![]() 軽く髪を撫でていると、やがてオラクルが眼を覚ました。オラトリオの姿を見て、嬉しそうに微笑む。 「起きてたんだ。もう、大丈夫なのか?」 「俺は最初っから何でもないぜ」 「でも…すごく疲れてるみたいだったから」 疲れている__それは、最も無難なキーワードだった。オラクルがオラトリオの苛立ちを感じ取った時、オラトリオがオラクルに優しく接する事が出来ない時、その言葉は免罪符のように使われた。そして、それは殆どの場合、うまく機能した__いつもという訳では無かったが。 疲れてるせいなんかじゃ無えぜ 言う代わりに、オラトリオはオラクルを抱き寄せた。躊躇いも無く、オラクルは相手の背に腕を回す。 必然的に、オラクルの白い項と華奢な肩がオラトリオの視線に晒される。そして、オラトリオは自分の欲情を隠そうとは思わなかった__隠しても、無駄な事だ。 オラトリオはオラクルの首筋に唇を這わせた。同時に、ローブの下に手を忍ばせ、弄る。オラクルは幽かに甘い吐息を漏らし、オラトリオに身を委ねた。 今でも『あの男』を愛しているのか? 問う代わりに、オラトリオはオラクルを抱き上げた。そして、出てきたばかりのプライヴェートルームに戻る。オラクルがオラトリオの隣で眠っていたなら、こんな余計な手間は省けた。 余計な苛立ちも。 「…オラトリオ…」 焦らすような愛撫に、オラクルは幾分か恨めしそうに相手の名を呼んだ。鈍い金色の髪に、白い指を絡めて弄る。 オラトリオは、オラクルの肌に歯を立てた。 「や…痛…っ」 オラクルの抗議に、オラトリオは却って強く相手を噛んだ。それから、優しく舌を這わせる。オラトリオの髪に絡められたオラクルの指に、力がこもる。 お前は『あの男』を忘れていない。それなのに何故、俺が受け入れられる? 「オラトリオ…」 吐息と共に、オラクルは相手の名を呼んだ。 そう…俺がオラトリオだから。 だが、俺は… 「…意地悪なんだから…」 暫くの後、拗ねたようにオラクルは言った。散々、焦らされた挙げ句、乱暴なほど激しい愛撫に晒されたオラクルは、不本意に流した涙を指で拭った。 「…お前が泣くのを見たかった」 オラクルの指に口づけ、涙を唇で掬いながらオラトリオは言った。 「意地悪」 もう一度、言ったオラクルを、オラトリオは抱き寄せた。オラクルが拗ねて抵抗するかと思ったが、そうはならなかった。素直に、オラクルはオラトリオの背に腕を回す。それも余所余所しい気遣いであるように、オラトリオは感じた。そして、全てを悪く感じ取る自分に嫌悪を覚えた。 「愛してるぜ…」 オラクルを抱く腕に力を込め、囁くようにオラトリオは言った。 「私も、オラトリオ」 『オラトリオ』『オラトリオ』『オラトリオ』… そう。俺がオラトリオだから。お前が俺に気を遣い、受け入れ、愛しているように振舞うのは。 オラクルが目を覚ました時、オラトリオはまだ眠っていた。二人とも一旦、仮眠を取った後だったが、それが充分ではない程に疲れていたのだ。 それでも、オラクルは満ち足りた気分だった。 オラトリオが側にいてくれる__それだけで、安心できる。 オラトリオが不在だった間のことを思い、オラクルは軽く身震いした。何よりも、あの日の事__調整を受けてからは落ち着いたが、それでもあの日を思い出すと、今でも吐き気がする。 僅かな隙を埋めるように、オラクルはオラトリオにしっかりと腕を回した。 彼らは、複数の不法侵入者(クラッカー)からなるグループだった。複数の経路から同時に<ORACLE>に襲撃をかけ、ステルス型のウイルスを大量に送り込んできた。それらが、彼らにとってステルス型のハンターキラーであるオラトリオの位置を捕捉し、集中的にキラーウイルスを差し向けたのだ。 あんな事は初めてだった。 オラクルは恐怖に震えながら、危険度が閾値を越えたのを感知した。即座に、プライオリティの高いデータから圧縮を始め、安全が確保されているLANを通じて外部の大規模記憶装置に送り出した。そして、セーブの済んだ記憶装置の電源を切断して接続を絶つという作業を繰り返した。そして、退避済みのデータのオリジナルは消去する。こうしておけば、クラッカーに侵入されてしまっても、データは護れる。 データだけは。 ――そちらの様子を教えてください、オラクル。キラーウイルスに阻まれて近づけないのです カルマからの通信を、オラクルは半ば呆然と聞いていた。危険が判ったとき、オラクルはT・Aに救援を求め、コードとカルマが<ORACLE>に降りた筈だった。けれども彼らは<ORACLE>に近づく事も出来ず、状況把握の為にカルマは一旦、ボディに戻ったのだ。 ――無理だよ、カルマ… オラクルの唇をついて出た言葉はそれだけだった。大量データの圧縮と退避を最優先し、殆どのシステムリソースを注ぎ込んでいる。その上、苦戦するオラトリオのナビゲートに精一杯で、リンクもされていないカルマ達に状況を伝える余裕など無かった。 何よりも、恐怖のせいで、身が引き裂かれる思いだった。 侵入者に対する恐怖。 ウイルスに対する恐怖。 データを奪われる恐怖。 そして、リンクを通じ、容赦なく流れ込んでくるオラトリオの感じている恐怖… 「…オラクル…?」 オラトリオに名を呼ばれ、オラクルは我に返った。ひどく強くオラトリオに縋り付いていたのに気づき、慌てて腕を緩める。 「どうしたんだ?」 幽かに震えているオラクルに、オラトリオは優しく聞いた。 「__怖い…」 大丈夫だと言う積りだったのに、口を突いて出た言葉はそれだった。そのせいで不安が強まり、一旦、緩めた腕を、再び強くオラトリオに巻きつけた。 「…俺がここにいるだろ?」 言って、オラトリオはオラクルの髪をそっと撫でた。頼られるのは嬉しい。けれども、こうやって自分が側にいるのにオラクルが怯えているのが、口惜しい。 俺が側にいるのに、何がそんなに不安なんだ? そう、問いたい。だが、問える筈が無い。答えは、判っているから。 華奢な身体を小刻みに震わせ縋り付いてくるオラクルを、オラトリオはしっかりと抱きしめた。 「酷く怖い思いをさせちまったんだな」 『あの男』が、しっかりしてなかったから ぽつりと言った相手を、オラクルは間近に見つめた。幾分か、驚いたように。それでも、意外そうでは無かった。 「…お前はオラトリオだよ」 苦い笑いに幽かに口元を歪ませる相手に、オラクルは言った。半ば困惑したように、半ば諭すように。 そういう風に、お前は調整されてるって訳か その言葉を、オラトリオは口にしなかった。思うだけで、心臓を鷲掴みにされているかのように苦しい。 いつか俺が停止した後にも、そうして新しい守護者(オラトリオ)を受け入れるのだろう。僅かばかりの戸惑いと共に。 そう。僅かばかりの。 何年か後に自分が停止し、数ヵ月後には後継機が造られる。そして、"いつもの様に"、<ORACLE>に降りる。 お帰り、オラトリオ 変わらぬ穏やかな口調。変わらぬ優しい微笑み。細やかな気遣いと、心からの信頼と… 「お前がいない間、ずっと不安だった」 囁くように、オラクルは言った。あの日、何があったのかオラトリオは知らない。彼の前任者の受けたダメージが大きすぎて、記録が残っていないのだ。 だが、オラクルはその場にいた。そして、その恐怖を経験していた。 「…話してくれないか?」 躊躇った後、オラトリオは言った。ずっと、躊躇っていた。それをオラクルに話させるのは余りに酷だ。けれども、彼は共有する事を望んだ。その、恐怖を。 あの日、<ORACLE>で何があったのか、最もよく知っているのはオラクルだ。そしてその記憶のせいで、オラクルは未だに傷ついている。それなのに、オラトリオは__あの日の襲撃で停止した前任者の後継機である彼は__あの日の事に関して、何も知らない。 あの日、<ORACLE>を襲ったクラッカーたちは、それまでのどんな侵入者よりも巧妙で手強かった。それを察知したオラクルはT・Aに救援を求め、次いでT・Aへの専用回線を除く全てのネットワークを切断した。これにより、全てのユーザーは<ORACLE>にアクセス不能になる。オラトリオが造られてからは経験したことの無い非常事態だった。 ネットワークを切断したため、クラッカーたちは彼らのウイルスをモニター不可能になった。それ以上のウイルスを送り込むことも出来ない。が、既に侵入していたウイルスたちは狂ったようにオラトリオに襲いかかった。 ウイルスの一部が、唯一、残されたネットワークを探し出し、侵入したのはその戦いのさなかだった。彼らは、オラトリオのボディに入り込んだのだ。 「コードとカルマに"うえ"に戻るように言えって…私には何が起きたのか判らなかった。迷っている時間も無かった。お前の言葉をカルマに伝えて…」 オラクルの語尾が、幽かに震えた。オラトリオの背に回した腕も。 「…ハードごと、破壊されたって訳か…」 僅かに苦笑して、オラトリオは言った。それこそ、彼が__彼の前任者が__侵入者に対して為してきた仕打ちだ。侵入者達の目的はデータであり、報復ではなかっただろう。けれども、結果としてそうなった。 オラトリオは、子供でもあやすように、オラクルの背を撫でた。オラクルが怯えていることが、却って彼に落ち着きを与えていた。 「それで、どうやってお前は助かったんだ?」 オラクルが落ち着くまで少し待って、オラトリオは聞いた。 「…判らないよ。お前は私とのリンクを切ってしまったから。T・Aとの回線も切断した」 全てが終わってから、オラクルは<ORACLE>本体のコンソールから、オフラインで呼びかけられたのだった。 呼んだのは、オラトリオでは無かった。 何があったのか想像はつく。ネットワークの切断によって、ウイルスどもは<ORACLE>の周縁領域に閉じ込められた形になったのだ。そして、生物界のウイルスと同じ運命を辿った。すなわち、オラトリオに巣食い、破壊し、宿主の滅亡とともに滅んだのだ。 「お前が無事で良かった」 暫くの後、オラトリオは言った。心から、そう思った。与えられた使命を__唯一の存在理由である義務を__『オラトリオ』は果たしたのだ。それは、誇って良い。 「これからも、お前は俺が護る__何があろうと」 それが人間に与えられた義務だからでは無く、最愛の者に誓った約束だから。 「信じているよ、オラトリオ。愛している…」 喩え、レプリカであろうと、クローンであろうと、バックアップであろうと__ 「…俺もだ、オラクル」 ひっそりと鎮まった薄闇の中で、二人はお互いを、しっかりと抱きしめた。
fin.
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