(3)




矢張り、余程疲れていたのだろう。カカシはすぐに深い眠りに落ちた。
イルカはカカシの髪を優しく梳き、それからカカシの周囲に結界を巡らせる。
情事の後、無防備な眠りに落ちたカカシを保護するために、いつもこうして結界を張っている。だがそれはカカシが眼を覚ますと同時に解ける仕組みになっているので、カカシが気づく事は無い。
「…愛していますよ。あなたの事も、ナルトの事も…」
カカシの髪を撫でながら、イルカは囁くように言った。
ナルトを手懐けるのは簡単だった。
担任教師という立場だったのが有利に働いたし、陰でミズキを唆し、ナルトを庇って怪我をしてみせたのも功を奏した。
カカシを手に入れるのはそれ程、容易ではなかった。
オビトを喪ってからのカカシは冷淡で自棄的で、真剣に誰かを想う事など二度と無いかに思えた。
だから、カカシから「好き」だと言われた時、すぐには応じなかった。
ゆっくりと時間をかけ、時には拒絶し、時には諍いながら、カカシとの距離を埋めていった。
そして、機が熟したと思われた頃に、自分の本当の姿をカカシに見せたのだ。
本当の自分を知られても、カカシを失う虞は無いと思っていた。それほど二人の心は深く結びついているのだと信じていたから。
けれども、そのままで行けばカカシの心が離れてしまうのは目に見えている。
だから、カカシを狂わせた。
敢えて自分の残忍な面をカカシに見せつけ、『うみのイルカ』の優しさを愛し、温かく包まれる事に慣れていたカカシの心を引き裂いたのだ。
だが、目論見どおりに事が運んでいるとは言いがたい。
カカシは今、迷っている。そしてそれはイルカ自身に迷いがあるせいだ。

時折、ナルトをこのままそっとしておいてやりたいと思う時がある。九尾の力が解放されてしまう可能性など極、低いのだから、ナルトの生命まで奪う必要は無いのでは…と。
だが九尾の力を狙う者は多く、彼らにその力が渡ってしまう事は、絶対に防がなければならない。そしてそれは、一族の生き残りとしての自分の責務だ。
イルカは、改めてカカシを見つめた。
こうして無防備に眠る姿を見ていると、カカシを利用するのが心苦しく思えてくる。だからいつも、結界だけ張ってカカシの側を離れるのだ。
カカシに対する自分の気持ちが恋なのかどうかは判らない。
確かなのはただ、カカシの全てを自分のものにしたいという独占欲と、手放したくないという執着心。
それは恐らく、優しさとは程遠く浅ましい感情なのだろう。それどころかカカシに対してひどく残酷な事をしているに違いない。
それでも、この想いは断ち切れない。
「……人の心もろくに操れないなんて、俺はあやかしとしては半人前ですね……」
苦く笑って、イルカはカカシの額にそっと口づけた。





カカシが次に目覚めた時、すっかり朝になっていた。
早朝の冷たく澄んだ空気が、酔いから醒めた様な感覚をもたらす。
全ては、偽りだったのだ。
イルカのわけ隔てない愛情も、忍でありながら生命を大切にする真摯さも。
照れくさそうな笑顔も、まっすぐに見つめてくる真剣な眼差しも。
時には強く抱きしめ、時にはただ側にいれくれる優しさも、何度も交わされた約束も、愛の言葉も全て。

憤りは感じなかった。
今までずっと騙されていたのだから、怒りを感じても無理はない筈なのに、不思議と怒りは感じなかった。
それ以外の、どんな感情も。
オビトを喪った時のように、全ての感情が麻痺している。
あの頃は、二度と笑う事など無いだろうと思っていた。
自分の住むべき世界は死と闇に閉ざされ、暖かい光など縁のないものと思っていた。
血と罪で穢れた身に、幸せなど望むべくも無いのだと思っていた__イルカと出会い、イルカに恋をするまでは。

「…カカシさん?」
背後から声をかけられ、カカシは自分が声を上げて嗤っているのに気づいた。
「カカシさん……」
「放っておいて下さい__これが…笑わずにいられますか?」
イルカは手を差し伸べかけたが、止めた。
カカシは嗤い続けた。
「ずっと騙されてたのに気づきもしないで…愛されていると思い込んでいただなんて……」
「……俺は、あなたを愛しています……」
「無意味な嘘は止めて下さい。俺を愛してる振りなんかしなくてもアナタの望みは叶えてあげますよ。だから…もう、嘘は……」
イルカはカカシをそっと引き寄せ、流れ落ちる涙を唇で掬った。
「信じてくれなくても、俺はあなたを愛しています。多分…初めて暗部で会った時から」

不意に、カカカシの脳裏に9年前の記憶が蘇った。
狐の面を決して外そうとしなかった少年。
巧みなトラップで敵に囲まれたカカシを助け、『トウメ』と名乗っていた。

「__トウメ……アンタ、あの時の……」
「…思い出してくれましたか?」
専女(とうめ)は狐の異名だ。
トウメと名乗った少年はすぐに暗部から離れ、カカシが少年の事を思い出すことも無かった。
「……確かに騙したワケじゃない。アンタは自分が妖狐だって、最初に俺に言ったんだ。ただ俺がそれに気づかなかっただけで」
でも、と、カカシは続けた。
「アンタは俺を罠に嵌めた。トラップが得意なんだと自分でも言ってたけど、本当に…見事な罠に」
イルカは否定も肯定もせず、黙ってカカシを見つめた。
漆黒の瞳は深い湖のような静かな光を湛えている。
カカシはイルカの眸が好きだった。その眸を見つめていると、不条理も憤りも不安も忘れ、穏やかな気持ちになれる。
そしてイルカが微笑めば、愛されているのだと感じることが出来た。
だが、全ては偽りだった。

イルカと出会うまでは、血と罪で穢れた身に、幸せなど望むべくも無いのだと思っていた。
そして、それは正しかったのだ。
あやかしに化かされ、利用され、用済みになったら棄てられる。
それこそ、人でありながら人であることを放棄した者に相応しい末路なのだろう。

ならば、何を迷うことがある?

すっと身体から力が抜けるのをカカシは感じた。
そして、寄りかかるようにしてイルカの腕に包み込まれる。
闇に閉ざされた世界に住む自分に取って、イルカは唯一の光だと思っていた。そしてそれは間違いではなかった。
ただ、その光は、暖かい陽光などでは無かったが。

「……一つだけ約束して下さい。俺の最期は、必ずアナタの手で…と」
「カカシさん……」
「アナタに殺されるなら本望です。だから、それだけは約束して下さい」
イルカはカカシを抱きしめる腕に力を込めた。
人の生命は儚い。
いずれそう遠くない内に、カカシを喪う事になるだろう__それが、どんな形であれ。
「……約束します」
イルカの言葉に、カカシは幽かに微笑った。






「ナルトに、会いに行きましょう」
二人が暗部を離れたのは、それから2週間後の事だった。










後書きもどき
目指せ黒イルカ&乙女カカシ…で書き始めた設定捏造シリーズ最終話です。
クリア……出来てたら良いなあ……(自信無し;)
この中でちらりと出てくる9年前の暗部での邂逅は、外伝『鬼火』@暗部祭りで出て来ます。
暗部祭りに興味をお持ちのお嬢様はTOPのバナーからどうぞ。私の拙文はともかく、他の参加者の方々の作品は間違いなく素晴らしいですから(^^♪

ここまでお付き合い下さいまして、有難うございましたm(_ _)m

BISMARC




back




Wall Paper by 月楼迷宮