(3)
結局、それが何を意味するのか聞き出せず、その日ははぐらかされた。
どこからどう見ても可愛い笑顔で「俺、腹が減りました」なんて言われたら、「何が食べたいですか?」と聞き返すしか無いでショ。
俺が作るって言ったんだけどイルカは一楽のラーメンが食べたいと言い出して、その晩は二人で一楽に行った。
イルカの言葉は気になっていたけれど、イルカはそんな話はしなかったかのように楽しそうに振舞ったので、俺もわざわざ水を差すようなマネはしなかった。
そういう『物分りのいい完璧な恋人ぶり』は嫌いだとはっきり言われたケド、だからって俺のどこが気に入らないんだと問い詰めるのも大人気ないし。
それから数日は何事も無く過ぎ、今日はアスマに誘われて紅を含めた4人で居酒屋で飲んでいる。
正確に言えばアスマが誘ったのはイルカで、俺ではない。
アスマはイルカを弟のように可愛がっていて、紅も同じようにイルカを気に入っている。
そして二人とも、俺が初心なイルカを誑かしていいようにしているのだと勝手に思い込んでいるのだ。
「何か俺、酔っぱらったみたいです」
俺がちょっと用足しに席を立って戻ってみると、アスマと紅がイルカの両側に座っていた。
「たまには憂さ晴らしをした方が良いだろう。明日、休みなんだろ?」
「だからって無理に飲ませるのは止めなさいよ」
アスマも紅もべったりとイルカに寄り添って、気分が悪くはないかとか水が欲しいかと聞いて世話を焼いている。
俺は仕方なく、座卓の向かいのアスマが座っていた場所に腰を降ろした。
今夜は最初からペースが早かったが、イルカの顔は赤く視線は定まらず、明らかに酔っている。
「遠慮せずに俺に寄りかかれ。その方が楽だろ?」
「ほんとだー。気持ち良いです」
「ベストも脱いじゃいなさいよ。その方が楽よ?」
赤いマニュキアを塗った紅の指がイルカのジッパーを下ろすのを、俺は黙って見ていた。
二人が俺を挑発したがってるのは明らかで、だから俺はそれを無視した。
二人がイルカから俺を引き離そうとするのは今に始まった事じゃないし、その理由も判っている。
イルカを好きになる前に付き合ってた女が、俺に振られた腹いせであること無いこと言いふらしたからだ。そしてその女は紅の友人らしい。
「…そろそろ帰りましょうか?」
「なあイルカ、今夜は俺の家に泊まれ」
俺の言葉を無視するように、アスマが言った。
「良いんですか?」
「何、遠慮してるんだ。昔はよく泊まりに来てただろ?」
九尾事件で両親を一度に亡くした後、イルカは暫く三代目火影の保護下に置かれ、火影様の実家である猿飛家に引き取られていた。
イルカの両親は二人とも一人っ子で、イルカを引き取るような親戚もいなかったのだ。
落ち着いてからは一人暮らしを始めたが、それでも時々は猿飛家に泊まりに行っていたと、イルカから聞いている。
「それとも、カカシに遠慮してるのか?」
アスマの言葉に、イルカは俺を見た。
「俺は別に構いませんよ?」
咄嗟に笑顔を浮かべて言ってしまってから、俺のそういうところが嫌いだと言ったイルカの言葉を思い出した。
だからと言って、アスマや紅の前で大人気ない態度は取れない。
「…やっぱり帰ります」
イルカは言って、俺から視線を逸らせた。
足元の覚束ないイルカをアスマが背負い、俺たちはイルカのアパートに戻った。
途中、紅が何度も「イルカちゃん、大丈夫?」と「イルカちゃん」を連呼するのを聞きながら、どこかにもう少し広い部屋を借りて引っ越そうと、俺は思った。
今は俺がイルカの部屋に転がり込んだ形で、俺は上忍寮の自分の部屋をそのまま残していた。
これではまるで、いつ別れても良いようにしているみたいだ。
明日にでも部屋を決めて引越しの手続きをしようと、俺は決心した。
「大丈夫ですか、イルカ先__」
玄関のドアを閉め、アスマに代わって肩を貸そうとした俺を、イルカは振り払った。
そして、漆黒の瞳でまっすぐに俺を見る。
「妬くくらいしたらどうなんですか?」
それだけ言うとイルカは奥の部屋に入り、ぴしゃりと襖を閉めた。
「…妬きましたよ。勿論」
アスマが馴れ馴れしくイルカに触るのも、紅が馴れ馴れしくイルカを呼ぶのも気に入らなかった。
それどころか一緒に飲みに行くのも厭だった__正確に言えば、イルカをアスマたちと一緒に行かせるのが、だ。
あの二人は俺を挑発して、嫉妬に駆られた俺がイルカに酷い事をするのを待っているのだ。
そんな事をされればイルカも俺と別れようと思うだろうし、そうでなくともそれを口実に引き離す積りなのだ。
あの二人はそれがイルカの為だと嘯くだろうが、その為にイルカを酷い目に遭わせようとしているのだから最低だ。
と言うより甘い。
俺が本当にキレたら何をするかあの二人は判っていないのだ。
伊達に快楽殺人鬼の二つ名で呼ばれた訳じゃない。
……嫌な事を思い出した。
俺は溜息を吐き、気持ちを落ち着かせる為に水を飲んだ。
快楽殺人鬼。
その名で呼ばれたのはもう、何年も前の話だ。アスマが暗部に入る前の事だったから、アスマはそれを知らない。
元々、俺には人として何かが欠けていた。
5歳で下忍、6歳で中忍となって、戦場で育った。
6歳で中忍昇格は異例だが、忍大戦の最中で人手が足りなかった事と、俺自身がそれを望んだ事の結果だ。
俺は自分が任務を全うし戦果を上げるのが、自ら死を選んだ父親の汚名を晴らすことになるのだと思い込んでいた。
俺は忍としては確かに優秀だった。だが優秀な忍となる事に拘った余り、『人』であることを放棄しかけていた。
そんな俺を人の道に戻そうとしてくれたのは、四代目火影だけだった。
だが俺はあの人が死ぬまで、あの人に心を開けなかった。
俺は『人』になり切れないまま暗部に入り、いつしか殺すことに快感を覚えるようになっていた。
目の前にいる相手の生殺与奪の権を握る。
その全能感に、俺は酔っていた。
だがやがて里一番の業師と呼ばれる程に強くなると、俺は虚しさを覚え始めた。
相手の生命を奪ってもそれは自分のモノにはならない。
ただ消えてしまうだけだ。
一人、殺すたびにその虚しさは強まり、やがて俺を『快楽殺人鬼』と呼ぶ者はいなくなった。
それから暫くして、俺は暗部を辞めた。
イルカを好きになったのは、イルカの側に居ると自分が『人』に戻れた気がするからだろう。
イルカの側にいると、血生臭い任務も里を護る為の大切な仕事であるのだと思える。
暗部にいた過去や今でも暗部の任務を受けることが、かつてはどことなく後ろめたかったのに、今では誇らしく感じられる。
任務で何十人もの生命を奪っても、イルカが笑顔で「お帰りなさい」と言ってくれれば、その場で俺の罪も穢れも消える気がした。
そもそも本当に罪の意識とやらを感じているのかどうかは判らないが。
俺が寝室に入ると、イルカは既に眠っていた。服を着たまま、布団の上にうつ伏せになって。
俺は苦笑し、軽くイルカの頬に触れた。
我儘で気まぐれな恋人だが、俺をこんな心地いい気持ちにさせてくれた相手は他にいない。
俺はイルカのベストを脱がせてきちんと布団を被せてやり、髪紐を解いて手で軽く髪を梳いた。
それからイルカの隣に潜り込み、イルカを抱きしめて眠りに就いた。
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