(2)
翌日、カカシは前の日と同じ時刻に同じ場所に行ってみた。
少年の座っていた切り株はすぐに見つかったが、少年の姿は無かった。
やはり…幻術だったのか…?
昨日、斃した敵の中に、幻術使いがいたのかも知れない。
幻術の中にはある種の麻薬を利用するものがあるから、術をかけた者が死んだ後にそれが作用するというのは有り得る。
が、それにしても、妙だ。
「…要するに俺、イルカ先生に会いたかったって訳?」
自嘲めいてぼやき、カカシは銀色の髪を掻き乱した。
今回の任務を言い渡された時に、人を殺さなければならない事が最初から判った。結果として殺したのでは無く、初めからそうしなければならなかったのだ。
それで、イルカに会うのを避けた。
イルカと二人でいると、以前の様に感情を隠す事が出来ない。
深い湖のような光を湛えたイルカの瞳に見つめられると、あやうく本心を吐き出してしまいそうになる。
泣き言を言って、甘えてしまいたくなる。
そうすれば、きっと楽になれると、心のどこかで判っているから。
だが、甘えは身を滅ぼす阿片に似ている。
ひとたびその心地よさに身を委ねてしまったら、後戻りは出来なくなる。
そこまで、弱くはなれない。
もう一度、周囲を見渡してから、カカシは踵を返した。
書類整理が一段落ついたところで、イルカは軽く溜息を吐いた。
前日のカカシの言葉を思い出したのだ。
自分の子供の頃とそっくりな少年に会ったという話が嘘だとは思わない。だがカカシは結局、任務の事は何も話さず、写真を見るとそそくさと帰ってしまった。
やっぱり、あの人の考えてる事は判らない__そう思うと、イルカは憂鬱になった。
毎日のように会って、一緒に食事して、他愛の無いお喋りをして……それは確かに楽しい日々だった。
けれども、それだけだ。
カカシはナルトたちの事を話題にする事はあっても、上忍としての自分の任務の事は何も話さない。
中には機密に拘わる任務もあるのだから、任務の内容を話してくれない事を不満には思わない。
だが昨日、カカシが自分の家に来たのは、古い写真を見る為だけだったとは、イルカには思えない。
それがどんな任務であったか、イルカは知っている。だが、知っているという事はカカシには話せない。それだけにもどかしく、苛立たしい。
でも、人が死にました
カカシの言葉が、イルカの脳裏に蘇った。
辛そうな表情も。
恐らくカカシは、自分がそんな顔をしていたと気づいていないのだろう。
安っぽい同情の言葉など掛けたくなかったが、カカシの為に何かをしてやりたかった。けれどもカカシは自分が傷ついている事を認めようとせず、イルカは何も出来なかった。
そしてそれはイルカを傷つけた__小さな、浅い傷ではあったけれど。
「何、シケタ面してんだ?」
声を掛けられてイルカが顔を上げると、アスマが立っていた。
「アスマ先生。任務、お疲れ様でした」
「おう。報告書だ__で、今夜は空いてるのか?」
「え?あ……特に予定はありませんが」
僅かに躊躇ってから、イルカは答えた。
カカシは今日は任務明けで休みだ。受付所に来る事は無いだろう。
それでも以前ならカカシが突然、イルカの家で夕飯の支度をして待っていた事もあった。が、最近、カカシはイルカを避けている。
昨夜もどことなく余所余所しかった。
「だったら、飯でも付き合え」
「そうですね…ちょっと飲みたい気分ですし」
言って寂しげに笑ったイルカの姿に、アスマは内心、幽かな憤りを覚えた。
アスマはイルカを自宅に連れて行き、イルカが食事の支度をした。
以前にはそういう事は珍しくなかったが、このところイルカの足はアスマの家から遠のいていた。
「…料理の腕を上げたな、イルカ」
イルカの作った酒肴に箸をつけ、アスマは言った。
「そうですか?実はそれ、カカシさんに教わったんですよ」
「カカシが料理?冗談だろ?」
照れくさそうに笑って言ったイルカに、アスマはやや驚いて聞き返した。
「里に戻ってから料理の本を見て覚えたんだそうですよ。俺なんか自己流で適当に作ってただけだから、むしろカカシさんの方が上手なんです」
カカシ「さん」ねえ__内心、面白くなく思いながら、アスマは冷酒の杯を干した。
「…で、お前が今日、腐ってた原因もそのカカシか?」
「……はい」
幾分か躊躇ってから、それでもイルカは正直に頷いた。
その素直さもアスマの気に入っている点だが、今日ばかりはその美点が恨めしい。
「何があった?」
内心の嫉妬を隠して、穏やかな口調でアスマは訊いた。
「何かがあったって訳じゃないんですけど…俺、最近、カカシさんに避けられてるんです」
「最近て、いつからだ?」
「4日前からです」
イルカの言葉に、アスマは飲みかけの酒を吹きそうになった。
「…4日前からって……お前、4日、カカシに会って無いだけであんなに落ち込んでたのか?」
「いえ、昨日は会って一緒に飯を食いましたけど、何だか余所余所しくて……って俺、落ち込んでいるように見えましたか?」
きょとんとした表情で問い返され、アスマは身体から力が抜けるのを感じた。
一体、イルカはカカシの想いを判っているのだろうか?
そして、自分自身の気持ちに気づいているのだろうか?
気づいていないなら、わざわざ気づかせてやる必要は無い__そう、アスマは思った。
「…カカシは昔からまともな人づきあいの出来ねぇ奴だからな。余り気にするな」
「…アスマさん、カカシさんの事をよくご存知なんですか?」
「良く知ってるって訳じゃねぇが、前々から任務で一緒になった事があるからな」
イルカは、何度か瞬いた。
「それは、カカシさんが暗部にいた頃の話ですか?」
「ああ。大掛かりな任務で上忍クラスの忍を沢山、集めなきゃならん時には、暗部と暗部以外の忍が合同任務に就く事もある」
アスマはイルカの杯を冷酒で満たしてから、自分の杯をいっぱいにした。
「暗部の連中ってのは、大体人付き合いが悪いもんだが、カカシはその中でも……まあ、まともじゃ無かった」
「まともじゃ無い…?」
聞き返され、アスマは幾分か後悔した。
カカシにまつわるその噂を聞いたのは、二人ともまだ十代の頃だ。今更そんな昔の話を蒸し返すのは卑怯な気もする。
それに、そんな話を聞かされればイルカは傷つくだろう。
だがそれでも、カカシに深入りし酷く傷つくことになる位なら、今のうちに離れたほうがイルカの為だ。
「手当たり次第に男を漁ってたって事だ」
アスマの言葉に、イルカは眉を曇らせ、視線を落とした。
そのイルカの手に、アスマはそっと自分の手を重ねる。
「悪い事は言わん。あんな奴に関わるのは止めておけ」
イルカは何も言わず、ただ重ねられたアスマの手を見つめていた。
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Wall Paper by 月楼迷宮
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