(2)




「…っ…」
目覚めた時、カカシは鈍い痛みに思わず低く呻いた。
蕩けるような熱も冷め、残滓に塗れた身体はボロ布のようだ。
「……イルカ先生…?」
返事が無いのがわかり切っていながら、愛しい名を呼ぶ。
やっとの思いで何とか身体を起こし、イルカが掛けておいてくれたのだろう薄い毛布に身を包んだ。

元々、イルカはこの手の行為に対して積極的では無かった。
三代目の葬儀の前までは、何度かカカシが誘ってもすげなく拒絶された。漸く結ばれてからも、誘うのはいつもカカシで、イルカから求めてくる事はなかった。
それでも、カカシが求めれば、イルカはいつも応えてくれた__暗部に戻るまでは。

それが今は、拒絶されることの方が多くなった。
だが、イルカが冷たくなったとはカカシは思わなかった。思えなかった。そんな事を僅かでも考えれば、不安でいたたまれなくなるから。
イルカが応じてくれる時には、いつも気を失うまでイルカを求めた。
何度も深く交わる内にイルカの冷たい肌も熱く変わり、脳髄まで蕩けてしまいそうな熱に、カカシは全てを委ねた。
そうしていれば、愛されているのだと信じられる。
余計な事など何も考えなければ、不安にならなくて済む。
だから、意識を失うまでイルカを求め__そしてこうして一人で目覚めるのだ。

「…今、敵に出くわしたらひとたまりも無いよねー」
カカシはぼやくと、脱ぎ散らかされた服をかき集め、毛布を巻きつけただけの姿で立ち上がった。
川で水でも浴びなければ服を着られる状態ではない。
すっかり冷たくなった情事の痕はただ不快なだけ。だがカカシはその事を敢えて意識から切り離した。
「それに、こんな姿を人に見られたら良い笑いもの……」
歪んだ笑みが、カカシの虚ろな顔に浮かぶ。
「見た奴は殺しちゃうから、どーでも良いけど」

川の冷たい流れで身を清めると、霞がかかっていたような意識がはっきりとして来る。
身体を乾かしてから服を身につけ、毛布をたたんでカカシは仲間の元に戻ろうと踵を返した。
次の瞬間、カカシは気配を消し、物陰に身を潜めた。
イルカが、あの赤毛の女と一緒にいる姿を見たのだ。
「伝言を受け取って、ナルトは馬鹿みたいに喜んでいましたよ。あの子供は本当に主様の事を慕っているようですね」
完璧な美貌に冷笑を浮かべ、女は言った。
「自分を認めてくれるのは俺だけだと思っているからな__今のうちは、だが」
無表情で、イルカが言う。
暗部に戻ってから__と言うより自分の真の姿を自覚してから__イルカは冷淡な口調でナルトの事を話すようになった。
それは別に構わないと、カカシは思った。
構わないどころか、むしろその方が良い。
ナルトの事を話す時のイルカの優しそうな瞳に嫉妬を感じるようなみっともない真似は、もうしなくても済むのだから。

それにしても、と、幾分、不満そうな口調で赤毛の女が言う。
「あのカカシとかいう人間をいつまでお側に置いておかれるお積りなのです?」
「言った筈だ。あれは、九尾を斃す為に必要な手駒だ。その為に時間をかけて支配下に置いた」
指先が幽かに震えるのを、カカシは感じた。
「人間など役に立つものですか。それより他の地に散らばっている眷属を集めれば__」
「駄目だ」
短く、イルカは言った。
「これ以上、一族の貴重な血を流すわけには行かない」
「…だから人間の力を利用なさるのですか?」
「それも理由の一つだ。が……人間の力は侮れない。九尾を封印したのが他ならぬ人間であったと、忘れた訳ではあるまい?」
女は不満そうな表情で、幾分か苛立たしげに美しい赤毛をかき上げた。
「…カカシがヒジリ程の力を持っているとは思えません。うちは一族でもなく、所詮は似非写輪眼ではありませぬか」
イルカはすぐには答えなかった。
女から視線を逸らし、遠くを見遣る。
「…大切な誰かの為ならば、人は、時には持てる以上の力を発揮する……」
女は何か言いたげに口を開いた。が、何も言わなかった。
イルカが軽く手を振ると、女の姿はかき消えた。



「…イルカ先生…?」
振り向いたイルカが幽かに驚きの表情を表したのを見て、カカシは声を掛けたことを後悔した。
「……聞いていたんですね」
「聞いていましたよ。でも__」
途中で、カカシは言葉を切った。
でも、何なのだ?

眷属の女に語ったことは本心では無いとでも、言って欲しいのか?
どんな事があろうとアナタを愛していますと、言ってみたいのか?
だから、アナタも俺を愛していてくださいと、愚かにも縋りたいのか…?

「……アナタが今まで俺に優しくしてくれてたのは、俺を利用したいが為だったんですね?」
自分の意思ではない何かに動かされるように、カカシは言った。
「…カカシさん…」
「ナルトに優しくしていたのも、同じ。ナルトの力を利用して、九尾を滅ぼしたかったから__そうなんですね?」
イルカは改めてカカシを見た。
カカシはもう、狂っている筈だ。狂わせたのはイルカ。
だが、カカシにはまだ判断力が残っている。そして、そうである事を望んだのもイルカだ。
「……確かに、暗部に戻ってから自分の本当の姿を知ったというのは嘘です」
静かに、イルカは言った。
カカシにはまだ理性が残っている。ならば、嘘を吐いても見破られてしまうだろう。
「命婦が俺の前に現れて俺の封じられていた記憶を解き放ったのは、十年くらい前の事でした」
「…ミョウブ?」
「あの赤毛の女__俺の眷属の事です」
無論、本当の名前ではありませんがと、イルカは続けた。
「記憶を取り戻した時、俺は散り散りになった仲間に会いたいと思いました。それまでずっと孤独だったから。僅かだけど本当の仲間がいる事を知って、嬉しくもありました。そして……改めて九尾を強く憎んだ…」
黙ったまま、カカシはイルカの横顔を見つめた。
夜はとうに更け、蒼白い月の光に照らされたイルカの顔は、血の通わぬ人形のように見えた。
「仲間と会いたい。けれども仲間が数多く集まれば、それは九尾の知るところとなります。今はナルトの体内に封印されているが、完全に滅んだ訳では無い。だから九尾を滅ぼしてしまわない内には、俺はおちおち仲間と会うことも出来なければ、一族の復興など望めもしないのです」
「……俺に、眼を付けたのは…?」
イルカはカカシを見、それからまた視線を逸らした。
「九尾を封印した四代目火影。その弟子の一人であるあなたには興味がありました。もしかしたら、九尾を完全に滅ぼす力を持っているのでは無いか…と」
話しながら、イルカは僅かに乱れた黒髪をかき上げた。
その何気ない仕草がとても美しいと、カカシは思った。
「…あなたに初めて会ったのは、十年近く前の事です。この暗部で。そしてその時、あなたは九尾を滅ぼすだけの力を持った人だと、俺は思ったんです」
「……何故?」
「…判りません」
幽かに苦笑して、イルカは言った。
初めに目を付けていたのはオビトの方だった。
九尾を封印した四代目の弟子にして、写輪眼を持つうちはの一族。
だが直に会うことも出来ぬまま、オビトは死んでしまった。
それでカカシに__オビトの親友だった男に__興味を持ったのだ。
「理由は自分でもよく判りません。でも、あなたに初めて会った時に……俺は、あなたが欲しいと思いました……」
「…俺の、力を…?」
イルカはカカシの頬に軽く触れた。
「いいえ…。あなたの全てを」
イルカの指先は冷たいのに、触れられた部分が熱くなるのをカカシは感じた。

俺を…愛しているんですか……?

決して、口にする事の出来ない問い。
否定されてしまったら、自分がどうなるのか判らない。

「あの時からずっと、俺はあなたに惹かれていました」
「だったら…俺を抱いて下さい」
イルカは幽かに眉を顰めた。
「…もう、無理でしょう?さっきも__」
「抱いて下さい__俺を…愛しているのなら……」
イルカは暫く黙ったままカカシを見つめ、それから口づけた。
「愛しています……」

嘘デモ良イ……






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