それが最初の『罠』だったと気づいたのは、 進むことも退く事も、 逃れる事も出来なくなってからだった。




−前編−



4…5、6……
気配とチャクラから、カカシは自分を追っている敵の数を確認した。
内心、舌打ちしながら囲まれるのを避けて走る。
一人一人は大した事も無い相手だ。一対一なら難なく瞬殺できる。
が、既に10人以上の敵を斃した今、チャクラも武器も残り少ない。
相手が相当の手練れでも、一対一なら勝つ自信がある。だが数の多い敵と戦う消耗戦は、カカシの最も不得手とするものだ。
折角の写輪眼も、こういう時には役立たない__それでも、負けてやる積りは無いが。
「__ちッ…」
よけ損ねた手裏剣が面に当たり、紐が切れた。
「矢張り、『写輪眼のカカシ』か」
背後から聞こえた声に、カカシはもう一度、内心で舌打ちした。
新手の敵が現れ、周囲を囲まれたのだ。
全員を一度で斃せる大技を使えるほど、チャクラは残っていない。
ならば一人ずつ仕留めるしかない。
カカシは新手の敵の人数を確認した。
5人だ。
合わせて11人を斃す自信はある。
だがもし、更に次の敵が現れたら……?
「伏せて!」
12人目の気配を感じたのと、声が聞こえたのが同時だった。
殆ど反射的に、カカシはその場に身を伏せた。
「うわあぁぁぁ……!」
断末魔の声がいくつも響き、そして、静かになった。



「…終わったみたいだな」
カカシが振り向くと、暗部の装束に身を包んだ忍が立っていた。
覚えの無いチャクラだ。
「……アンタ、新入り?」
落ちた面を拾い上げながらカカシが訊くと、相手は頷いた。
改めて、カカシは敵忍の屍骸を見遣った。
雨のように降り注いだ千本が、月明かりに冷たい光を反射している。
千本に毒が塗ってあるのは間違いない。さもなければ急所を外しているのに、相手が死ぬ筈がない。
「…周りの木の枝に仕掛けてあったみたいだけど?」
カカシが問うと、見知らぬ暗部の忍はもう一度、頷いた。
「随分、物騒な罠だな。味方が移動する時に引っかかるかも知れないのに、毒まで塗って」
「そんなヘマはしない。トラップには慣れている」
「俺にも当たったかもしれない」
「そこはチャクラでコントロールした」
カカシは軽く口を窄め、口笛を吹く真似をした。

はっきり言って、カカシはトラップが嫌いだった。正確に言えば、馬鹿にしていた。
トラップを使うのは戦闘力の劣る忍のやる事だと思っていたのだ。
だから今回の任務で、トラップを得意とする忍を付けると言われた時、にべもなく断ったのだ。
尤も、オビトが死んで以来、カカシは誰ともチームを組んでいない。
何だかんだと理由をつけて断り、すべて単独で任務をこなして来た。
そのせいで今回のように危機に陥る事も稀ではなかったが、カカシは態度を改めようとせず、暗部隊長の頭を悩ませていた。

「…アンタをサポートに付けるのは、断った筈だけど?」
「気づかれないように遠巻きに後を追って、サポートするように命じられていた」
「俺がどっちに進むのか、敵がどこから現れるのか、判らないのに?それでどうして都合のいい場所にトラップが仕掛けられたんだ?」
「地形だ」
短く、狐の面を付けた相手は言った。
「敵は大人数で、あんたは一人だ。ならば広い場所の方が敵には有利になる。この辺りは崖や岩に囲まれて道が狭く、開けた場所はここだけだ」
「……俺が狭い場所に敵を誘いこんでいたら?」
「その時には、俺がフォローする必要も無いだろう」
相手の言葉に、カカシは笑った。

声や骨格からして、おそらく自分と同い年くらいだろうと、カカシは思った。
感じ取れるチャクラの量と質からすると、中忍レベルだ。
そして中忍で暗部に配属されるのは、この忍がトラップを得意とするように、何か特殊な能力を持った者だけだ。
カカシは、相手の少年に興味を覚えた。

「…アンタ、名前は?」
「……トウメ」
「トウメ?古狐や化け狐って意味の専女?そんな暗部の通り名じゃなくて、本当の名前を聞かせてよ」
「知る必要は無いだろう」
言って踵を返したトウメの腕を、カカシは掴んだ。
「名乗りたくないならそれでも良いけど、面くらい取れよ」
「…断る」
「俺は味方だぞ?」
「…あんたが『写輪眼のカカシ』なのは知ってる」
カカシはトウメの腕を掴む手に力を込めた。

『写輪眼のカカシ』__その名で呼ばれるのは嫌いだ。
オビトが自分を庇って死んだ事を、否応なしに思い出させるから。
幽かな憤りと悔恨、血と死の臭いがもたらす感情の昂ぶりに、カカシは身体が内部から熱を持つのを感じた。

「面を取れよ__でなきゃ、キスも出来ない」
「……!」
相手の身体に腕を回し面の紐に手を伸ばすと、トウメは驚いたようにカカシの手を振り払った。
その反応に、カカシはククッ…と喉を鳴らす。
「何を……」
「仕事が終わったんだから、お楽しみの時間でしょ?」
「手を離せ。俺は__」
「男とは初めて?まさか女とも経験無いなんて言わないよね?」
歳は?17くらい?__からかうようなカカシの問いに、トウメの肩が幽かに震えた。
面を外せば怒りと羞恥で赤くなっているのだろうと、カカシは思った。
「アンタ、初心で可愛いよね…。俺が怖い?」
「…っ…怖くなんか__」
「これだけ人を殺したんだからさ、興奮してヤりたくなってんでしょ?」
「不謹慎な…!」
相手の言葉に、カカシの手から力が抜けた。
その隙に、トウメはカカシの手を振り払う。
「……フキンシン?何、言ってんのさ、アンタ」
頭、大丈夫?__言って伸ばしかけたカカシの手を、トウメは振り払った。
「どうかしてるのはあんたの方だ。いくら任務でも、人の生命を奪ったことでそんな風に感じるなんて……」
「じゃあ、どう感じろって言うのさ。まさか罪悪感とか?自分が殺したヤツにも家族や恋人がいただろうなとか?遺族がすごく哀しむだろうとか俺を恨むだろうとか?冗談じゃ無い。そんな事、いちいち思ってたら……」
気が狂う__その言葉を噛み殺して、カカシはもう一度、トウメの両腕を掴んだ。
内心の動揺を鎮めようとして、へらりと嗤う。
「…アンタもすぐに慣れるよ__暗部にいれば、ね」
「……言っておくが、トラップはまだ残っている」
トウメの言葉に、カカシは軽く眉を上げた。
「俺がトラップなんかに引っかかると思ってるワケ?仕掛けてある場所も判ってるのに?」
「千本とは別のトラップだ」
それに、と、トウメは続けた。
「あんたは確かに俺なんかよりずっと強い忍なんだろうけど、今はチャクラが殆ど残っていない。それでも、トラップをかわせるかどうか試してみるか?」
カカシは暫く黙って相手の面を見ていた。
そして、手を離す。
「…助けてもらったお礼に、良い思いをさせてあげようと思っただけなのにさ」
去ってゆくトウメの後姿に、カカシはぼやいた。









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