(39)


十日が過ぎた。
イタチの体調は順調に回復し、伊織の術後の経過も良好だった。
対照的に、サスケは不眠と頭痛に苛まされていた。
大蛇丸は夜毎にサスケの夢に現われ、サスケを苦しめた。
昼間も『幻覚』を見るようになって、限界が近いのだと、サスケは感じていた。
鬼鮫とは機会を作って会い、イタチを逃がす計画を練っていた。
鬼鮫の本体がイタチを匿うための隠れ家を準備し、後は決行を待つばかりとなった時に、悲劇は起こった。

「カブト!カブト…!」
苛立たしく自分を呼ぶ大蛇丸の声に、何事が起きたのかと訝しみながらカブトは大蛇丸の部屋に急いだ。
「どうかなさいましたか、大蛇丸様」
「どうもこうもあるものですか。お前まで騙されていたなんて……!」
次に大蛇丸が何を言うのかを、カブトは予感した。
そして、その予感は外れなかった。
「今までサスケ君が私の精神を抑え込んで無意識下の『牢獄』に閉じ込めていたのよ。こんな屈辱は__」
イタチに腕を切り落された時以来だと、大蛇丸は思った。
木の葉最強と謳われ、恐れられたうちは一族だが、これ程の力を持つとは思っていなかった。
イタチは例外だとしても、サスケまでこれ程の力を持っていようとは。
「大蛇丸様の精神を抑え込むなどと……そんな事が……」

半ば呆然と、カブトは言った。
大蛇丸の態度に不審は抱いていたものの、まさか本当にサスケが大蛇丸の精神を制圧していたなどと、とても信じられない。
だがサスケが大蛇丸の元にいたわずか2年半の間に、別人のような成長を遂げた事を、カブトは知っている。
それはサスケが生まれ持った才能の故でもあり、大蛇丸が施した呪印や修行、それに薬物の成果でもあっただろう。
だが、それらは謂わばきっかけに過ぎなかった。
短期間のうちにサスケをあそこまで強くさせた本当の原因は、サスケの強い『想い』だ。
他の全てを擲ってでもイタチへの報復を果たす__それだけの為に、サスケは生きていた。
それだけの為に里も仲間も、己の未来も生命をも顧みず、文字通り全身全霊を賭けて打ち込んでいた。
かつてカブトが愚かしく思い、羨ましくも思った一途さだ。
そしてその一途さの全てをイタチを護る事に傾注したのなら、大蛇丸の禍々しく貪欲な精神を抑え込む事も、不可能では無かったのだろう。

「カブト」
苛立たしげに、大蛇丸は側近の名を呼んだ。
「イタチ君を殺しなさい。今すぐ」
「__イタチ君を……ですか?」
鸚鵡返しに、カブトは訊き返した。
「サスケ君が私を抑え込む程の力を発揮できるのは、イタチ君を護ろうという『想い』の故よ。ならばイタチ君が死ねば、サスケ君の『想い』もただの幻のような残留思念と成り果てる」
「…ですが大蛇丸様。それならば尚更の事、イタチ君に危害を加えれば、サスケ君を刺激してしまう事になるのでは……」
「だから、お前が殺しなさい」
低く、喘ぐように息を継ぎ、大蛇丸は言った。
「私が手を下す訳には行かない。だから、お前がイタチを始末なさい」



ノックもせずに部屋に入ってきたカブトに、イタチは幾分か身構えた。
「子供の事は諦めてくれ」
前置きも無く言ったカブトに、イタチは幽かに眉を顰めた。
悪い予感に、みぞおちの辺りが重苦しくなる。
「大蛇丸様が復活した。今はもう、あの身体を支配しているのはサスケ君じゃない」
「……気づいていたのか…?」
「おかしいとは思っていた。でも確信は無かった。そんな事より、時間がない。逃げてくれ」
「…どういう事だ?」
カブトは息を吸い、それから吐いた。
「大蛇丸様が、君を殺せと言っている。それも、今すぐにだ」
イタチは黙ったままカブトに視線を向け、それから眼を逸らした。
「…伊織を置いて、逃げる積りは無い」
「気持ちは判るが、状況を考えてくれ。君は暗部の分隊長だったんだろう?ならば判るはずだ。誰か一人を助けることに拘っていては、助かる筈だったほかの者を死なせる事になる…と」

カブトの言う事は尤もだと、イタチは思った。
任務の遂行と、仲間の生命。
そのどちらをも、イタチは大切にして来た。
だが、厭、だからこそ、多くを助けるために少数を敢えて犠牲にしなければならない局面に、何度も突き当たった。
誰を助け、誰を犠牲にするか、それを決めるのは冷酷な状況だ。そこに、感情の入る余地は無い。
イタチはその判断に優れていて、最少の犠牲で最大の戦果を得てきた。
だからこそ、僅か13歳で暗部の分隊長にもなったのだ。
だが、伊織は忍では無い。
多くの人を殺め、いつの日かその報いを受ける覚悟をしている自分とは違うのだ。
この世に生み出されたばかりの無辜の生命。
それすらも冷徹な計算の元に見棄てるならば、もはや自分は『人』では無くなるのだと、イタチは思った。

「……大蛇丸に、会わせてくれ」
イタチの言葉に、カブトは眉を顰めた。
「会ってどうなると言うんだ?呼びかけてサスケ君の精神を取り戻そうとしているなら、そんな事はムダだよ。今、あの身体を支配しているのは大蛇丸様だ」
「…確かに、無駄かも知れない」
だがそれでも、と、イタチは言った。
「俺は、伊織を置いて逃げる積りは無い」

カブトは暫く黙ったまま、イタチを見つめた。
本人の意思を無視して強引に連れ出す事は不可能ではないだろう。
だが、その先は?
今のイタチは眼も見えなければ何の術も使えない。その上、木の葉の追忍や暁に追われる身だ。
一人で逃げるのはとても無理だし、自分の分身を付き添わせるにしても、本人にその意志が無いのならとても逃げ切れるものでは無い。
それが判っていてこの研究所から連れ出すのは、余りに無責任だ。
ならばせめて、苦痛の少ない死を。
それが自分がイタチの為に出来る最後の事なのだと、カブトは思った。

「__君の娘。イオリという名なのか?」
部屋を出ようとしているイタチの腕を取り、カブトは聞いた。
イタチは頷いた。
「…良い名だね」
イタチは何も言わず、カブトに視線を向けた。
それから、幽かに微笑った。


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