(6)





眼を覚ました時、カカシは見慣れない部屋に寝かされているのに気づいた。
が、そこが何処であるかはすぐに判った。
消毒薬の匂い。白い壁。白いシーツ。
「気がつかれましたか?」
傍にいて微笑んでくれたのは、黒い髪と黒い瞳の人。
「…イルカ先生…?」
「随分、無茶をなさったみたいですね。出血多量で里の外れで倒れていたのを子供たちに偶然、見つけられていなかったら、危なかったんですよ?」
「子供?あの子__」
ベッドの上に上体を起こそうとして、カカシは激しい眩暈に襲われた。
「出血が酷かっただけでなく、毒にもやられていたそうです。あなたの腕を斬った刃物に、毒が仕込まれていたのでしょう」
「……どうして…アナタが此処に?」
「あなたがずっと、うわ言で俺の名を呼んでいるって聞かされまして…」
微笑して言ったイルカの言葉に、カカシは一気に頬に血が昇るのを感じた。
それから、改めて相手を見つめる。
漆黒の髪と、深い湖のような光を湛えた黒曜石の瞳。
温かく、澄んだ色をしたチャクラ。
全てが、あの少年と同じ。

同じなのは当然だ__ゆっくりとベッドの上に上体を起こし、カカシは思った。
あれは、イルカに逢いたいという自分の心が見せた幻影だったのだから。

「…俺のこと……まだ怒ってますか?」
躊躇いながらカカシが訪ねると、イルカは首を横に振った。
「俺の方こそ謝らなければならないと思っていたんです。少なくとも、あなたの話を聞いてあげるべきでした」
「……あの日…俺はすごくアナタに会いたかったんです。でも、アナタに辛い想いをさせたくなかった。アナタの寝顔を見るだけだったら、アナタを哀しませなくて済むと思ったから……」
「……あなたが俺を避けてたのは、俺の為を思ってだったんですか……?」
イルカの問いに、カカシは躊躇った。
それから、口を開く。
「俺なんかが側にいて、アナタを穢してしまいたく無かったんです。でもそれだけじゃ無い。アナタの側にいると、俺が辛くなるから……」
イルカは、幽かに眉を顰めた。
「何故…ですか?」
「優しくされたら期待しちゃうじゃないですか。でもアナタは誰にでも優しい。アナタは俺にとってかけがえのない人なのに、俺はアナタの中では、その他大勢の一人に過ぎないんじゃないかって……」
どくりと、心臓が鼓動するのをイルカは感じた。アスマからカカシの噂を聞かされた時と同じ感覚。
あの時、自分がカカシに取って何人もの仮初の相手の一人に過ぎないのだと思い、心を痛めた。
今はそれと似た、けれども全く逆な感情のせいで鼓動が早い。
「…あなたは俺の大切な人です。そうでなかったら……こんなに心配する筈、ないでしょう?」
カカシの手に自らのそれを置いて、イルカは言った。
それまで冷静だったイルカの瞳が幽かに潤む。
あの少年が見せたのと同じ、ひたむきで無垢な表情。

不意に、カカシは罪悪感に囚われた。

「やっぱりダメです…。俺の存在は、アナタを穢してしまう……」
「何故…そんな事をおっしゃるんです?俺だって忍です。Aランク任務だってそれなりにこなして来ましたし、ご存知のように暗部にも__」
「違うんです」
相手の言葉を遮って、カカシは言った。
「何人殺したか、誰を殺したかなんて問題じゃないんです。アナタは生命の重さを知り、生命を大切にする事の出来る人です。それなのに俺は…アナタに…アナタの幻を見たいが故に、殺す必要の無い相手まで殺した……」
カカシは、自分の両手を見た。
色素の薄い皮膚に包まれたそれは、無数の生命を奪った罪で穢れている。
いつかこの生命を捧げたとしても、決して消えることの無い罪に。

「カカシさん…」
大きな手で自分の手を握り締められ、カカシは驚いて相手を見た。
「どうしてあなたはいつもそうやって、認めまいとするんですか?」
「イルカ先生…?」
「あなたは生命の重さも大切さも知っているのに、だからこそそうやって迷い、傷ついているのに、どうしてそれを認めようとしないんですか?」
「……俺は……」
イルカはカカシの頬に触れ、間近に相手を見つめた。
「殺したく無かったのでしょう?だから迷い、隙が生じた。さもなければ、あなたほどの人がこんな傷を負わされる筈が無いでしょう?」
「…でも、俺は__」
不意に強く抱きしめられ、カカシは言葉を失った。
「あんなに何度も俺の名を呼んでたのに、どうして俺が必要だって認めてくれないんですか?一人では負いきれない程の重荷を背負ってるくせに、どうして俺に甘えてくれないんですか?」
「……甘えたら…弱くなる……」
「俺が、信用できないんですか?」
「違……」
急速に、身体から力が抜けてゆくのをカカシは感じた。
イルカの腕の温もりが、泣き出したくなるくらいの安堵を与えてくれたから。
少年の笑顔が脳裏に浮かび、そして消えた。
ゆっくりと、カカシはイルカの背に腕を回した。

「……俺の帰りを、待っていてくれますか?」
やがて、カカシは訊いた。
「俺の為に笑ってくれますか?微笑んで、『お帰りなさい』って言ってくれますか?」
「はい。必ず」
言って、イルカは銀色の髪を優しく撫でた。
「だから、必ず帰って来て下さいね?」
「…はい。必ず」






傷が癒えてから、カカシは少年と会った場所に行った。
誰もいない切り株の側に、花を手向ける。
イルカの両親と、四代目の為に。
12年前の事件で亡くなった、全ての人の為に。

それから後、カカシが少年と出会うことは無かった__たとえ、任務で人を殺めた後でも。
カカシは少年を懐かしむ代わりにまっすぐにイルカの許へと帰り、イルカは笑顔でカカシを迎えた。



カカシが少年と会った場所が新しい演習場となって開墾が進み、雑木林の中から木の葉の忍だったと思しき男女の白骨死体が発見されたのは、それから何年も後の事である。



Fin.






後記もしくは懺悔
念願の仔イルカちゃんネタだったんですが、お楽しみ頂けましたでしょうか?
私的には仔イルカちゃんの出番が少なかったのが残念です;ネタ的に、仕方なかったんですけど。
意地っ張りなイルカ先生と意地っ張りなカカミンが漸く素直になって自分の気持ちを認める…てなお話ですが、めでたくゴールイン(?)するにはまだ間があります。
だってうちのイルカ先生、ノーマルだし。
タイトルの「無意識の偽善者」はイルカ先生の事です。博愛主義なんて、それ自体、偽善だと、カカシがイルカ先生を非難する場面を書く予定でしたが、割愛
更新が間に合うかどうか冷や汗もので書いてたので、無駄に長い割には色々と盛り込めなかった感が……;
最後が何気にホラー落ちなのは、次の長編への伏線__でも何でもなくて、ただの趣味です;;

BISMARC




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Wall Paper by 月楼迷宮