変えた。
『ツバキさんとはもう、会ったの?』

ツバキは会合でイタチの婚約者と定められたくの一だ。
フガクの上の姉の娘で(下の姉の子はカシワ)、今年25になる。
21の時に一族の男と結婚したが、相手はSランク任務で生命を落とした。
亡夫との間に男の子が一人いたが、生後数週間で突然死している。

『…興味は無い』
『それは酷いな……。僕は前に一度会った事があるけど、綺麗で優しい人だったよ?そりゃ確かに、歳はちょっと離れてるけど、会ってみもしないで嫌うのはどうかと思うよ』
『俺が気に入らないのはツバキではなく、押し付けられた事だ』
苛立たしげに、イタチは言った。
『あなたは意に染まぬ結婚を押し付けられても従うのか?』
シスイはイタチを見、それから視線を逸らせた。
どちらかが女であれば、血筋と年齢の近さから言ってイタチの婚約者となったのはきっと自分だっただろう。
幼い頃から仲の良かった自分となら、たとえ押し付けられた婚約でもイタチはそれほど嫌がらなかったかも知れない。
だがそれは思っても無駄な事で、自分のイタチへの想いは報われることも無ければ、告げる事すら出来ない。
だがイタチとカカシの関係をカシワに聞かされ、嫉妬すると同時に淡い期待も抱かずにいられなかった。
『……君の気持ちは判るよ。僕だって、好きでもない人と一緒にはなりたくない』
イタチには好きな人がいるの?と、シスイは訊いた。
イタチは首を横に振った。
カカシさんは?と思わず出かった言葉を、シスイは噛み殺した。
イタチは色恋沙汰にはまるで興味がないらしく、すぐに話題を変えた。


イタチとの会話を思い起こしながら、シスイは壁の端から端まで視線を動かし、また逆の方向へと視線を戻した。
黒い虫のような影が、視線と共に蠢く。
シスイは、両手で眼を覆った。



「傷を見せてみろ」
カカシは言ったが、イタチは反応を示さなかった。
ただぼんやりと、こちらを見ている。
悪寒に似た恐怖が、カカシの背筋に走った。
イタチはカカシを庇って腕に軽い怪我をしていた。
包帯を解く間ももどかしく、クナイでそれを切り裂く。
「……!」
傷口は、紫色に変色していた。
毒を使われたのだ。
カカシは傷口の上をきつく縛り、傷口を切ろうとして思いとどまった。
これは遅効性の毒だ。
今更瀉血しても効果は無い。
既に毒は全身に回ってしまっている。
「毒にやられてる。これを、解毒剤を飲むんだ」
言って、カカシは手持ちの解毒剤をイタチの口元に差し出した。
が、イタチはやはり反応を示さず、瞬きもしない。
「くそっ…」

カカシは口布を引き下ろすと解毒剤を口に含み、イタチに唇を重ねた。
顎に手を当てて口を開かせ、舌を差し入れて咽喉の奥に薬を送り込む。
イタチがむせて吐き出そうとするのを唇で塞ぎ、強引に嚥下させた。

「……何を……」
幽かに意識が戻ったのか、イタチが抗議の言葉を呟いた。
「毒にやられたんだ。遅効性のヤツだ。今、解毒剤を飲ませた」
「……毒……?」
「ああ…お前が俺を庇って腕を切られた時だろう」
おぞましい罪悪感に、カカシは吐き気に似た不快感を覚えた。
イタチはそのままゆっくりと瞼を閉じ、ぐったりと動かなくなった。
カカシはイタチの身体を横たえようとしたが、地面が冷たく湿っているのでイタチを自分の脚の間に座らせ、背後から抱きかかえた。
「大丈夫だ…解毒剤は飲ませた。心配するな……」
イタチよりも自分に言い聞かせるように、カカシは繰り返し、呟いた。









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