(5)

イタチは驚いた表情を浮かべたが、それは一瞬の事でしかなかった。
夜闇を思わせる瞳に侮蔑の色を浮かべ、まっすぐにこちらを見上げて来る。
苛立ちが増すのを、カカシは感じた。
「…お前、平然と赤ん坊でも殺すそうなじゃない?だったらその無駄に高いプライドも棄てれば?」
言って、カカシはイタチの頬に軽く触れた。そのまま指先を滑らせ、唇を辿る。
イタチはカカシの手を振り払うでもなく、黙ったまま相手を見上げた。
が、イタチに受け入れる気がないのは明らかだった。
抵抗する素振りを見せないのはカカシが本気でないと思っているからか、反撃などいつでも出来るという余裕からか。
いずれにしろ、イタチの態度はカカシの神経を逆撫でした。
「名門の嫡男だかなんだか知らないケド、何度かマワされたら少しは態度が変わるかもね」
「…何があろうと、誇りを棄てる気はない」
「だったら試してみる?お前が男たちに喘がされ泣き叫ぶ姿が見たい」
カカシが冷笑して言うのを、イタチは黙って見つめていた。
それから、口を開く。
「『平然と』赤ん坊を殺せなかったのが、あなたが苛立っている理由ですか?」
ピクリと、カカシの指が震えた。

前夜の暗殺任務で、生後数ヶ月の赤子を殺めた。それも、母親が見ている眼の前で。
母親は暗殺対象ではなかった。むしろ生かしておくように命令されていた。
どうしてそんな真似をしなければならないのか、何故こんな任務を受けなければならないのか、問うことは無意味だし、赦されてもいない。
木の葉の暗部装束ではなく武士の一団に変化しての任務だった。
何らかのお家騒動に木の葉が関わったのだろうが、それ以上を知らされる事はない。
帰還し、遣り切れない気持ちを何とかしたくて情人を部屋に引き入れた。いつもならそれで何とか気を紛らわせることが出来たが、今回は無駄だった。
体力の限界まで激しい情交に身を委ねても、心は奇妙に醒めてゆく。
自分が手にかけた赤子の小さな身体と乳臭い匂い、真っ青になってこちらを見つめていた若い母親の顔が眼の前にちらついて消えない。
それでも表面は平静を装った。
任務の最中も、終わってからも。
イタチが躊躇いもなく赤ん坊を殺すのだと聞かされた時も。
だが自分で思っていた以上に苛立っていたのだと、カカシは思った。

「俺はただ、その時為しうる最善の事をしているだけです」
静かに、イタチは言った。
カカシは改めて相手を見た。

殺しを愉しんでいるようには見えなかった
むしろさっさと終わらせちまいたいって感じだったし、返り血を浴びるのは嫌いみたいだ

つい今しがた聞かされたばかりの情人の言葉が、カカシの脳裏に蘇った。
暗殺の手際が鮮やかだったからと言って、イタチがそれを平然と為したのだとは言い切れない。
だが暗部の新入りで何の躊躇いも無く暗殺任務をこなせる者を、カカシは見たことが無い。
それでも、馴れるのが早い者はいる。
そういう手合いは自分の感情を切り捨てる事に長けていて、何事に対しても無感動だ。
イタチはそういうタイプには見えない。
感情を切り捨てた者からこれほどのプライドは感じられないし、かと言って殺しを愉しむタイプでもなさそうだ。
「……為しうる最善の事を為す__何のために?」
「うちは一族の名と誇りを護る為に」
イタチの言葉に、カカシは哂った。
「何ソレ。そーゆー風に躾けられて育ったの?」
「そうです。そしてそれは、俺の意志でもある」
カカシは、哂うのを止めた。
「大名のお家騒動の手先となって女子どもを殺す事にでも、誇りを持てるのか?」
「忍は恨まれて生きるのが道理。手を血で汚すことは避けられない」
「覚悟は出来ているって言いたいワケ?本当は返り血を浴びるのも嫌いな癖に」
幽かに、イタチは眉を顰めた。
「名誉だの誇りだのなんて棄てろよ。その方が楽になれる」
「それで、あなたは楽になれたんですか?」

カカシが下忍になったのは5歳、中忍になったのは6歳の時だ。
周囲から『天才』と呼ばれるに相応しい業を身に付け術を使いこなしてはいたが、世の中の事などなにも知らず、言われるままに任務をこなしていた。
任務をこなせば父のサクモが誉めてくれる。ただそれだけが嬉しくて、子供らしさと無縁の生活を送ることに疑問も不満も感じなかった。
それが変わったのは、サクモが自殺してからだ。
潜入任務の為に身体を張る事を初めて命じられたのは、サクモが亡くなったひと月後の事だった。
それまでもカカシは諜報を主体とした潜入任務を命じられることが少なくなかった。
子供であれば周囲が油断するだろうとの考えからだ。
そして更に敵の油断を引き出しやすくする為、身体を利用することを強いられた。
結果として確かに潜入は容易になったが、身体を慣らしておく為という口実の下、繰り返し仲間の忍たちから陵辱され続けた屈辱は、今でも忘れられない。

周囲に心を閉ざし、ただ任務を遂行する事のみを全てに優先させていたカカシに手を差し伸べたのは、後に四代目火影となる上忍師だった。
四代目は上層部の反対を押し切ってカカシに同い年の下忍たちとスリーマンセルを組ませ、仲間を大切にする事を教えた。
が、自らが何度も捨て駒にされた経験のあるカカシは、四代目の言葉に耳を貸そうとしなかった。
生き残れるのは、強い者だけだ。
仲間を思いやる気持ちなど、枷にしかならない__そう自らに言い聞かせた。
そしてあの日、オビトは死んだ。
カカシに、写輪眼を遺して。

喪って初めて、四代目やオビトが自分にとって大切な人たちだったのだと、カカシは思い知らされた。
大切な人を護る時にこそ、人は強くなれるのだとも気づいた。
それを、四代目は身をもって__自らの生命と引き換えに__教えてくれた。
四代目の死後すぐに命じられて暗部に入ったカカシは、暗殺任務を繰り返すうちに目的を見失っていった。
何の為に殺すのか
何の為に生きるのか
何の為に忍であり続けるのか__
『里を護る』という名目ではとても納得できない地獄絵図を何度も見せ付けられ、それを引き起こしたのが自分であるという事実に慄いた。
罪悪感と云う苦しみから逃れたくて、感情を切り捨てようと足掻いた。
男にも女にも手当たり次第に声をかけ、乱交まがいの行為に耽っていたのもその頃だ。
そしてある日、鏡の中に『死人』を見た。
鏡に映った自分は、自殺する数日前の、憔悴しきったサクモと同じ眼をしていた。

「……楽になんて、なれるワケが無い」
独り言のように呟くと、カカシはイタチから離れた。
「痛み止めを飲んだからって傷が癒える訳じゃない。お前が俺を軽蔑したのは、俺が男に抱かれてるからじゃなくて、それで全てを誤魔化そうとしているからだ」
「…あなたを軽蔑してはいません」
身体を起こし、イタチは言った。
「俺はまだ、あなたの事を何も知らない」
「……知る必要も無い。お前は真の写輪眼継承者だ。俺の周りを突付いたところで得るものなんて何もないよ」
「そうでしょうか」
カカシはイタチを見、それから視線を逸らせた。
「煩わされるのはゴメンだ」
イタチは暫く黙っていたが、やがて「帰ります」とだけ言ってカカシの部屋から出て行った。
「…関わるんじゃなかった…」
ぼやくと、カカシは褥の上に疲れた身体を横たえた。






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