
(4)
オラクルがマンションに戻ったのは、次の日の午後だった。
気分が塞いでまっすぐ部屋に戻る気になれなかったので、そのまま街に出た。そして偶然、買い物に来ていた従姉妹たちに会い、その晩は誘われるままにカシオペア家に泊まったのだ。
父親が仕事の関係で不在がちで、母親が病弱な事もあって、オラクルは祖母の家であるカシオペア家で従姉妹たちと共に育った。不慮の事故で両親が亡くなってからも、それは変わらなかった。
自分の家の様に思っていたカシオペア家を出たのは、自由が欲しかったからだ。
クォータと深い関係になってからは、週末にクォータの部屋に泊まることが多くなった。その度に、嘘を吐かなければならないのが厭だった。けれどもクォータとの関係は誰にも知られたくなかったし、単なる友人の家にたびたび泊まりに行くのでは不審がられるかも知れない。
だから嘘を吐いた。そして、それが酷く厭だった。
部屋に入ると、電話が鳴っていた。出た時はすぐに戻る積りだったので、携帯を持って行かなかったのだ。
『オラクル?__良かった…心配したんですよ』
クォータの言葉に、オラクルは複雑な思いがした。
『昨日から何度かかけたのですけど、1度も出なかったので…』
前の晩、クォータはオラクルのマンションの前まで来ていた。部屋の明かりが消えているのを見て、そのまま引き返したのだ。だがそれを、オラクルに話す積りは無かった。
「昨日はおばあ様の所に泊まったんだ。買い物に行ったら、偶然、従姉妹たちに会って」
『そうだったんですか__いえ、別に用事があったという訳ではありませんが』
お前だって、あの野郎の正体を知れば__
不意に、オラクルはオラトリオの言葉を思い出した。思い出したと言うより、昨日からずっと気になっていた。
『今夜…会えますか?』
オラクルは、すぐには答えなかった。断る理由を探し、そんな自分を意外に思った。
「…良いよ__何時くらいに来られる?」
『そうですね、8時頃に』
予定が変わるようなら電話すると、クォータは付け加えた。
「判った……待ってるから」
言って、オラクルは電話を切った。そして、着信履歴を見る。
昨日から、全部で9件。
すべてクォータからだ。
オラクルは溜め息を吐いた。発作を起こして倒れたりする事もあるから、それでクォータは心配してくれたのだろう__そう、思おうとした。けれども、何だか監視されているようで厭だった。
どうして…選りによってあの男なんだ?
オラトリオの言葉が脳裏に蘇る。
高校が一緒だったから、クォータのことは良く知っている積りでいた。けれども、実際はどうなのだろう?高校の時は、何十人もいるクラスメートの一人に過ぎなかったし、大学は別だ。仕事でも、殆ど一緒になった事が無い。
オラトリオは、ずっとクォータが担当編集だったと言っていた。もう3年になる、と。
もしかしたら、オラトリオはクォータに関して、自分の知らない何かを知っているのかもしれない__その考えが、オラクルを不安にした。けれども、クォータの事以上に、オラトリオのことなど何も知ってはいない。
その時、チャイムが鳴った。
前の日にオラトリオが突然、訪ねて来たことを思い、オラクルは不安になった。いっそ居留守でも使おうかと思いながら、結局インターホンを手に取った。
来訪者はオラトリオではなかった。薔薇の花束。それを、近所の花屋が届けに来たのだ。
花束には、カードも何もついていなかった。それでも、贈ったのが誰なのか、すぐに判った。
薔薇は、アメジストのような深い紫だった。
クォータの仕事が予定より早く終わったので、二人は一緒に夕食を摂った。オラクルは紅茶を淹れ、それがオラトリオに貰った物だった事を改めて思い出した。
オラトリオの瞳と同じ色をした薔薇が、リビングテーブルの上を飾っている。
クォータは部屋に入った時にそれに気づいている筈だった。けれども、何も言わない。
オラクルは軽く溜め息を吐いた。
本当に、あの男を愛しているのか?
お前だって、あの野郎の正体を知れば__
「…どうかしましたか、オラクル?」
クォータの言葉に、オラクルは何でもないと、首を横に振った。そして、紅茶のカップを手に取る。
理由は判らない。けれども、オラトリオの言葉が酷く気になる。
そして、オラトリオ自身の事も。
クォータを愛していると答えた時、オラトリオは酷く傷ついた瞳でオラクルを見つめた。
その姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
「オラクル」
もう一度、クォータは愛しい相手の名を呼んだ。
「…お前は仕事でずっとオラトリオの担当だったんだよね」
「__ええ」
短く、クォータは言った。やはり、オラトリオはあの後、オラクルに会いに来ていたのだろう。だとしたら、薮蛇だったという訳だ。
クォータは、内心で舌打ちした。
何としてでも、オラトリオをオラクルから引き離したかった。オラクルに、前世を思い出させたくは無い。思い出させる訳には行かない。もしもオラクルがそれを思い出してしまったら__
「お前たちの間に、何があったんだ?」
クォータを見つめ、オラクルは言った。
「何が…とは?」
「お前たちは酷く仲が悪い。お互いのことを悪くしか言わない__どうしてなんだ?」
「…別に、私はオラトリオに対して特別な感情なんか持っていませんよ」
紅茶を啜り、クォータは言った。そして、それがいつもオラクルが買っているのとは別な銘柄であることに気づいた。無論、薔薇にも気づいていたが。
オラクルは、クォータから視線を逸らした。
酷く、息苦しい。
クォータと二人でいてこんな重苦しい気分になったのは初めてだ。
「どうでも良いでしょう、オラトリオの事なんか」
言って、クォータはオラクルの身体に腕を回した。拒まないのを確かめてから、抱き寄せる。
あなたは誰にも渡さない…
嫉妬に苛立つ気持ちを何とか抑え、クォータは相手に口づけた。
オラクルは何も言わず、瞼を閉じた。
酔えないと判っていながら、オラトリオはバーボンを呷った。
身勝手過ぎますよ、あなたは。
傍で見ていても吐き気がする位に
クォータの言う通りなのかも知れない。何度、生まれ変わってもオラクルが自分のことを愛してくれるのだと、無意識のうちに思い込んでいたのだから。
自分で自分が許せないなどと言いながら、オラクルが赦してくれるのを、心のどこかで期待していたのだ。
そして、オラクルがもう一度、あの頃の様に微笑んでくれるのを期待していた。
お帰り、オラトリオ
お帰り、私の守護者……
「__笑わせるぜ…」
低く、オラトリオは呟いた。
自分は、オラクルを護れなかったのだ。キラー・プログラムの群れの中にオラクルを取り残し、自分だけが逃げた。それは意思や感情を超えた命令(プログラム)のせいで、ロボットの身では逆らい様が無かった。
けれども、それを言い訳にしようとは思わない。相手がどれほど手強い侵入者であろうと、<ORACLE>を護るのは自分の責務だったのだから。
あんな辛い前世を思い出させて、オラクルをまた苦しめたいのですか
クォータは、人間の前世で起きた出来事を知らない。あの時の事は、どれほど後悔しても足りない。悔やんでも悔やみきれない。
オラクルの言葉を信じなかったこと。
オラクルに嘘をつき、欺いたこと。
オラクルの心を傷つけ、想いを踏みにじったこと__
思い出すたびに、身を切られる程の痛みを覚える。けれどもその痛みなど、オラクルが負った痛みとは比べ物にもならないだろう。
オラクルの前から姿を消す事__それも永遠に
街を出ようと、オラトリオは思った。
オラクルの近くにいたら、いつ感情を抑えきれなくなるか判らない。それに、自分の存在がきっかけとなってオラクルが前世を思い出し、傷つくのは耐えられなかった。
「__愛している……」
その言葉を告げる資格すらも、自分には無い__
クォータが身支度を済ませた頃になっても、オラクルはベッドでぐずぐずしていた。いつもなら、夜を共に過ごした翌朝は一緒に朝食を摂るのに。
「具合でも悪いのですか?」
なかなか起きようとしないオラクルに、クォータは優しく聞いた。
「…ただ、眠いだけ」
昨夜、よく眠れなかったから__その言葉を、オラクルは口にしなかった。
そんな事は初めてだった。いつもならクォータと過ごした夜は、心地良い疲労でぐっすり眠れるのに…
クォータは、オラクルの額にそっと触れた。
「熱は無いみたいですね」
「本当に大丈夫だよ。行かないと、会社に遅れるよ?」
クォータは、幽かに苦笑した。
「判りました。でも、少しでも具合が良くないようなら無理しないで下さいね」
言って、クォータはオラクルに軽く口づけた。
クォータが出て行ってから、オラクルはベッドの上に起きあがった。体調が悪い訳でもないのに、ひどく気だるい。いつもなら、クォータが帰った後には寂しい気持ちがしたものだった。
それが今、むしろほっとしている。
ずっとお前の事を捜してた。
何年も何年も……。
初めて会った時の、オラトリオの言葉が思い出される。
絶対に会えるって信じてたぜ
オラクルは膝を抱え、ベッドの端を見つめた。
本当に、あの男を愛しているのか?
急に、自分の気持ちが判らなくなった。
最初にクォータに想いを告げられた時は、心外なだけだった。相手がクォータだからでは無く、男同士だから。
大学は別だったので、その後、暫くはクォータに会う事も無かった。ただ時折、カードやプレゼントが送られてくるだけで。
大学1年の時に、オラクルは病気で入院する羽目になった。
回復は思わしくなく、入院は長引いた。そしてその間ずっと、クォータは見舞いに来てくれた__それも毎日。
入院中は退屈だったし、いつ退院できるのか判らずに、気持ちが塞いでいた。それを慰め、支え、勇気づけてくれたのがクォータだった。
クォータに好意を感じるようになったのは、入院がきっかけだった。退院してからは、一緒に美術館に行ったり、食事をしたりするようになった。
それでも、深い関係になるまでは時間がかかった。
クォータに好意を感じてはいても、同性との恋は、不自然な事に思えたから。
クォータはそんなオラクルの気持ちを尊重した。押し付けがましい態度は一切、取らなかったし、しつこく言い寄ったりもしなかった。ただひたすら、辛抱強く待ち続けた。
言ってみれば、その熱意にほだされたのだ。
……幸せ…か?
そう、信じていた__何の疑いも無く。
けれども、今はもう、判らない。
クォータとの関係が不自然に感じられるのは、それが同性との恋だからだと思っていた。
けれども……
何故、こんなにもオラトリオの事が気になるのだろう。
酷く傷ついたアメジストの瞳を思い出し、切なくなるのは何故だろう。
何故__もう一度、オラトリオに会いたいと思うのだろう……
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