(1)




陽が地平線の向こうに姿を隠すと、辺りは急速に光を失った。
まだすっかり夜にはなっていないが、昼の明るさはもう、無い。
いわゆる逢う魔が時というヤツだ。
風が枯れ草を嬲る音を聞きながら、カカシは歩みを速めた。
終えてきたのはAランク任務__しかも、単独で。
様々な事情で人選がままならず、単独任務となったのだ。
それは別に構わない。むしろカカシとしては、その方が動きやすい。仲間の安全に気を配る必要が無く、自分の戦いだけに集中できるからだ。
結果は上々だったと言える__斃した敵は5人で、こちらは無傷だったのだから。

だが、カカシは苛立っていた。
理由の判らない苛立ちに駆り立てられるように里への路を急ぐ。急げば、イルカが受付所にいる時間に間に合う筈だ。
急に、カカシの脚の動きが止まった。
イルカに会う事が、不意に億劫に思えたのだ。
会えばきっと、イルカは温かく笑ってくれるだろう。そして、「お疲れ様でした」と労ってくれるだろう。
そうすればこの苛立ちも鎮められるかもしれない。
…それとも?
それとも、何だというのだ?__そう思うと、カカシは一層、苛立ちが募るのを感じた。
そもそも、苛立っているのはイルカのせいでは無いのか?
だからここ数日、イルカを避けてきた筈では無かったのか?

「…馬鹿みたいだよ、お前」
薄闇の中に立ち尽くす自分に呟くと、カカシは再び歩き始めた。
その時、視界の端に人の姿を捉え、カカシは身構えた。
気配を殺し、木の陰から相手の様子を窺う。
相手は子供__少年らしい。
鎖帷子を服の下に身につけている。どうやら下忍だ。
カカシはクナイに手を伸ばした。
下忍とは言え、子供がこんな里のはずれに一人きりでいるのは妙だ。何かの罠かも知れない。
周囲に気を配りながら、カカシは少年の顔が見える位置まで移動した。
少年は木の切り株に座り、膝を抱えている。
黒髪を一つに括っていて、瞳も黒だ。

な…に……?

少年の鼻を横切る傷跡に、カカシは眼を疑った。
幻術か、何者かが変化したのか……
だが、少年から感じ取れるのは、疑いも無くイルカのチャクラだ。
「…イルカ先生」
カカシが相手に歩み寄りながら声をかけると、少年は顔を上げてこちらを見た。
「何、やってんですか、こんな所で…」
「…お兄ちゃん、誰?」
何度か瞬いて、不思議そうに少年は問い返した。
カカシは立ち止まった。
辺りは大分、暗くなっているが、夜目のきくカカシには少年の顔がはっきりと見える。
見れば見るほど、イルカに似ている。
それに、このチャクラは間違いなくイルカのものだ。

不意に、おぞましい不安がカカシを襲った。
里の中にいても危険はある。
イルカの身に、何かが起きたのかも知れない……
カカシは踵を返すと、後も見ずに走り出した。






「カカシ先生、お帰りなさい」
カカシが飛び込んだ時、受付所にはイルカしか残っていなかった。
「イルカ先生、大丈夫ですか?」
「…は?大丈夫って、何がですか?」
「ずっとここにいたんですか?病気とか怪我とかしてませんか?あと何かおかしな術をかけられたとか…」
矢継ぎ早なカカシの質問に、イルカは怪訝そうに何度か瞬いた。
「…俺はいつも通りアカデミーで授業してからここに詰めてましたけど…」
何かあったんですか?__心配そうな表情で聞き返され、カカシは何と答えるべきか迷った。
少年の、黒目がちな瞳が脳裏に蘇る。
こちらをまっすぐに見つめる眼差し。
澄んだ色をした温かいチャクラ__すべてはイルカと同じだ。
だが、あれがイルカであった筈は無い。
「……今日…イルカ先生の家に行っても良いですか?」
迷った末にカカシが言うと、イルカは笑顔を見せて頷いた。


二人の関係は、友人とも恋人とも呼べない奇妙なものだった。
毎日のように会って一緒に買い物をし、一緒に食事を作り、一緒に食べた。
カカシが材料を買って勝手にイルカの家に上がりこみ、夕食の支度をして待っていることも稀では無かった。
7班の子供たちと一緒に鍋をつつく事もあれば、二人だけで酒を飲むこともあった。
けれども、朝まで一緒に過ごす事もなければ、唇に触れたことも無い。
それでも、イルカはカカシにとって大切な、かけがえのない人になっていた__イルカがカカシをどう思っているかは判らないが。

「…それで、今日はどうなさったんですか?」
イルカの家。
共に夕食を済ませ、食後のお茶を淹れながらイルカが訊いた。
「イルカ先生のアルバム、見せて欲しいんですけど__子供の頃の」
「…え?」
カカシの言葉に、イルカは意外そうに聞き返した。
そして、そのイルカの反応はカカシには意外だった。
「…別に、イヤなら無理にとは言いませんが」
「厭なんて事はありません。ただ、あの…」
途中まで言って、イルカは口篭った。
それから、どうして俺のアルバムなんか見たいんですかと問う。
「好きな人の子供の頃が知りたいからに決まってるじゃないですか」
「…本当に?」
おちゃらけて言ったカカシは、思いがけず真剣な表情で聞き返され、僅かにうろたえた。
「カカシさん、最近、俺のこと避けてましたよね?それなのに、急にどうしたんですか?」
「…避けてなんかいません。ただ忙しかっただけで__」
「今日の任務で、人を殺めたんですね?」
予想もしていなかった言葉に、カカシは今度こそ本当に狼狽した。
咄嗟にそれを隠そうとしたが、イルカの黒曜石の瞳でまっすぐに見つめられ、抵抗が無駄なのを悟る。
「……殺しました。5人。こちらは無傷です」
「…カカシさんがご無事で何よりです」
「でも、人が死にました」
ぼやくように言って、カカシは視線を逸らせた。
再び、苛立ちが蘇る。

イルカと出会う前には、人を殺めても何とも思わなかった。
少なくとも、意識の表層では。
武器から血を洗い流すと共に、殺した相手の事は忘れた。
こんな風に苛立ったり、彼らにも家族や愛する人がいたのだろうなどと思う事は無かった。

「…任務ですから」
暫くの沈黙の後、静かにイルカが言った__まるで、自分が人を殺めたかのような辛そうな表情で。
再び、苛立ちが募るのをカカシは覚えた。
「…今日、来たのは、その事とは関係ないんです」
何とか苛立ちを鎮めようと、カカシは言った。
「任務の帰りに、里のはずれで奇妙なものを見たので…」
「奇妙なもの?」
鸚鵡返しに、イルカは聞き返した。
カカシは頷いた。
「12、3歳の少年です。アナタにそっくりの。傷の位置まで同じでした」
「それは…」
「信じられませんか?」
カカシの言葉に、イルカは首を横に振った。
「カカシさんがおっしゃるなら信じます」
少し、待っていて下さい__言って、イルカは席を立った。

イルカが戻ってくるまでには多少の時間がかかった。
おそらくアルバムは奥のほうに仕舞い込まれているのだろうと、カカシは思った。と同時に後悔した。両親が生きていた頃の記憶は、イルカには辛い思い出なのかも知れない。
「どうぞ」
やがて戻って来たイルカは、一冊のアルバムをカカシに手渡した。
アルバムを開くと、忍の若い男女が一緒に映っている写真があった。
同じくノ一が赤ん坊を抱いている写真もある。
「…これ、ご両親ですか?」
「ええ」
短く、イルカは答えた。
イルカの母親は美しい人で、父親は見るからに誠実で優しい人柄だ。
他にも、彼らがそれぞれの仲間と一緒に撮った写真が何枚かあったが、アルバムを埋める写真の殆どは、イルカの少年時代の物だった。
「良いご両親だったんでしょうね。アナタの事をすごく大切にしていて」
「そうですね…」
懐かしそうに眼を細めて、イルカは微笑った。
が、その笑顔はどこか寂しそうだと、カカシは思った。
「…それより、カカシさんがご覧になったのって…」
「間違いない。この子です__つまり、子供の頃のアナタですよ、イルカ先生」






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