(7)




カカシは仲間と口を利くことが少なくなり、任務以外の殆どの時間を一人で過ごした。
イルカも同じだ。
二人は周囲から敬遠され、疎外されるようになった。

そんなある日、抜け忍狩りの任務を言い渡された。
情報は曖昧だった。ある村にその抜け忍がいるらしいというだけで、誰がその抜け忍なのか、本当にその村にいるのかもはっきりしない。
だが彼を追っていた追い忍が三人、『事故死』を遂げている。抜け忍に殺されたのはまず間違いない。
時間のかかる厄介な任務だ。
追い忍が殺された点からして、危険な任務でもある。

「旅人にでも変装して村に潜入し、しばらく様子を見なければならないようですね」
「それでは時間がかかり過ぎます」
カカシの言葉に、イルカは言った。
「俺に任せて頂ければ、すぐにカタをつけます」
炎上する寺が、カカシの脳裏に蘇った。
「まさかアナタ、村ごと全滅させる気ですか」
「いけませんか?」

表情も変えずに、イルカは言った。
喉元を締め付けられるような息苦しさを、カカシは覚えた。

「…ターゲットは抜け忍一人だけです。止むを得ない事情があるならまだしも、無用な巻き添えは避けなければならない」
「追い忍が三人、殺された。抜け忍は村人に紛れ込んでいて、特定が出来ない__これは、止むを得ない事情として充分だと思いますが?」
「罪も無い村人を巻き添えにするなんて、忍のやる事じゃない」
「俺は、忍でも人でも無い__化け狐です」
何も言えず、カカシは口を噤んだ。

惹かれ始めた時から、いつかイルカを喪う日を思っていた。
あなたを一人にはしません__イルカの言葉は蕩けるほどに甘く苦い媚薬だった。それを信じて心を許せば、一人で生きてゆけなくなってしまう。
だからいつも心の何処かで、イルカとの別離を覚悟していた。
真剣になり過ぎるのが怖くて、わざとふざけた態度や子供じみた真似をして、イルカを呆れさせた。

だが、こんな形で失う事になるなどと、夢にも思っていなかった……

五代目火影に報告することを、カカシは考えた。
イルカは今は暗部に留まっているが、いつ、ナルトの封印を解こうとするか判らない。そしてナルトの封印が解かれれば、里は再び惨劇に見舞われる。
イルカの力がどれ程のものかは判らないが、恐らく九尾ほどでは無いだろう。そして綱手であれば、イルカを斃せる筈だ。

不意に、イルカの死の記憶が、カカシの脳裏に蘇った。
何ヶ月も前にイルカが死ぬ夢を見た、その時の記憶が。

「……っ……」
低く、カカシは呻いた。
ずっと、覚悟はしてきた筈だった。
だから、イルカに甘えきることも心を許しきる事もしなかった__筈だった。
だが今、何よりも恐れるのはイルカから離れること。
もう既に自分はイルカを失っているのかもしれない。
それでも、イルカから離れたくは無い。

「……カカシさん?」
やがて、イルカは相手の名を呼んだ。
「そんな顔、しないで下さい。罪も無い村人を巻き添えになんかしませんから」
「イルカ…先生?」
イルカは困ったような微笑を浮かべた。
「あなたのおっしゃった通り、潜入して暫く様子を見ましょう」
久しぶりに見たイルカの笑顔に、カカシは身体の力が抜けるのを感じた。
「イルカ先生……」
カカシはイルカの背に腕を回して抱きしめ、イルカはカカシの銀色の髪を優しく撫でた。





翌朝、二人は旅人に変装して出立し、野宿しながら旅を続け、三日後には目指す村に辿り着いた。
普通の人間の脚でなら、倍以上の日数がかかっただろう。
本来ならもっと早く着けた筈だが、この旅を長引かせたいと望むカカシは、故意に行程を遅らせていた。

村には旅籠などなかったが、村長(むらおさ)が宿の提供を申し出てくれた。
人の良さそうな老婆に案内され、二人は村長の家の離れに入った。

が、腰を落ち着ける暇(いとま)は無かった。
老婆が出て行くなり天井の仕掛けが作動し、部屋は忽ちのうちに座敷牢へと変わったのだ。

「……この村そのものが、抜け忍の隠れ里だったって訳か……」
歯噛みして、カカシは言った。
木の葉の里からの抜け忍だけでなく、他の里から抜けた忍たちも、ここに落ち延びていたのだろう。
「…どうしますか?他の里の抜け忍やその家族は、俺たちの獲物じゃありませんけど?」
「…攻撃されたら、反撃するまでです」
カカシの言葉に、イルカは冷たく笑った。



気がつくと、村は炎に包まれていた。
炎の勢いは異常に強く、まるで生きて意志をもっているかに見えた。
村人の悲鳴が聞こえた気がしたが、それは、長くは続かなかった。

「…幻術…」
「……どうして途中で気づいてしまうんですか、あなたは」
カカシが振り向くと、イルカが立っていた。
その顔には、何の表情も表れていない。
「……騙したんですね」
「『罪も無い村人』を巻き添えにしたりはしていません」
イルカの言葉に、カカシは眉を顰めた。
「彼らは人を殺めた事は無いでしょう。でも鳥や獣、魚を殺して食べている。生命のある生き物は、人間だけではありませんよ?」

カカシは反論しようとして口を開いたが、何も言わなかった。
相手が人ならざる者である以上、反論の余地は無い。

「戻ったら、あなたが幻で見たとおりの事を報告すれば良いでしょう。追い忍が三人も死んでいるのですから、疑われはしない筈です」
「……このまま、里を離れましょう」
イルカに歩み寄り、カカシは言った。
イルカから離れる事は耐えられない。
そして、これ以上、イルカが人を殺し続けるのを見るのも耐えられなかった。
「…厭です」
「…イルカ先生…!」
「俺は、もっと知りたいんです__本当の自分を。どうして人間の赤子の姿で木の葉の里に現れたのかを」
言って、イルカは燃え盛る村を見遣った。
「12年前に覚醒しなかった事からして、俺は九尾の眷属では無いのかもしれません。妖狐の世界にも、幾つかの一族がいるのでしょうし」
「それを知るのに、どうして暗部に留まる必要があるんですか?」
イルカは、まっすぐにカカシを見た。
「あなたならば…理由が判るでしょう?」
心臓を鉄の爪で掴まれた様に、カカシは感じた。

暗部は人を変える。
毎日のように繰り返される殺戮が、人の心を奪うのだ。

「…アナタは……人の心を棄てるために暗部に留まり続けると言うのですか?」
「俺には、必要の無いものですから」
平淡な口調で、イルカは言った。
ふらふらと、カカシはイルカに歩み寄った。立っている事が出来ず、その場に膝を付く。
そして、縋るようにイルカの腰に腕を回した。
「だったら……俺を殺してください。アナタが俺への想いも含めて、人の心を棄てると言うのなら……」
愚かだと、カカシは思った。
これではまるで、母を求めて泣く頑是無い子供だ。

一体、いつからこんなに弱くなってしまったのだろう……

「…あなたを殺したくはありません。里に戻って、俺の事は忘れて下さい」
「俺を殺したくないと思うなら__」
首を横に振って、イルカは相手の言葉を遮った。
「あなたは人であり、俺はあやかしです。いつまでも一緒になど、いられる筈がありません」
「それでも……想いが充分に強ければ…それは叶うのだと、俺は信じています……」

オビトの写輪眼が、それを証明している__そう、カカシは思った。
イルカは暫く黙ってカカシを見つめていたが、やがて相手の頬に軽く触れた。

「…こんな時でも、あなたは俺に心を許し切ってはいない」
「イルカ先生……」
「そうやって俺に縋りながら、そんな自分を恥じている」

ぴくりと、カカシの肩が震えた。
それから、全身の力が抜ける。

張り詰めていた緊張の糸が、音もなく、切れた。

「…俺に…笑ってください。抱きしめて、愛していると言って下さい。俺だけを見て、俺だけの事を想って……」
カカシの、声が震える。
「側にいて、甘えさせて。俺に、甘えて。アナタの強さで、俺を支えて。アナタの弱さを見せて。俺から、離れられないって言って。俺を……壊して……」
カカシの瞳から、透明な涙が零れ落ちた。

血の色の瞳からも、藍色の瞳からも。

イルカは優しく微笑み、カカシの涙を唇で掬った。
「もう一度、誓います__あなたを、決して一人にはしない…と」






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