−後編−



人気の無い所まで来るとトウメは面を外し、深く息を吐いた。
湧き水で顔を洗い、首の後ろで括っていた髪を、いつもそうしているように頭の高い位置に結い直す。
「……何てヤツだ……」
ぼやくように言って、トウメ__イルカ__はカカシに掴まれていた腕をさすった。
改めて息を深く吸い、そして吐く。
まだ、鼓動が速い。
カカシは親友を喪ってから少し荒んでいるのだと隊長は言っていたが、それがあんな事を意味するとは思ってもいなかった。
それとも、暗部では普通の事なのか?
イルカは自分の両手を見つめた。
震えてはいない__意外な事に。

男とは初めて?

からかうような口調と共に、カカシの言葉が蘇る。
そう。初めてだった__人を、殺したのは。
崩れるようにその場に座り込んで、イルカはもう一度、溜息を吐いた。
どうして暗部になど入りたがるのかと、眉を顰めて自分を案じてくれた火影の顔を思い出す。
中忍になってから、まだ1年も経っていない。
功を焦る気持ちは判るが時期尚早だと、何度も三代目に窘められた。
だが、のんびり機が熟すのを待っていることなど出来なかった。手遅れになってから悔やんでも遅いのだ。
「……はたけ、カカシ……」
ゆっくりと、一語一語区切るようにして、イルカはその名を呼んだ。
遠巻きに後を追ってフォローしろと命じられたのは幸いだった。お陰で、カカシの戦いぶりの一部始終を見ることが出来た。
圧倒的なチャクラの量と質。
目の前の敵を斃す為に生まれてきたかのような戦いぶり。
けれども、人を殺すことを何とも思っていないかのような物言いが虚勢なのは明らかだった。
面の下の顔は口布で半ば覆われていたけれど、彼の痛みは感じ取れた。
敵に負わせた以上の深い傷を心に負っているからこそ、敢えて血に酔おうとし、嬌態を演じようとするのだ。

もう一度、改めてイルカは自分の手を見た。
血塗れてもいなければ、碌に汚れてもいない。
カカシの戦いの一部を遠くから見ていただけで、あとはトラップを仕掛けただけなのだから当然だ。
敵と間近に見えてもいなければ、返り血も浴びていない。
だが、確かに殺したのだ。
屍骸の数が11だと、確認したのも覚えている。
面を手に取り、イルカは木に凭れかかる様にして寄りかかった。
恐れていた罪悪感は微塵も感じない。
ただ自分が自分で無くなった様な不思議な感覚と、脱力感を覚える。

アンタ、初心で可愛いよね…

カカシの言葉を思い出し、幽かに苦笑する。
「…俺を初心だと思うなんて、あんたこそ初心だよ」
面を取ろうとして手を伸ばしてきたカカシの姿を思い出し、ざわりと総気立つのを感じた。
血の気の無い、人形のように白い膚。
うつろな藍色の瞳と、狂気を孕んだ紅い瞳。
敵を斃す事だけを考え、自分が生き残る事は頭にないかのような戦い方。
擦れた遊女のような物言い。
その癖、隠し切れない心の傷……
全てが、自分の望んでいるものだとイルカは思った。
カカシこそ、彼が探していた男だ。
だが、せっかく巡り会えたのに呆気なく死んでしまうかも知れない__オビトのように。
面をつけると、イルカは立ち上がった。





イルカが戻った時、カカシは敵の所持品を改め終わり、屍骸を焼却しているところだった。
敵の所持品を調べるのは忍としては当然の事なのかも知れないが、まるで墓荒らしをしているようだとイルカは思った。
「…戻って来たんだ。やっぱり俺とヤりたい?」
「……それは返り血ですか?」
揶揄するようなカカシの言葉を無視して、イルカは聞いた。
さっきから気なっていた、カカシの脇腹の赤黒い染み。
「……ちょっと熱いから俺の傷でしょ。それが何か?」
「手当てをする」
「とか何とか言って、要するに俺を脱がせたいワケ?」
「俺は……」
息が詰まるような苦しさに、イルカは途中で言葉を切った。
初めて会った相手だというのに、そして会ったばかりだというのに、こんな感情を抱くなどと思ってもいなかった。
だが下手なことを言えば、カカシは自分を一時の欲求解消の相手としか見ないだろう。
「俺は……あんたに死んで欲しくない」
カカシは何かを言いかけたが、何も言わず口を噤んだ。
黙ったまま、面で隠された相手の顔を見つめる。
「……俺が死のうが生きようが、アンタに何の関係がある?」
「俺は……」
イルカは、言い淀んで視線を落とした。
カカシに興味を持ったのは、そしてカカシに会う為に暗部配属を望んだのも、『目的』があるからだ。カカシの持つ能力が重要なのであってカカシ自身に関心など無い筈。

それなのに、この鼓動の速さは何だ?
どうして、カカシの蓮葉な言葉に苛立ちと嫉妬を感じる?
何故、もう一度カカシに触れられ、カカシに触れたいなどと感じる?
自分の気持ちの急激な変化に、自分でついて行けない。

「…大した怪我じゃなさそうだ。自分で手当てしろ」
「__トウメ……?」
カカシが引き止める間もなく、イルカは姿を消した。





あんたに死んで欲しくない

トウメの言葉は、まるで喉に刺さった魚の骨のようにカカシの心を悩ませた。
トウメはカカシを「不謹慎」だと非難し、カカシの誘いに嫌悪すら感じたようだった。
だがそれなのに、何故、「死んで欲しくない」などと言った……?
「トウメって新入り、知ってる?」
カカシの問いに、アスマは軽く眉を上げた。
元々カカシは他人に関心を示さなかった。オビトが死んでから、それはいっそう酷くなり、単独でしか任務を受けない程になっている。
そのカカシが他者の事を口にするなど、アスマには意外だった。
「トラップ専門とかいう奴の事か?そいつがどうかしたのか」
「中忍で暗部に来るだけあって、変わったヤツだよ」
「…お前が新入りに興味を示すなんぞ、珍しいな」
どういう風の吹き回しだ?__アスマは訊いたが、カカシは答えなかった。そして、それきりトウメの名を口にする事も無ければ、トウメを探そうとも、その素性を探ろうともしなかった。
誰かに拘わりを持つなど、二度としたくなかったから。



カカシは相変わらず単独任務を続け、トウメと会う事もなかった。
次にカカシがトウメの噂を耳にしたのは、三ヵ月後にトウメが暗部を除隊した時だった。カカシはすぐにトウメの事を忘れ、そのまま思い出しもしなかった。
9年後にトウメに再会し、それが自分の人生を変える事になるなどと、その時のカカシは思ってもいなかった。







fin



後書きと書いて言い訳と読む
『木の葉の日常』で始まる設定捏造シリーズ外伝です。特に最終話の『異形の戀』とはリンクしてるので、セットで読まないと判り難い部分があるという反則ぶり;
2つの話のタイトル、逆の方が良かったかも…と、UPしてから思ったりして;;


back