(3)





「次の任務、暗部の仕事だってさ、パックン」
8匹の中で一番、小柄な忍犬の頸を撫でながら、カカシはぼやくように言った。
その任務を言い渡されたのは、漸く前の任務で殺めた相手の事を忘れかけ、イルカに会いに行こうと思っていた矢先だ。
前回の任務での『手際の良さ』のせいで、もう一度、暗部服を着る羽目になったのだ。
どうせ殺さなければならなかったのだから、無用な苦痛は与えたくなかった。
だが結果からすれば、何の躊躇いもなく5人の人間の命を奪ったように見えるだろう。

お前には暗部が似合いだ

暗部を辞めたいと言った時の、隊長の言葉を思い出す。
「多分…隊長が言ってたのは正しいんだろうね……」
暗部を辞めた今でも、忍である事に変わりは無い。
任務の為、人を殺める事を避けられない。
これからも、ずっと。
それを任務だからと割り切ってしまう事は出来なかった。多分、これからも、出来ないだろう。
だが自分の感情を宥め、眠らせておくことは出来る__イルカに、会いさえしなければ。
「結局…そーゆーコトなんだよな」
遠くを見遣ったまま呟いた主を、忍犬は身動きもせずに見つめていた。



任務はカカシの思っていたより早くカタがついた。とは言っても、終わった時にはすっかり夜も更けていたが。
「帰るよ、俺」
「今からか?」
カカシの言葉に、元の仲間が聞き返す。
「ウッキー君に水やるの忘れてたんだ」
「何にだって?」
「ウッキー君。観葉植物さ」
かつての仲間達が顔を見合わせているのを尻目に、カカシは踵を返した。
里に戻っても、イルカに会いに行く積りはない。
ただ、ここにはいたくなかった。
血と死の匂いが立ち込めるこの場所には。



「……!」
少年の姿に、カカシは思わず立ち止まった。
間違いない。十日ほど前と同じ場所。
あの時と同じように、その少年は一人で木の切り株に座っている。
「…あ」
カカシの気配に気づき、少年が振り向いた。
カカシは気配を消し損ねた事を後悔した。が、後悔はすぐに別の感情に変わった__振り向いた少年が、嬉しそうに微笑んだから。
「また会ったね、お兄ちゃん」
少年は言って、軽い足音と共にカカシに走り寄った。
反射的にカカシは身構えた。そして少年の両腕を軽く、だがしっかりと掴み、相手の動きを封じる。
「…お前、何者だ?」
「俺、イルカっていうんだ。うみのイルカ。お兄ちゃんは?」
嬉しそうに言った少年を、カカシは近くに引き寄せた。
月明かりで見る少年の姿は、写真で見たイルカの少年時代とそっくりだ。嫌、写真と較べるまでもなく、この黒曜石のような眸はイルカのそれだ。
「……俺の名はカカシ」
「初めまして、カカシ兄ちゃん」
言って屈託なく笑った相手の無垢さに、カカシは思わず腕の力を緩めた。
「でもカカシ兄ちゃん、この前会った時に俺の名前を呼んだよね?俺のこと知ってるの?」
もしかして父ちゃんか母ちゃんの知り合い?__意気込んで聞く少年に、カカシは何と答えるべきか迷った。
初めは敵の幻術だろうと思った。が、それにしてはこの少年は無垢すぎるし、隙だらけだ。そう思わせて油断させるのが戦術だとは百も承知だが、カカシも伊達に上忍な訳では無い。敵の押し殺した気配や殺気は、鋭敏に察知する。
だが、目の前の少年からは、欠片ほどの殺意も敵意も感じられない。
それどころか寧ろ、親しみすら感じる。
騙されるな__そう、カカシは自らに言い聞かせた。

イルカに似た外見や雰囲気に惑わされるな。
冷静になって、奴の正体を暴け…

「まあ…な。ちょっとした知り合い程度だけど」
「本当に?だったら父ちゃんと母ちゃんがどこにいるか知らない?」
「どこに…って」
思わず、カカシは言い澱んだ。

イルカの両親は12年前の九尾の事件の時に死んだのだと、他ならぬイルカから聞かされた。
偶然、慰霊碑の前で会った時の事だ。
両親の名は此処には無いんですけどと、イルカは言っていた。遺体も見つからず、最期を見届けた者もいなかった、とも。

「……君まさか、ここで両親の帰りをずっと待ってんの?」
カカシが問うと、少年は急に泣きそうな顔になった。
黒曜石の瞳が幽かに潤む。
「…必ず帰って来るって、そう約束したから……」
喉元を締め付けられるような苦しさを感じながら、カカシは俯いてしまった少年の頭に軽く手を置いた。
「……いつから、ここで待っているんだ?」
「…ずっと」
「ずっと…独りで?」
少年は頷いた。
それから改めてカカシを見上げ、気を取り直したように笑顔を見せた。
「だから俺、カカシ兄ちゃんに会えて嬉しいよ。この前は急いで行っちゃったから、嫌われたのかと思ったけど…」
「…ごめんな。あの時は…急用があって……」
カカシは思わず少年に言い訳した。そして、そんな自分を訝しむ。

何故だか、この少年が哀しむ姿を見たくない。
出来れば、笑っていて欲しいと思う。

「俺で良ければ話し相手くらいにはなるけど……こんな時間に子供がこんな所にいちゃいけないな」
「こんな所?」
言って、少年は不思議そうに何度か瞬いた。
「ここ、俺の家なんだけど?」
ほら、と少年は手で指し示した。が、あるのは夜闇に包まれた雑木林だけだ。
「カカシ兄ちゃんの家族は?」
「…家族は…いない」
「だったら俺の家に泊まってかない?」
「…大人のイルカ先生のお誘いなら喜んで受けるんだけどね」
苦笑してカカシが答えると、少年は再び不思議そうに小首を傾げた。
「この前も言ってたけど、イルカ『先生』って、どういう事?」
「あ…えと、俺の知り合いに君に似た人がいて、そのヒト、アカデミーの先生だから」
「ええー?俺に似た先生なんていたっけ」
真剣な表情で考え込んだ少年に、カカシは軽く笑った。
この少年と話していると温かい気持ちになれる。
まるで、イルカと話している時の様に。

不意に、鮮血の臭いが蘇った。
短い断末魔の呻きと、肉が裂け、骨が砕ける感触。
つい今しがた、殺して来たばかりの相手の姿だ。
そればかりか、数日前の任務で殺めた敵の姿も、それ以前に殺した相手の姿も次々と脳裏に浮かぶ。

「……カカシ兄ちゃん…?」
少年に声をかけられ、カカシは我に返った。
自分がこの得体の知れない少年の前で気を抜いていた事に気づき、愕然とする。
「…どうかしたの?何だか……」
「…今日はもう遅い。君も帰って寝なさい」
カカシの言葉に、少年は悲しそうに眉を曇らせた。
「でも俺…折角カカシ兄ちゃんに会えたんだから……」
「また会いに来る。約束するよ」
少年は暫く残念そうにしていたが、やがて明るく笑って頷くと、闇の中に消えて行った。
カカシは少年の姿が見えなくなっても、暫くその場に佇んでいた。
イルカ先生?__言葉もなく、ここにはいない人に呼びかける。

俺今、すごくアナタに会いたいです……






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