(2)


目を覚ました時、イタチは自分が一人である事に気付き、寒々しさを覚えた。
いつもなら隣にいる筈の鬼鮫も、ほんの数時間前まで情熱的に自分を愛撫していたサスケの姿も無い。
やはりサスケは一時的な衝動から自分を抱いただけなのだと思い、イタチは自嘲気味に哂った。
激しく性急な愛撫に我を忘れ、記憶操作の術を掛け直す事など出来なかったが、その必要は無かったようだ。
褥の上に半身を起こし、イタチは幽かに溜息を吐いた。
痛みは無いが、腰が重くだるい。
覚えているのは3度目までで、何度、達したのか判らない。
両性の生殖器を持ち、男としても『女』としても反応してしまう自分の身体が恨めしい。
その為に『淫乱』と謗られた過去の記憶が蘇り、無意識に唇を噛む。
そんな苦い思い出のせいで碌に恋も出来ず、漸く鬼鮫との関係に安らぎを見出した矢先だった。
まさかこんな時にサスケと再会するなど思ってもいなかった。
そしてまさかサスケが、自分を愛していると言うなどと。
「……」
枕元に1枚の紙切れが置かれているのに気付き、イタチはそれを手に取った。

また、会いに来る

紙切れにはサスケの字で、そう認めてあった。
昨夜の執拗なまでの情熱を思えば、余りに素っ気無いひと言だ。
だがイタチが眉を潜めたのはその素っ気無さにでは無かった。サスケの自分への執着が単なる一時的な衝動ならば良かった。が、そうでないのなら、記憶操作が破れる可能性がある。
それだけは、何としてでも避けなければならない。
さもなければ7年前に身を切られる想いをしてサスケの記憶を操作した事が無意味になってしまう。
古い記憶に引き摺られ、感情に流されてしまった自分を、イタチは腹立たしく思った。
サスケが封じられた記憶を取り戻したら、この7年間の全てが無駄になってしまう。
シャワーを浴びようと立ち上がると、サスケの残滓が脚の間を伝って流れた。
昨夜の記憶が蘇り、身体の奥が疼く。
苛立たしげに髪をかきあげながら、いっそ自分の記憶を消せたら良いと、イタチは思った。





「昨夜はどこに行ってたんだい、サスケ君?」
朝食の席で問いかけてきたカブトを、サスケは軽く睨んだ。
「…あんたには関係ねぇ」
「そうはいかないよ。僕は大蛇丸様から君の健康管理を言いつけられているからね」
サスケは答える代わりに箸を置き、席を立った。
「ちゃんと食べなければ駄目よ、サスケ君。それに、少しくらいの息抜きは必要だって、私は判ってるわよ?」
「お言葉ですが大蛇丸様。いかがわしい病気などに罹られたら厄介ですよ?」
「治せば良いじゃない。その為に医療忍のお前がいるのだから」
カブトに言って、大蛇丸はサスケに座るよう、促した。
サスケは席に着く代わりに朝食を盆に載せ、踵を返した。
「部屋で食う。あんたらの顔を見てると飯がまずくなるからな」
「大蛇丸様に向かってなんて事を……!」
憤るカブトとは対照的に、大蛇丸は機嫌よくサスケの後姿を見送った。
「どんなにいきがって見せてもサスケ君は私から離れられない。あの子には私が必要なのよ…」
自信に満ちて嗤う大蛇丸を、カブトは黙って見遣った。




自室に戻ったサスケは前夜の事を思い出していた。
イタチを愛しいと思った気持ちは変わらない。このままずっと繋がっていたいと感じたほどだ。
だが何年もずっと恨み憎み、そして殺したいと思い続けてきた相手だ。
今ではイタチを殺そうとは思わないが、本当に愛しているのかと問われれば答えが出ない。
イタチが言っていたように、情事を見てしまったせいで感情が昂ぶっただけなのかも知れないとも思ったが、そんな事で自分の兄に欲情するとは思えない。
目覚めた時に見た無防備に眠るイタチの姿に、優しい気持ちになったのも事実だ。
だがそれでも、自分の感情の急激な変化についていけない。
イタチが目覚めるまで待たずに素っ気無い置手紙だけして戻って来てしまったのもそのせいだ。
それにイタチが両性具有者だったのも意外だった。
両性具有と言っても女性のような乳房はないので、一緒に育った兄弟でも気付きようがなかった。
尤も、二人が一緒に過ごしたのはイタチが13、サスケが12の歳までだから、いずれにしろ気付かなかっただろうが。
「……ッ……」
不意に古い記憶が蘇り、サスケは歯軋りした。
抵抗も空しくバタバタと倒れてゆく一族の男たち、女たち。
何の躊躇いも無く、両親を手にかけるイタチ。

------お前が望むような兄を演じ続けてきたのは…お前の器を確かめる為だ
------この俺を殺したくば、憎め。憎め

あの時の恐怖と絶望と喪失感は今も忘れない。忘れられない。
仲間や友では、そのおぞましいばかりの喪失感を埋める事は出来なかった。
ただ復讐を考えている時だけ、絶望から逃れられた。
その自分が他ならぬイタチを愛しく思うなどと、まるで気ちがい沙汰だ。
だがイタチに復讐しようとはもう、思わない。あれほど憎んでいた筈だったのに、憎しみの感情は雪が溶ける様に消えてしまった。
だがそれでも、7年前の痛みは消えない。
「……何でなんだ……?」
記憶の中のイタチに、サスケは問いかけた。
何故、イタチが一族を滅ぼしたのか、何故、自分だけ生き残らせたのか。
納得のいく答えが欲しかった。
それを聞く為にももう一度、イタチに会いたい__そう、サスケは思った。





「私……なにかアナタを怒らせるような事をしてしまいましたか?」
隠れ家に戻った鬼鮫は、躊躇いがちな口調でイタチにそう、聞いた。
「そうでは無い。ただ…気配が気になった」
シャワーを浴びたばかりでまだ湿っている髪をかき上げ、イタチは言った。
「どこかの暗部ですかね。でもそれなら何故……」
「俺が一人になれば、彼らが何らかの行動を起こすかも知れないと思った」
イタチの言葉に、それでは理由にならないと鬼鮫は思った。
暗部がこの隠れ家を見張っているなら尚更、イタチは一人になるべきではなかったろうし、それならそうと言ってくれれば良かったのだ。
昨夜イタチはシャワーを浴びに行ったきり戻らず、心配して様子を見に行った鬼鮫にドア越しに別の隠れ家に行けと言った。
考えたくは無いが、他の男__女の可能性もあるが、いずれにしろ情人__が来ていたとしか思えない。
それに見たところ、イタチはシャワーを浴びたばかりのようだ。
昨夜、自分と情を交わした後に湯を使ったのだから、その後、何かがなければ朝、もう一度シャワーを浴びる必要はあるまい。
「……朝食、作りますね」
内心の疑心を隠して、鬼鮫は言った。
「…ああ。食べ終わったら、ここを焼き払う」
「焼き払う?」
鸚鵡返しに、鬼鮫は訊き返した。
一箇所に長く留まる事無く複数の隠れ家を転々としてはいるが、その一つを使えなくしてしまう事など今までに無かった。
それに昨夜の気配の主がイタチの情人であるなら、そこまでする必要は無い筈だ。
「何故、焼くんですか?二度とここには戻らず連中に無駄に見晴らせておく方が得策でしょう?」
「…判った」
短く言って踵を返したイタチの後姿を見送りながら、情人と会っていた事を自分に知られたくなくてこの家を焼く積りだったのだろうかと、鬼鮫は思った。

どす黒い嫉妬に、胃が重苦しくなる。
イタチが自分に仲間としての好意以上の感情を初めて示した時、鬼鮫は喜ぶよりも意外に思った。
イタチは美貌と忍としての才能に恵まれ、文字通りの高嶺の花だ。確かに抜け忍であるから人との交流は限られるが、それでも自分のような者に恋などする筈が無いと思っていた。
幼い頃から周囲にバケモノ呼ばわりされ続けてきた自分など、恋には無縁だと諦めてもいた。
思春期の押さえ難い衝動の全てを殺戮に向け、好戦的で残忍と自他共に認めるようになった。
『霧隠れの忍刀7人衆』の一人に数えられるほどの実力を身につけると誰も鬼鮫を面と向かってバケモノ呼ばわりする事は無くなったが、それでも影で人外扱いされている事は知っていた。
バケモノ扱いされる事には慣れたが、憤りの感情が無くなったわけでは無い。
むしろそれは鬼鮫の内面に鬱積し、その残忍さを増長させていた。
護衛任務に付いた時に、自分をバケモノ呼ばわりした大名をその場で殺したのも、その鬱積した感情のせいだ。

その鬼鮫に取って、自分以外にも『人外』の者がいる暁は居心地の良い組織に思えた。
だからイタチのような美しい少年とツーマンセルを組まされたのは、リーダーの嫌がらせだと、初めは思った。
だがイタチは外見で人を判断する事を嫌い、美貌を誉めるとむしろ不機嫌になった。
見た目や思い込みで人を判断するのは愚かだ__鬼鮫がイタチに惹かれていった最初のきっかけは、イタチのその言葉だった。
それでも、イタチが美しいのは事実だ。
自分がイタチに好意以上の感情を抱いているのだと気づいた時から、鬼鮫は嫉妬に苛まされて来た。
イタチ自身がどう思うが、あれほどの美貌であれば周囲の者が興味を抱いて当然だし、その中の誰かにイタチが好意を持つ可能性も当然、ある。
それでも自分がその『誰か』になる可能性など無いだろうと、鬼鮫は思っていた。
それは自分の外見に対する秘められたコンプレックスのせいでもあるし、イタチほどの優れた忍になれば、パートナーに特別な感情を抱く事を避けるだろうと考えた為でもある。
だからイタチが自分との距離を縮めようとして来た時、イタチが求めるのは身体だけの関係なのだと思った。一緒にいる時間は自分が一番、長いのだから、手近かなところで性欲処理するには都合のいい相手という訳だ。
鬼鮫にはそんな関係は耐えられなかった。
イタチを愛しているだけに、身体だけの関係と割り切ることなど出来ないからだ。

------アナタが私に何を望んでいるのか、判りません

初めて結ばれることになった夜、鬼鮫はイタチにそう、言った。
お前が俺に望んでいるのは何だ?と、逆にイタチは聞き返した。
そして言った。俺がお前に望んでいるのも同じものだ……と。
それ以上、喰い下がって聞き質す事など、鬼鮫には出来なかった。そしてイタチが身体の秘密を抱えていること、そしてその秘密を自分に打ち明けてくれたことで、イタチも自分を想っているのだと信じることが出来た。
だが、それは思い上がりだったのだ。
鬼鮫との初めての夜も、イタチに取っては初めてでは無かった。
イタチの過去の恋人に鬼鮫は嫉妬を覚えたが、過去は過去と割り切った。
だが、自分と深い仲になっている今、他にも情を交わす相手がいるとなると話は別だ。
言葉に出来ないほどの激しい嫉妬に、鬼鮫は吐き気がする程の不快感を覚えた。
イタチの情人がこの場にいたら、迷わず八つ裂きにするだろう。

「……鬼鮫……?」
名を呼ばれ、鬼鮫ははっとして振り向いた。
幽かに眉を顰めたイタチに、自分が殺気を発していたのだと気付く。
昨夜、誰と一緒だったんですか?__咽喉まで出掛かった言葉を、鬼鮫は何とか噛み殺した。
もう、引き返せない処まで来てしまっているのだ。
今更、イタチを失う事など耐えられない。
「__済みません…すぐに作りますから」
敢えて笑顔を見せて、鬼鮫は朝食の支度を続けた。
イタチは暫く黙って鬼鮫の後姿を見つめていたが、何も言わぬまま踵を返した。






back/next