泣きじゃくる小さな身体を抱きしめ アナタは静かに 本当に静かに微笑んだ 涙 〜イルカの場合〜 (1) 雨が降り出していたが、傘をさそうとする者はいなかった。 皆、押し黙ったまま、里を守って己を犠牲にした里長に最後の別れを告げる。 泣き崩れた木ノ葉丸を抱きしめるイルカを、カカシは離れた場所から見守っていた。 何と言うべきか、カカシは前の晩から迷っていた。 イルカは三代目から特に目を掛けられていて、九尾の事件の後、孤児となったイルカを支えてきてくれたのが三代目だったのだと、他ならぬイルカ自身から聞いている。 ある意味では、親代わりだったのだろう。 その三代目を喪ったイルカがどんな想いをしているか、カカシには判る積りだった。 慰めてやりたいなどと思うのは傲慢だと判っている。 イルカは憐れみを嫌うし、それはカカシも同じだ。 それでも、自分が辛い時にイルカが側にいてくれたように、今はイルカの側にいてやりたい。 「…イルカ先生?」 葬儀の終わるのを待って、カカシはイルカに歩み寄った。 喪服に身を包んだイルカは、屈託の無い笑顔の似合う人とは別人のように見えた。 「今日…俺の家に来ませんか?」 「いいえ」 躊躇いも無く、そして短くイルカは言った。黙ったまま踵を返し、カカシに背を向ける。 カカシは何も言えず、イルカの後姿を見送った。 拒絶されることなど、予想していなかった。 身体の関係こそ無かったが、イルカとは今では親しい友人以上の間柄になっているのだと、信じていたから。 半ば呆然と立ち尽くすカカシの視界に、背の高い男の姿が現れた。 男はイルカと肩を並べ、そのまま二人は歩み去った。 激しい嫉妬を、カカシはアスマに感じた。 「飲むだろ?」 アスマは独り言のように言うと、返事を待たずに二つの杯を冷酒で満たした。 イルカと二人、縁側に胡坐を組んで、月を見上げる。 二人とも黙したまま、何度か杯を空にする。 「…木ノ葉丸に優しくしてくれて、ありがとよ」 やがて、ぽつりとアスマが言った。 「俺は、三代目に良くして頂いてましたから」 アスマはイルカを見、そして視線を逸らした。 「…口やかましい爺だったな。ガキの頃、お前と一緒に悪戯して、俺だけが怒られた」 覚えてるか?__アスマの言葉に、イルカは幽かに笑い、頷いた。 「爺さんはお前のこと、可愛がってたからな。悪いのは俺一人だと決め付けやがった」 「あの頃、アスマさんはもう中忍だったんですから、無理も無いですよ」 イルカは九尾の事件で両親を亡くした後、数週間の間、猿飛の屋敷に引き取られていた。 イルカが屋敷を出て一人暮らしを始めてからも、アスマは任務の合間を縫って、イルカに会いに行っていた。 「まあ…な。確かに大人気なかった」 「俺を慰める為に、わざとそうして下さってたんでしょう?」 イルカに正面から見つめられ、心臓がとくりと脈打つのをアスマは感じた。 「今日、呼んで下さったのも、俺を慰める為ですか?」 「…お前が一人でも大丈夫なのは…判ってる」 歯切れの悪い口調で言って、アスマは視線を逸らした。 イルカにはもっと甘えて欲しいと、いつも思っている。 だがこちらが甘えて欲しいと思う時に限って、イルカは壁を作ってしまう。 俺が、慰められたい__なんて事、言えるか 立て続けに、アスマは杯を呷った。 イルカはこれ以上、飲む気がないらしく、空の杯を手に持ったまま、ぼんやりと庭の立ち木を眺めている。 その月に照らされた横顔に__喪服の襟から覗く首筋に__アスマは再び、心臓の鼓動を聞いた。 イルカとカカシが急速に親しくなって行くのを知りながら、何も出来ず、手を拱いていた。 己の感情を持て余し、嫉妬に苛立ちながら、飽くまでイルカの『良い兄貴分』でいようとした。 だが、斎場でカカシがイルカに話しかけるのを見た時、限界だと思った。 身内の葬式の日に、こんな事を思うのはおかしいのかも知れないが。 「…済みませんが俺、明日も授業がありますので」 夜の更けた頃、イルカが言って、立ち上がった。 「泊まってくだろ?」 「__いいえ…」 今日は、失礼します__言って立ち去ろうとするイルカを、アスマは呼び止めた。 「カカシの…所に行くのか?」 イルカは振り返り、黙ったまま首を横に振った。 そして、そのまま歩み去ろうとする。 「__イルカ……」 思わず、アスマはイルカを抱きしめていた。 「お前が、好きだ…愛している……」 「アナタらしくないですよ…」 部屋の灯りも点けず、ベッドの上に横たわったまま、カカシは呟いた。 イルカはよく笑い、よく泣き、よく怒る情感豊かな人だ。 ずっと感情を押し殺して生きて来たカカシに、自分の感情を素直に認める大切さを教えてくれた。 多分、イルカが泣くのを自分は予想__期待__していたのだとカカシは思った。 そうすれば何も言わず、黙って抱きしめてあげる事が出来るから。 「子供がいたからね…」 暗い天井を見つめ、カカシは呟いた。 葬儀には木ノ葉丸やナルトの他に、アカデミーの生徒たちも来ていた。子供たちの前で泣く訳にはいかないと、イルカは思ったのだろう。 そう思っても、アスマへの嫉妬は消えない。 俺の家に来る事を断ったのは、単にアスマの約束のほうが先だったから。 アスマの家に行って俺の家に来ないのは、単にアスマが三代目の親族だから。 あの二人の関係は、九尾事件以来のガキの頃からの付き合い__単に、それだけ。 軽く、カカシは溜息を吐いた。 イルカとアスマの関係は、『単にそれだけ』なのだろう。 だがイルカに取って、自分との関係は何なのだろう? 少なくとも、親しい友人くらいには思ってくれていると信じていた。 そして、それ以上であることを期待していた。 時には諍う事もあったが、それはお互いに本音で話せるからだと思っていた。 「俺……自惚れてただけですか……?」 「初めて会った時からずっと、お前に惚れてた…」 耳元で囁かれるアスマの言葉が、自分には関係の無いどこか遠くの音であるかのように、イルカには聞こえた。 アスマの唇が、首筋に触れてくる。 初めは軽く、躊躇うように。 それから、焦れたように何度も口付けを繰り返す。 「……気づいてました」 やがて、イルカは言った。 「いいえ…あなたの本心は俺にはよく判らなかった。あなたはいつも、俺の良い兄貴みたいに接してくれていたから…」 「…下手な事を言って、お前に嫌われたくなかった。お前が女なら、とっくに許婚にしてたさ」 「俺の意思を無視してですか?」 幽かに笑って、イルカは訊いた。 「…俺では、ダメか?」 背後からイルカを抱きしめたまま、アスマは言った。 「カカシの野郎の方が良いのか?俺じゃ駄目なのか?」 イルカは、ゆっくりと眼を閉じた。 再び、アスマの唇が首筋に触れてくる。 逞しい腕が、力強く抱きしめてくる。 それは、決して不快では無かった。 けれども、アスマには話せない秘密が幾つもある。 今までも話せなかったし、これからも話すことは無いだろう。 「……あなたを傷つけたくは無いのですが」 やがて、静かにイルカは言った。 すっと、アスマの腕から力が抜ける。 「…済みません。今日は…失礼します」 「__イルカ」 立ち去ろうとしたイルカの名を、アスマは呼んだ。 「これからも良い__嫌、悪い兄貴でいさせてくれるか?」 イルカは振り向き、微笑して頷いた。 back/next |