(19)


翌朝、目覚めた時、サスケは自分が寝過ごしたのに気づいた。
このところずっと夢見が悪かったが、昨夜は特にそれが酷く、何度も夜中に眼を覚ました。
自分のした事を後悔する気持ちと、あの時はああするしかなかったのだと思う気持ちがせめぎあう。
フガクが密かに世継ぎに断りに行っていたのを、毒を盛ってしまってから知ったのはショックだった。
だが結局、フガクは権力に屈した。
長老たちが勝手に話を進めてしまっていたから、断ればうちは一族が窮地に陥るのは眼に見えている。
一族の代表であるフガクが、自分の子より一族全体の為を優先させなければならなかった立場は理解できなくもないが、やはり赦せないという気持ちは変わらない。
気持ちを切り替えようと、サスケは風呂場に行き、頭から冷たい水をかぶった。

厨に行くと、イタチが戸棚をあけて何かを探していた。
「悪い、兄貴。寝過ごしちまった」
すぐ朝食の用意をするからとサスケが言うと、イタチは軽く微笑った。
「出来れば先に飲み物だけくれないか?咽喉が渇いて…」
「あ…あ。冷えてないジュースでも良ければ」
自分の目の前に飲み物の瓶が幾つも並んでいるのに、イタチが何故そんな事を言うのか疑問に思いながら、サスケは言った。
「お茶の方が良ければ、すぐにお湯を沸かすけど」
「…そうだな。ジュースで良い」
サスケは戸棚に歩み寄った。そして、「どれが良い?」とイタチに訊く。
「どれでも良い。悪いが…部屋に持ってきてくれないか?」
「…判った」

朝食の後、薪割りや水汲みなど一通りの用事を済ませてから、サスケは本を持ってイタチの部屋に行った。
「オレと鬼鮫さんも大分、読んだから、あんたも読んでおいた方が良いと思って」
「…何の本だ?」
「何のって…見た通り、お産や妊娠に関する本だ。医学書もあるけど、妊婦向けの雑誌のほうが読み易くて良いんじゃないか?」
これまでイタチはずっと体調が悪くて伏せっていたので本なども読めそうになかったが、このところは気分が良さそうなので本を読んでもそれほど疲れる事は無いだろうと思って、サスケは薦めたのだった。
「お前や鬼鮫が妙に詳しいと思ったら…こんな本を読んでたんだな」
軽く笑って、イタチは言った。
が、本を手に取りはしたものの、読もうとするそぶりは見せない。
「……読まないのか…?」
「…お前が、読んでくれないか?」
逆に本を手渡され、サスケはイタチの隣に腰を降ろした。
このところはずっと体調が良いようだったが、やはりまだ疲れ易いのだろうと、サスケは思った。





「…面倒ですねえ…」
トラップを解除しながら、鬼鮫はぼやいた。
夜盗をおびきだすのも殲滅するのもその根城に辿り着くのも簡単だった__拍子抜けする位に。
だがさすがに抜け忍崩れの夜盗団の根城だけあって、周囲はトラップだらけだ。
細かい作業が性に合わない鬼鮫としては、トラップなどまとめて破壊してしまいたいくらいだが、それでは隠れ家まで破壊する事になってしまうだろう。それに、盗品を探すのも厄介になってしまう。
やはりここは、大人しく一つずつトラップを解除するしかあるまい。
次のトラップを探しながら、イタチはどうしているだろうと、鬼鮫は思った。
最近はイタチの体調も良いし、サスケがついているのだから何も心配する事は無いと思ってはみても、やはり気になる。
自分が不在の間に二人の仲がより親密になっているかも知れないと思うと、今更ながら自分がイタチの元に残ればよかったと思わなくも無い。
いずれにしろ、子供が生まれればあの二人の絆がより強固なものとなるのは確かだ。
自分が用済みになる日は、そう遠くないのかも知れない。
「__!……」
左腕に鋭い痛みを感じ、鬼鮫は解除しそこねたトラップに引っかかったのだと気づいた。
突き刺さった千本を抜こうとした時、眩暈と吐き気を覚える。
「毒……」
しまったと思った時には手遅れだった。
何とか千本を引き抜き、鬼鮫はその場に崩れ落ちた。





1週間が過ぎても、鬼鮫は戻らなかった。
食料の残りが少なくなったので、サスケは里に下りることにした。とは言っても、本体はイタチの側に残り、影分身を変化させて里に向かわせたのだ。
影分身を更に変化させるのはチャクラをかなり消耗する術だが、イタチを一人にしておく訳にはいかない。
鬼鮫も同じようにしているが、里に降りる時には毎回違う獣道を通り、細心の注意を払う。今まで何度か見られているような感覚を持っただけに、サスケは警戒していた。
が、その日は特に『厭な感じ』がする事もなく、サスケは安堵して分身から荷物を受け取った。
「兄貴。これ…」
縁側に座って中庭を眺めていたイタチに、サスケは麝香連理草の鉢植えを持って行った。
「まだ少し早いけど、綺麗だったから…」
「…良い香だな。何の花だ?」
「何のって、忘れたのかよ。あんたの誕生花で、毎年母さんが買って来てただろ?」

イタチは忘れてなどいない、と、小さく呟いた。
鉢植えを手に取り、柔らかな花弁に軽く触れる。
自分の身体の事が一族に知れ渡るようになってからは、両親とも余り口をきかなくなり、任務を口実に家を空けることも増えた。
それでも誕生日には決まって麝香連理草の鉢植えが部屋に置いてあった事は、今でもはっきりと覚えている。
暁に入ってからは鬼鮫が誕生日を祝ってくれるようになったが、この花を手にするのは7年ぶりだ。

「お前の誕生花の花縮砂は庭に植えてあったな。咲くのはいつも誕生日より遅かったが」
「だから余り自分の誕生花って気は__」
イタチが鉢を取り落とすのを見て、サスケは口を噤んだ。
「…済まない。ここに置こうと思って……」
「……イタチ……?」

サスケは半ば呆然と、イタチを見つめた。
そしてイタチが本を読もうとしなかった事、眼の前に飲み物があるのに自分では取ろうとしなかった事が脳裏に浮かぶ。
何かがおかしいとは、思っていた。
ただそれが何であるのか、今まで気づかなかったのだ。

「まさか……見えてない…のか……?」
イタチはすぐには答えなかった。
暫く躊躇い、それから視線を逸らした。
「……全く見えない訳ではない…」
「いつから……?」
視力が落ち始めたのは、何年も前の事だとイタチは言った。万華鏡写輪眼を使うようになってからだ、とも。
「お前も万華鏡写輪眼を会得していると言っていたな。視力に、異常はないのか?」
「…それは…」
サスケは口篭った。
僅かに躊躇い、それから言った。
「万華鏡写輪眼を会得しているって言ったのは、あれは嘘だ」
「__嘘……?」
「そうとでも言わなきゃ、あんたにまた無視されるんじゃないんじゃないかって思って……」
そんな事よりと、サスケは続けた。
「何で話してくれなかったんだ?」
「…急激に視力が落ちたのは子供ができてからだ。だから多分、一時的なものに過ぎないのだろうと…」
サスケは思わず、拳を握り締めた。
「オレは…そんなに頼りないのか…?」
「…サスケ…?」
「あんたがオレに心配させまいとしてくれる気持ちは判る。だけど…何もかも一人で背負い込もうとするのは止めてくれ。あんたがオレを必要としてないんじゃないかって思えて…遣り切れない……」

イタチはサスケの頬に、軽く触れた。
僅かに躊躇い、それから口を開く。

「…俺はお前を必要とはしていない。ただ…お前を欲している」
「……んだよそれ。必要とするのと欲するのは同じじゃないのか?」
イタチは黙ったままサスケを見つめた。
もう殆ど眼は見えないが、サスケがどんな表情をしているのかは、見えずとも手に取るように判る。
哀しみ、傷ついているのだと思うと心が痛む。
だがそれでも、サスケが欲しがっている言葉を与える気はなかった。
言葉など、上辺だけのものでしかない。
「…眼の事を隠していたのは済まなかった。それに、鉢植えも」
「……花は大丈夫だ。すぐ別の鉢に植え替えるから…」
そうか、と言って、イタチは軽く微笑った。
そして、また本を読んでくれないかと頼んだ。
「あ…あ。判った」
はぐらかされたような気がして、サスケは幽かに不安になった。
だがそれ以上は、何も言えなかった。






back/next