(14)


「……悪い。寝過ごした」
翌朝、厨に現われたサスケは、朝食の支度を終えた鬼鮫にそう謝った。
「そう、遅くは無いですよ。ちょうど支度が出来たところですし」
「__嫌……手伝おうと、思ってた。邪魔でなければ、だが」
サスケの言葉に、鬼鮫は軽く目を見開いた。
「薪割りとか水汲みとか掃除とか。…教えてくれるんだったら、料理も」
はにかみを隠して言うサスケに、鬼鮫は笑顔を見せた。
「きっとイタチさんが喜びますよ__ところで…眼が赤いようですが」
鬼鮫の言葉にサスケは相手を見、すぐに視線を逸らした。
「……眠れなかったんですか?」
「兄貴には言わないで欲しいんだが……夢見が悪くて……」
鬼鮫は黙ったまま、サスケの横顔を見た。
全てを知った時、サスケはショックを受けていたようだったが取り乱しはしなかった。だから事実を受け止め、それを乗り越えられるのだろうと鬼鮫は思った。
だが、事はそう簡単でも単純でもないようだ。
「…眼が赤いのって、目立つか?」
「そうですね……それほどでも…」
サスケの問いに、鬼鮫は曖昧に答えた。
元々、万華鏡写輪眼のせいでイタチの視力は低下していたが、妊娠してからそれは急激に悪化したようだ。
だがイタチは視力が落ちた事を隠していて、鬼鮫が問い質しても何も言ってはくれないし、サスケは恐らく気付いていないのだろう。
サスケはイタチに心配をかけまいと気遣っているのだろうが、イタチの今の視力ではサスケの眼が赤く腫れている事など判らないかも知れない。
「やっぱり…朝食はアンタが持って行ってやってくれないか?オレは、眼を冷やしてくる」
言って厨を出て行くサスケに、「判りました」と鬼鮫は答えた。

鬼鮫が朝食の盆を持っていった時、イタチは眼を覚ましていたものの褥の上に横たわったままだった。
「大丈夫ですか?」と鬼鮫は訊いたが、イタチはすぐには何も言わなかった。
「…俺のした事が間違っていると、お前は思うのか?」
鬼鮫から視線を逸らしたまま、イタチは言った。
「……7年前には、ああするしか無かったんじゃないですかね」
暫く考えてから、鬼鮫は答えた。
「でも、今のサスケさんは下忍になりたての子供じゃありませんから。もうすぐ父親にもなる訳ですし」
「全てを知ったサスケが木の葉に帰るとは思えない。ならば…子を産む訳には行かない」
「そんな……。もう五ヶ月なんですよ?薬で堕ろすのは無理だし、何よりサスケさんがそんな事、望まないでしょう?」
イタチは鬼鮫を見、再び視線を逸らした。
「木の葉に帰らないのならば子供は産まない__サスケには、そう話す積りだ」
ならばサスケは子供よりイタチの側にいる事の方を選ぶのだろうと鬼鮫は思った。が、口には出さなかった。
「里に戻って普通の女と結婚でもすれば、俺の事など忘れるだろう。記憶操作など、しなくとも」

自嘲気味に言うイタチの姿に、鬼鮫は重苦しい気持ちになった。
精神的にとても強いものを持っているイタチがこんな風に弱気になる姿は、7年の付き合いの中でも見た事が無い。
ずっと体調不良が続いているのも原因の一つなのだろうが、サスケの為に今まで守って来た秘密を知られた事が、イタチから心の支えを奪ってしまったのかも知れない。
イタチが一人で苦しんでいるのを黙って見ていられずサスケに全てを話したが、それはイタチを救う事にはならず、サスケも苦しませる結果になっただけなのだ。
どうすれば二人を救える?__内心で、鬼鮫は自問した。
こういう時、忍としての力や術は何の役にも立ってくれない。

「…サスケさんのアナタへの想いが、そんな軽いものだとは私には思えません。それに…アナタもサスケさんを愛しているのでしょう?」
「俺とサスケは実の兄弟だ__余りに不自然だし、自然の摂理に反する…」
「それならば私のアナタに対する気持ちも『不自然』になってしまうでしょう?身体の事はありますが、それでもアナタは私と同じ男性なんですから」

------やはり身体が異常だと、心まで異常になるのか
フガクの言葉が脳裏に蘇り、イタチは眉を顰めた。

「無論、同性愛者を異常視する輩はいますし、私自身、アナタに惹かれるようになるまでは同性を好きになる人間の気持なんて理解できませんでしたからね」
「考え方の次元で済む問題ではない」
苛立たしげに言って、イタチは褥の上に半身を起こした。
「一度でも産む積りになったのが間違いだった。俺は染色体異常だし、サスケとは血の繋がった兄弟だ。しかも俺たちの両親は従兄妹同士だった。その濃すぎる血が子供にどんな影響を及ぼすのかを考えたら……」
「__私の子だったら……産んでくれるんですか…?」
僅かに躊躇ってから、鬼鮫は訊いた。
イタチはやや意外そうに、相手を見た。
「……お前は…子供が欲しいのか……?」
「…欲しいですよ__アナタが、嫌で無ければ」

イタチは言うべき言葉がみつからずに、鬼鮫を見つめた。
二人が深い仲になったのはサスケと再会する数ヶ月前の事でしかなく、生涯の伴侶にと思っていた気持ちは確かだが、子供の事など考えもしなかった。
自分が子供を産む事になるなど考えも及ばなかったし、その機能があるのかどうかすら定かでは無かったからだ。
何より、任務の折などに鬼鮫が敵からバケモノ呼ばわりされる姿を何度も見ている。
その鬼鮫が自分の血を引く子供を欲しがっているなどと、思いもしなかった。

「…意外、ですか。私のような『人外』の者が、子供を欲しがるのは」
「……俺は……」
鬼鮫は、口篭ったイタチを宥めるように、その腕に軽く触れた。
「子供の頃、生まれてこなければ良かったと何度も思いましたよ。自分をこの世に生み出した両親を恨み、棄てるくらいなら殺してくれれば良かったとすら思ってました」
イタチは黙ったまま、鬼鮫が続けるのを待った。
鬼鮫が孤児だった話は聞いた事があるが、詳しい事は何も知らない。
鬼鮫が話したがるとは思えなかったし、何より、過去に興味は無かった。
「私が育ったのは忍の孤児の為の施設で、食べ物も毛布もいつも不足していました。毎年、冬には飢えと寒さで、誰かが必ず死んだ。闘争心を養う為にわざとそうしていたので、食料や衣類を巡って争いが絶えませんでしたよ」
孤児たちは幾つかのグループに分かれて互いに牽制していたが、鬼鮫はどのグループにも入れて貰えず孤立していた。
それは食料を巡る争いでは酷く不利に働いたが、それだけに鬼鮫は人一倍努力して修行し、生き抜く知恵も身につけた。
「そんな所でも、忍の孤児院に入れたのは幸いでしたよ。忍は実力社会ですから、力を身につければのし上がれる。下手をすれば、見世物小屋に売り飛ばされていたかも知れませんからね」
「……見世物…?」
「霧隠れの里には、畸形の子供を見世物にする商売があったんですよ。親に見捨てられた子供は、他に生きてゆく術が無かった」

見世物にされるのはまだマシな方で、人体実験の材料にされてしまう子供たちもいた__どちらがマシと呼べるのかは、判らないが。
いずれにしろ今、それをイタチに話す気は、鬼鮫には無かった。

「私は幸いにして上忍となり、『霧の忍び刀7人衆』と呼ばれるまでになりました。そして戦って敵を倒すことに、生き甲斐と歓びを感じていた」
それでも、と、鬼鮫は言った。
「満たされることはありませんでした。部下を思いのままに動かしても、贅沢な料理と旨い酒を喰らっても、美しい女を抱いても満足できなかった。陰でバケモノ呼ばわりされながら里の道具として利用される事に、嫌気すら感じていました」
「それが…里を抜けた理由か?」
イタチの問いに、鬼鮫は頷いた。
「暁はそれなりに居心地の良い組織でしたよ。ただ、やる事は里にいた頃と大して変わりませんでしたが」
繰り返される殺戮と暴力にしか、鬼鮫は己の存在意義を見出せなかった。組織から必要とされるのは忍としての力のみであって、それは里の『道具』であった頃と変わらない。
「それが変わったのは、アナタと出会い、アナタに惹かれるようになってからです。組織の命令ではなく、アナタに従おうと、私は思った」
そして、と、鬼鮫は続けた。
「アナタが私の想いに応えてくれた時、私は初めて思ったんです__生まれて来て、良かった…と」

イタチは黙ったまま鬼鮫の頸に腕を回し、抱きしめた。
鬼鮫はイタチの髪を撫でた。

「私のような者にも、アナタは生きる意味を与えてくれた。アナタは私を外見で判断せず、パートナーとして認め、信頼し、そして……愛してもくれた」
「……鬼鮫。俺は__」
「私はアナタを愛した事を、決して後悔はしません。たとえ、恋人に戻れる事は、二度と無くても」
イタチは暫く鬼鮫の頸に腕を回したまま口を噤んでいた。
が、やがて手を離し、小さく溜息を吐いた。
「俺はお前を裏切りたくは無い。それに……この子の為に何がしてやれるのか、正直、判らない…」
「遺伝の影響が、そんなに怖いんですか?それとも、名門の血を引く者として立派な屋敷で何不自由なく育ててやれないのなら、殺してしまった方がマシだと思うんですか?」
「そんな事は……」
「私のような者ですら、アナタは認めてくれた。ならば、お子さんも認めてあげれば良いんですよ。たとえ、どんな姿で生まれて来ても」

------こんな身体に産んでしまってごめんなさい……

ミコトの言葉が、イタチの脳裏に浮かんだ。
謝罪する事によってイタチの存在を否定してしまった事に、ミコトは気付かなかったのだろう。
もしも両親がありのままの自分をありのままに受け入れてくれていたら、と、イタチは思った。
それで一族の者から受ける屈辱がどれほど和らぎえたかは判らない。
ただ少なくとも、サスケが両親に毒を盛るような悲劇は避けられた筈だ。

「……お前の言う事は判る。だが……」
『母親』が両性具有者で両親が実の兄弟であるような環境が、子供にとって良い筈が無いと、イタチは思った。
何より、暁からも追われる抜け忍の子として生まれた子供に、どんな希望が与えてやれるのか。
「この子には何の罪も無いのに、俺とサスケがした事の罰を負わせるような真似は__」
途中で不意に口を噤んだイタチに、鬼鮫は眉を顰めた。
「…どうしました?どこか痛__」
「動いた……」

半ば呆然と、イタチは呟いた。
そして、腹に手を当てる。
初めて得たその感覚は余りに奇妙で形容し難く、だが自分の胎内に宿っているものが生きているのだと、確かに感じさせられる。

「動いたんですか?赤ん坊が?」
半ば興奮気味に鬼鮫が言うのを、イタチは遠い世界の出来事のようにぼんやりと見遣った。
「五ヶ月くらいから胎動を感じるようになるって、本にも書いてありましたよ。サスケさんに知らせますか?」
「__嫌……多分、気のせい……」
「初産だと経験がないから判り難いそうですよ。でも時期から言って、間違いないですよ」
イタチは、改めて自分の腹に触れた。
今まで胎児は自分の身体の一部であるように感じていた。意識的にではないが、漠然と。
だが初めて胎動を感じた今、それが一つの生命なのだと、強く感じる。
まだ意識はないのだろうが、一つの独立した人格であり、一人の人間なのだ。
その無辜の生命を奪う権利など、誰にも無い。
サスケが木の葉に帰ろうが帰るまいが、この子は産もうと、イタチは決意した。
サスケの為でもなく、誰の為でもなく、子ども自身の為に。
そしてどんな身体で生まれようが、その子の全てをありのままに受け入れよう…と。






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