(2)

翌日になっても、イタチの眼の炎症は鎮まらなかった。
「…気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど」
「何ですか?」
「こんな言い方をするのは医療忍として無責任かも知れない。でも…正直に言って、僕の薬の効き目には限界があるんだだから__」
「生き血を飲め、と?」
不機嫌そうに、イタチは言った。
だが眼に包帯を巻かれ力なく横たわっている姿は見るからに弱々しく、この話題になるとイタチが決まって発する憤りのチャクラも感じられない。
それだけ衰弱しているのだと思うと、シスイは胸が痛んだ。
「他人の生命を犠牲にしなければ失明してしまうなんて、まるで寄生虫のような生き方だ」
「…輸血用血液なら誰かを犠牲にしたりはしないよ。それに病気なんだから仕方ないじゃないか」
「だがこの症状は単に写輪眼を使いすぎた結果だ。一過性のものだとカカシさんは__」
「あの人は医療忍でも何でもないだろう…!」
思わず強く言ってしまってから、シスイは後悔した。
イタチは何も言わず、口を噤んだが、その姿は不安そうに見えた。
そしてイタチが不安そうにしているのを見るのは初めてだ。
「……ごめん……怒鳴ったりして……」
「……シスイ兄さんが怒鳴るのなんて初めてだ」
「本当に、ごめん。僕はただ……」
カカシの名を聞くたびに苛立つなんてどうかしてると、シスイは思った。

暗部医療棟で会った時の、カカシを思い出す。
二十歳の若さとは言え、上忍になって7年、暗部に入って6年のエリートだ。
銀色の髪と色違いの双眸はエキゾチックで、口布で顔の半分を覆っていてもその端整さがうかがい知れる。そしてその態度は落ち着いていて、身体はしなやかだ。
暗部に何人も情人がいるという噂は本当なのだろうと思わずにいられない。
イタチはカカシを信頼しているようだが、カカシにとってイタチは何人もいる情人の一人に過ぎないのだろう。
そう思うと、苛立ちが募る。

「…カカシさんは凄く綺麗な人だしチャクラの量と質から実力のある忍だって事も判る。だからイタチがあの人を信頼する気持ちは判るけど、あの人は医療忍じゃないし、うちは一族だとも呼べない」
「俺は見た目や思い込みで人を判断したりはしない。シスイ兄さんを信頼していない訳でも無い」
「だったら……明日になっても炎症が鎮まらないようなら、血を飲んでくれるよね?」
イタチは答える代わりに溜息を吐いた。
「サスケも写輪眼を会得したら、人の生き血を啜り、生き胆を喰らう事を強制されるのだな」
「…サスケはまだ6歳だよ」
「俺が写輪眼を会得したのは8歳の時だ」
8歳で写輪眼を会得したのは例外的に早かった。
それだけに失明予防のためとは言え、人間の生き血を飲み、生き胆を食べる事に激しい嫌悪感を示したのも無理は無い。
シスイ自身は下忍になった歳に初めて人間の生き血を飲んだ。
他の飲み物と混ぜて味も匂いも誤魔化され、それが何であるのか知らされずに飲まされたのだ。
それが実は何であるのか知った時にはショックだった。
だが飲まなければいずれ失明してしまうのだと言い聞かされ、人の血を飲むことへの嫌悪より、失明することへの恐怖が勝った。
写輪眼を持たない自分ですらこうなのに、幼くして写輪眼を手に入れたイタチが失明の危険性を恐れずにいる事に、シスイは感嘆すると同時に羨望に似た気持ちを抱いていた。
「俺が飲めと言えば、サスケは飲むんだろうな」
暫くの沈黙の後、イタチは言った。
「…サスケはイタチの言う事なら何でも聞くからね」
「俺が飲まなければ、サスケも飲まない……」
イタチはもう一度、深く溜息を吐いた。
「…俺のせいでサスケを失明させる訳には行かない…」



イタチの回復は思わしくなかった。
チャクラの回復も充分ではなく、炎症が原因と思われる微熱が続いた。
そして3日目になっても、眼の炎症は鎮まらなかった。
シスイはうちは一族の別の医療忍に頼んで輸血用血液を手に入れ、イタチは止むを得ず、それを飲んだ。
翌日になると眼の炎症は大分治まったが、食欲が落ち、体力とチャクラは一向に回復しなかった。
シスイは内心の不安が募るのを、何とかイタチに気取られまいと努めた。
「…ミコト叔母さんに事情を話して来て貰おうか?」
4日目の昼、食事に殆ど手をつけなかったイタチにシスイは訊いた。
「母上に?何故」
「僕の作った物じゃ、イタチの口に合わないみたいだし。それに病気や弱っている時って、お母さんに側にいてもらうと安心するものだろう?」
イタチは軽く笑った。
「そうやってまた子ども扱いする。俺とシスイ兄さんは3つしか違わないのに」
「『イタチはちっとも甘えてくれない』って、以前、叔母さんが愚痴ってたよ」
「俺にサスケのようになれ、と?」

シスイはすぐには答えなかった。
イタチのサスケに対する態度は冷たすぎるのではないかと思うことが度々ある。
だが周囲の者たちが思っているように、イタチがサスケを嫌っているのでない事は、シスイには判っていた。

「サスケは父上にも母上にも甘えすぎだ。何より、俺に依存しすぎている。甘えや依存は本人の為にならない」
「6歳なら、甘えても良いんじゃないかな。それに君に依存してるって言うより、君の事が大好きなだけだと思うけど」
「それが__」
途中で、イタチは言葉を切った。
訝しんだシスイが口を開こうとした時、玄関の戸を叩く音がした。
「…誰だろう」
「カカシさんだ」

「隊長に言われて様子を見にね」
出迎えたシスイに、カカシは微笑って言った。
とても暗部の戦忍とは思えない穏やかさだと、シスイは思った。
「どうしたんですか、一体?」
カカシが病室に入ると、ベッドの上に半身を起こしてイタチは訊いた。
「起きなくて良いよ。近くまで来たついでにちょっと寄ってみただけだから」
言って、カカシは軽くイタチの肩に触れ、再び横にならせた。
「お茶を」と、半ば独り言のように呟いて、シスイは部屋を出た。
「それで、眼はもう大丈夫なワケ?」
「炎症と痛みは収まりました」
「そりゃ良かった」

言って、カカシは一旦、言葉を切った。
それから続ける。

「カシワはそもそも救援の為の出撃命令を受けていなかった。それなのに何であんな所にいたのかって話も出たケド、あいつは暗部でも余り評判が良くなかったからね。そーゆーヤツが死んでも、誰もさして気に留めない」
お前の働きは皆、誉めてたよと、カカシは言った。
イタチはただ「そうですか」とだけ答えた。
「俺が駆けつけた時には敵の残党が少し残ってて、カシワはそいつらに殺られたってコトにしておいた」
「…有難うございます」
カカシは軽く笑い、イタチの前髪を軽くかきあげた。
「やっぱりお前、目つきが悪いんだよ。そうやって包帯してるとすごく大人しく見える。それに髪を降ろしてるせいか、別人みたいで何だか可愛げがあるじゃない?」
「……からかわないで下さい」

イタチが自分の手を振り払わないことを、カカシは意外に思った。
見舞いに来て貰って喜ぶような性格ではあるまい。
だが見たところチャクラの回復もままならないようで、それだけ弱気になっているのかも知れない。
或いはただ単に、包帯のせいで眼が見えず、じっと寝ていなければならない為に退屈していただけかも知れないが。

「…カカシさんも以前に写輪眼の使い過ぎで炎症を起こしたことがあるんですよね?」
「使い慣れていない頃に、何度かね」
「その時…回復にどれくらいかかったんですか?」
「俺の場合は、チャクラの回復も合わせて大体一週間くらいかな」
答えながら、イタチは矢張り不安なのだろうとカカシは思った。
意外な気もするが、イタチがそんな『人間らしい』感情を持っている事に、一種の安堵を覚える。
「…使い慣れるまでには、やはり時間がかかったんですか?」
幾分か遠慮がちな口調で、イタチが訊いた。
「…ま、ね。最初はまともに焦点も合わなくて、散々だった。使い方も禄に判らないし、チャクラはやたらと消耗するし」
「それでも、後遺症も無く回復したんですね?」
答える代わりに、カカシはイタチの髪を軽く撫でた。
「そう、心配しなくても大丈夫だよ」





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