(5)





腕が、熱い。
灼けつくような熱と、痛み。
半ばぼんやりと自分の左腕を見て、思ったより傷は深かったのだと、カカシは思った。
今度もまた、単独のAランク任務だった。ターゲットの護衛の中に自分と同等の力を持った上忍がいて、状況はかなり不利だった。
それでも、単独任務を自ら志願したのだから不満はない。
何故、単独任務を志願するのだという火影の問いに、その方が戦い易いからだとカカシは答えた。
火影は何かに気づいている様子だった。が、何も言わず、カカシの望みを容れた。
「…くそっ……」
眩暈がして足元がふらつき、カカシは低く悪態を吐いた。
服の上から簡単に止血はしてあるのだが、出血が止まらない。どうやら、太い血管をやられたようだ。
このままでは危険だ。
それでもカカシは、本能の警告に逆らって歩き続けた__黒い瞳をした少年との約束を守る為に。

「カカシ兄ちゃん…!」
嬉しそうに笑って駆け寄って来る少年に、カカシも笑顔で応えた。
が、急に少年の足が止まる。
「カカシ兄ちゃん…血が……」
「ああ…ちょっと怪我を。でも__ッ……!」
大丈夫だと言いかけて、カカシは呻いた。
心臓が鼓動を打つたびに、熱い血が流れ出る。
眼が霞み、立っているのもやっとだ。
「…カカシ兄ちゃん、そこに座って。応急処置の道具は持ってるよね?」
カカシの返事を待たずに、少年は相手のベストやポーチを探り、包帯と薬を取り出した。
そしてカカシの袖をクナイで裂き、傷口に眉を顰める。
「…良いんだよ、君はそんな事しなくて……。触ったら汚れるから__」
「こんな酷い怪我してんのに、何言ってんだよ!」
怒ったように言う少年の瞳が潤むのを見て、カカシは言葉を失った。
この少年は怒り、そして哀しんでいる。

だが、何を……?

少年はたどたどしい手つきながら的確にカカシの腕を圧迫して止血し、消毒薬で傷口を清めてから包帯を巻いた。
焼け付くような痛みが薄らぐのを、カカシは感じた。
「…上手なんだな。下忍としちゃ、上出来だよ」
カカシが言うと、少年は幽かに頬を赤らめた。
「…俺…まだアカデミー生なんだ。一度は卒業したけど、下忍になれなくて…」
「だったら…ならない方が良いよ」
カカシの言葉に、少年は今まで見たことも無い厳しい表情で、カカシを睨んだ。
「馬鹿にしないでよ。俺、絶対に父ちゃんや母ちゃんみたいに強い忍になるんだから!」
強い口調で言い放ってから、少年は視線を落とした。
「強い忍になって……父ちゃんや母ちゃんみたいに里を護るんだ…」
彼らはその為に、生命を落としたと言うのに?__喉まで出掛かった言葉を、カカシは噛み殺した。

その為に彼らは愛する我が子を独りにしたのに、その為に君は愛する両親を喪ったのに、それでも忍になりたいのか……?

だがそれを問うのは、余りに酷だ。
カカシは少年を自分の隣に座らせ、軽く腕に触れた。
「ご免な?馬鹿になんかしたんじゃない。君がご両親の事を凄く誇りにしてるのは、俺にも判るよ」
出来るだけ優しくカカシは言ったが、それでも少年は恨めしそうにカカシを見上げた。
「……カカシ兄ちゃん、強い忍なんでしょ?この前、暗部の服、着てたし」
「__ああ…まあ……」
「だったら何で、そんな怪我してるのにほっとくの?何で、まるでこのまま死んじゃっても良いみたいに平気な顔してるの?」
少年に問い詰められ、カカシは口を噤んだ。

イルカと話している時と同じだ。
幽かに潤んだ黒曜石の瞳に見つめられると、本心を曝け出してしまいたくなる。
全てを投げ出して、縋ってしまいたくなる。
相手は、ほんの子供だと言うのに。

「強い忍っていうのは、生命を大切にするものでしょう?自分の生命も、他人の生命も」
ずきりと、胸が痛むのをカカシは感じた。
まるで、鉄の爪で心臓を掴まれたかの様だ。
「いつ死ぬかも判らない、任務で人を殺さなければならない事もある忍だからこそ、生命の重みを知って、生命を大切にしなければならないんだって、いつも父ちゃんが……」
手を離し、カカシは少年と距離を置いて立った。
「__俺は…最低のヤツだ……」
「…カカシ兄ちゃん…?」
「生命を大切にするどころか、君に逢いたいが為に、殺す必要の無い相手を殺した…」
少年はカカシの言葉に両目を大きく見開いた。
「殺したくなんか無かった…。でも…どうしても君に会いたかったから……」
「…どうして…」
「俺は君の側にいちゃいけないんだ。俺なんかの側にいたら、君まで穢れてしまう」
歩み去ろうとしたカカシの袖を、少年は掴んだ。
「どうして…?俺に会う為に、どうして人を殺したりしたの?俺に会いたいなら、ただ会いたいって言えば良かったのに」
「だって、君はいつも__」
途中で、カカシは言葉を切った。
少年が現れたのはいつも、カカシが人を殺めた後だった。
だがそれは、人を殺めたからでは無かった。

答えは、そこにあった。
ただ、眼を背けていただけ。

カカシはゆっくりと振り向き、少年を見つめた。
少年は暫く躊躇っていたが、やがて笑顔を見せた。
透明で無垢な、微笑だった。
「……教えてくれないか。俺は…君の側にいても良いのか?」
少年はただ微笑むだけで、答えない。
視界が暗くなってゆくのを、カカシは覚えた。
四肢の先から、力が抜けてゆく。
その不吉な感覚が、カカシを焦らせる。
「教えて下さい。俺は…アナタの側に……」
ゆっくりと、カカシはその場に崩れ落ちた。






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