(2)



「任務、お疲れ様でした__お前たちも」
葬儀の3日後、7班のメンバーを連れて報告書を提出したカカシに、イルカは微笑んで言った。
以前と変わらない、温かい笑顔だ__表面だけは。
「……イルカ先生、元気出すってばよ」
俯き加減に言ったナルトに、サクラは眉を上げた。
「ナルト、何言ってんのよ」
「俺、元気ないように見えるか?」
はは…と、軽く笑ってイルカは訊いた。
「イルカ先生ってば、笑ってるけどよ。でも、それってば__」
「ナルト。止めろ」
カカシが口を開く前に、サスケが言った。
「ほら。行くぞ、お前たち」
イルカに軽く会釈すると、カカシはナルトたちを促して踵を返した。
子供は大人が思っている以上に敏感だと、心中で想いながら。






部屋の灯りは消え月は雲に隠れていたが、夜目に慣れたカカシにはイルカの姿がはっきりと見えた__部屋の片隅で、膝を抱えて座っている姿が。
コンコン、と、軽く窓を叩くとイルカがこちらを見る。
鍵のかかっていない窓を開け、部屋の中に入った。
「お邪魔して…良いですか?」
「どうして窓から入るんですか」
「玄関からだと、入れて貰えない気がして」
正直に、カカシは答えた。
イルカがそれ以上、何も言わないので、イルカに歩み寄り、隣に腰を降ろす。
「__どうして…泣かないんですか?」
前置きも無く、カカシは訊いた。
「アナタは自分の感情に正面から向き合う勇気を持った人だ。その結果、傷つくことになっても、それを恐れない」
俺は、そんなアナタが好きです__静かに、カカシは言った。
「……大切な人を喪った時、あなたは何を感じましたか?」
自分の膝を見つめたまま、イルカは言った。
「…先生が亡くなってから、色々な事に興味を失いました。九尾を憎む人も多かったけど、俺は憎しみすら感じなかった。無気力になってたんでしょう。オビトが死んでからは……」
途中で、カカシは言葉を切った。

オビトが死んでから、十年以上が経っている。
いつの間にか、オビトを思い出すことも稀になっていた。
けれどもこうしてイルカと話していると、冷たくなってゆくオビトの身体を抱きしめていた感触まで蘇るかのようだ。

「…生きた気がしませんでした。毎日ただ、任務を受けて、人を殺して、その繰り返しだけ」
アナタに会うまでは__その言葉を、カカシは口にしなかった。
「…両親を喪った時、俺は九尾を憎みました。哀しかったし、寂しかった。疎外感に悩まされ、いつまでも喪失感を引きずっていました」
それでも、と、イルカは続けた。
「こんな大きな喪失感を味わったのは初めてです……」

カカシは、イルカの横顔を見つめた。
普段はきつく括っている髪を降ろした姿は、別人のように印象が変わる。
何より、笑顔が似合う人がこんな無表情でいるのを見たことが無い。

「…三代目はアナタに取ってそれ程__」
「三代目が亡くなられたからじゃ、無いんです」
言って、イルカは相手の言葉を遮った。
が、その後を続けようとはしない。
「だったら…何がアナタを苦しめているんですか?」
黙っていられず、カカシは訊いた。
イルカは、首を横に振る。
「それを聞いてしまったら、多分…あなたも苦しむことになります」
「だったら、話してください」
イルカの手に触れ、カカシは言った。
「アナタはいつか、俺の重荷を共に背負うと言ってくれましたよね?だから、アナタの重荷を、俺にも負わせて下さい」
イルカは黙ったまま、カカシを見つめた。
アスマには話せなかった。話す積りも無い。
カカシには…?

カカシが長期任務で里を離れた時、帰りが待ち遠しかった。
カカシが危険な任務に赴いた時、心から無事を祈らずにいられなかった。
カカシに恋をしているとは思わない。だが一番大切な人は誰だと訊かれたら、答えは多分、カカシだ。

「…わざわざあなたを苦しめたくはありません」
「そうやってアナタが心を閉ざしてしまうほうが、俺にはよっぽど辛いです」
藍色の瞳と、血のような色をした瞳がまっすぐに見つめてくる。
あの夜に見た血のような涙はとても綺麗だったと、イルカは思った。
黙ったまま、イルカは立ち上がり、隣の部屋に入った。
カカシはイルカの真意が判らず戸惑ったが、苛立つ気持ちを抑え、イルカが戻るのを待った。
戻って来た時、イルカは一通の書状を手にしていた。
「あなたに心を閉ざされるのは俺も辛いです__ですから、これをお見せします」
イルカに手渡された書状をカカシは開いた。
それは、三代目火影の遺書だった。

遺書は生前の火影がイルカに宛てて用意しておいた物で、その死後、使者によってイルカの許に届けられた。
12年前の九尾事件の回想から、遺書は始まっていた。
木の葉の里に壊滅的な打撃を与え、多くの人の生命を奪った九尾の化け狐。
その妖狐は四代目火影の生命を引き換えにして、ナルトの体内に封じられた。
が、その時里を襲った妖狐は九尾だけでは無かった。
その眷属どもも里を襲い、里人たちを屠ったのだ。
九尾がナルトに封印された時、眷属の妖狐どもは他の里人に封じられた__その殆どは、子供に。
四代目は九尾を封じるのが精一杯で、他の妖狐を封じる相手を選ぶ余裕が無かったのだ。そして、幼い子供はその心の純粋さゆえにあやかしの器となり易い。
三代目は望遠晶の力で事態の把握に努めたが、混乱が余りに酷かったのと妖力に邪魔され、九尾の眷属が誰に封じられたのか、全ては突き止められなかった。
だが両親を亡くしたイルカを手元に引き取った時、イルカが普通の子供で無い事にはすぐに気づいた。

「…皮肉ですよね」
ぽつりと、イルカが言った。
「俺は両親を殺した九尾をずっと憎んでいたのに、その眷属が俺に取り憑いていただなんて」
「……イルカ先生。でも確信は無いと、この遺書にも__」
「兆候は、あったんです」
カカシの言葉を遮って、イルカは言った。
「任務で危険な状況に陥った時、部分的に記憶を無くした事が何度かありました。でも、失神していた訳では無い。後から聞くと、その時の俺は中忍とは思えないほどの戦いぶりをしていたらしいです」
波の国で、九尾の封印が解けかけたときのナルトを、カカシは思い出した。
あの時の、禍々しく強大なチャクラを。
「三代目も人が悪いです。何度もAランク任務に就かせたり、暗部に送り込んだのは、俺が本当に『狐憑き』かどうか試してたんですね」
「…アナタに目を掛けていた火影様が、アナタを故意に危険に晒したと思うのですか?」
イルカはカカシを見、幽かに苦笑した。
「俺、怪我の治るのがすごく早いんですよ。異常な位に。だから危険は無いと、三代目は考えたのでしょうね」

不意に蘇った記憶に、カカシは背筋が寒くなる思いがした。
何年か前、暗部である小隊が一人を除いて全滅した事があった。
敵も全滅だった。
ただ一人の生き残りは中忍で、高度なトラップが扱える故に暗部に送られたのだと聞いていた。
その時は生き残りの名は聞かなかったし、暗部では仲間にも本名を明かさない事が多い。
だが、その生き残りがイルカであるのは間違いないと、カカシは本能にも似た何かで確信した。

「…アナタに罪はありません__ナルトに、罪が無いのと同じように」
「俺だって罪があるなんて思ってません…!」
相手に触れようとしたカカシの手を、イルカは振り払った。
「俺はずっと両親を殺した九尾を憎んできたんです。それなのに俺には、九尾の眷属が巣食っている。両親は死んだのに、俺が生きている限り、化け狐は俺の中で行き続けるんです。俺が…生きている限り……」
「イルカ先生……」
言うべき言葉が見つからず、カカシはイルカを抱きしめた。
火影の遺書には、憑依している妖狐を祓う方法は無いと書いてあった。
その事で、火影はイルカに詫びていた。
「…アナタが何者であろうと、俺はアナタを__」
「眷属どもも、多くの里人を殺したんです。俺の両親を殺したのは、俺に取り憑いている奴かも__」
「アナタを、愛しています……他の何者でもなく、誰でもなく、アナタを…愛しています……」
うわ言のように、カカシは繰り返した。
不吉な言葉を紡ごうとしているイルカの唇を、何度も口づけで塞ぎながら。





「__どうして…アナタが泣くんですか?」
暫くの後、傍らに横たわる男にカカシは訊いた。
「…俺はあなたが好きです。でも多分、恋はしていません。だから…あなたにこんな事をする積りはありませんでした」
カカシはイルカの頬に口付け、唇で涙を掬った。
「望んだのは俺です。アナタはただ、俺の望みを叶えただけ」
「でも俺は…そういうの、厭なんです。それに…乱暴にし過ぎましたし」
いかにも真面目なこの人が言いそうな台詞だと思い、カカシは幽かに笑った。
「その涙は、俺を憐れんでいるんですか?それとも、男の貞操を守れなかったから?」
「……判りません。自分が今、何を感じているのか…これからどうすれば良いのかも判らなくなりました…」
カカシはうつ伏せになって肘を付き、改めてイルカを見つめた。
身体の奥が痛んだが、構わなかった。
「約束は、守ってください」
俺を、独りにしないって言ったでしょ?__言って微笑したカカシを、イルカは綺麗だと思った。
「…俺は自害でもしない限り、死にそうにありません。でもそうしたら……いつか、俺があなたを喪わなきゃならなくなる」
「アナタが待っていてくれるなら、俺は必ず帰って来ます__どんな姿になっても」
「そして…俺の腕の中で死ぬ気ですか?」
その光景が脳裏に浮かび、胸の奥が痛むのを、イルカは感じた。
「そんなの…考えたくありません」
「だったら、考えるのは止めましょ」
言って、カカシは再び笑った。
「死ぬ他にも、やる事は幾らでもあります」
「……そうですね」
「これからどうすれば良いのか判らないなら、俺が教えてあげます」

俺と、恋をするんです

カカシの笑顔につられ、イルカも笑った。
「…悪くないかも知れません…」
イルカはカカシの肩に腕を回して引き寄せ、そして唇を重ねた。








Fin.



後書のようなもの
ここまできてやっとって感じです。イルカ先生、晩熟すぎ。でもノーマルなんだから仕方ないんです。
初期のカカミンの求愛が派手すぎたのも良くなかったようです(笑)
次はいよいよ(?)暗部です。

BISMARC



back


wall paper by Studio Blue Moon