(3)

その日、俺は1週間の里外任務から戻った。7班の上忍師としての任務では無い、Aランク任務だ。
俺は式を飛ばしてイルカ先生に自分の無事を伝えていたが、それでも少しでも早く帰ろうと、帰途を急いでいた。
俺がわざわざそんな事をしたのには訳があった。
ひと月くらい前、俺は任務で里を出ていた。その時にはBランクだったが、単独任務だった。
特に危険があった訳ではなかったが色々と手違いがあり、1週間の予定が3日延び、里に帰れたのは10日後だった。
里の大門の所で、イルカ先生が俺を待っていた。
イルカ先生は、帰還予定の日から3日間、仕事が終わってから夜明けまでの時間を俺を待って過ごしたのだと言う。
俺は驚いた。
酷く心配したのだと何度も繰り返すあの人を抱きしめて、子供をあやすように背を撫でて宥めた。その位、あの人は不安がっていた。
俺を心配して待っていてくれたのは嬉しいが、2、3日の遅れはよくある事だ。イルカ先生もそれを知らない訳ではないのに、この心配の仕方は異常だと、俺は思った。
翌日になって落ち着いてから、イルカ先生は理由を話してくれた。
イルカ先生の両親は13年前の九尾事件の時に殉死した。一緒に行きたがったイルカ先生を、両親は『必ず戻って来る』と言って宥めた。
だが、二人とも帰っては来なかった。
それが、イルカ先生の心に深い闇を作ってしまったのだ。
――――馬鹿みたいですよね。いい歳して、いつまでの両親の死に拘ってるなんて。
落ち着きを取り戻したイルカ先生は、照れたように、それでもどこか寂しそうに微笑って言った。俺は、『父ちゃんと母ちゃんみたいに…』と言っていた黒鷺の言葉を思い出した。
――――アナタは、ご両親の事をとても愛していたんですね。
両親のように強い忍になって里を護りたい__それが、黒鷺の純粋な願いだった。
恐らく、イルカ先生の両親も暗部だったのだ。だから、イルカ先生は暗部に入ったのだろうと俺は思った。だからこそ暗部に拘り、暗部を抜けなければならなくなった時に悔し涙を流したのだ。
――――心配しなくても大丈夫ですよ。俺は、必ずアナタのところに帰って来ますから。
いつかは破られるかもしれない約束だと思いながら、それでもイルカ先生を慰めたくて、俺は言った。イルカ先生の心に思わぬ闇があったのを知って、あの人を護りたいという気持ちが強くなったのだ。
イルカ先生は俺を見、何かを言いたげに唇を動かした。
だが何も言わぬまま、視線を落としただけだった。

そんな事があったので、俺はわざわざ式を飛ばしたのだ。
今回はAランクだが単独任務ではなかったので、何かあればすぐに里に報せが行く。それでも、俺は自分であの人に無事を伝えたかった。
「カカシさん…?」
俺がドアノブに手をかけようとした時、中からドアが開いた。
「お帰りなさい。ご無事で何よりです」
「ただいま。イルカ先生」
満面の笑顔で迎えられ、俺は気持ちが一気に高揚するのを感じた。
ドアを閉める間ももどかしく唇を重ね、互いの身体を抱きしめる。
イルカ先生は俺の額宛を外し、それからもう一度、微笑んだ__俺の、写輪眼を見つめて。
急に、俺は不安になった。
矢張り思い過ごしでは無い。イルカ先生は、いつも俺の写輪眼ばかりを見ている。
理由は訊いても話してくれないだろう。そう思うと、苛立ちを感じる。
苛立ちに駆り立てられるように俺はイルカ先生の身体を性急に愛撫した。1週間ぶりなので、あの人も抗わずに俺に身を任せる。
深い口付けを交わしながら寝室に移動し、そのままベッドに倒れこんだ。
その時、枕もとの写真立てが目に入った。

不意に、つながりが見えた。

「……カカシさん…?」
急に愛撫の手を止めた俺を、イルカ先生は不思議そうに見上げた。俺がイルカ先生を離し、ベッドの端に座ると、あの人は不安そうに表情を曇らせた。
「…どうしたんですか?まさか、どこか怪我でも__」
「アナタ、オビトを知っていますね?」
ぴくりと、イルカ先生の肩が震えるのが判った。
「…一体…急に、何を……」
「オビトの事、知っているんでしょう?」
あの人がすぐに知っていると答えていたら、俺は拘らずに済んだかも知れない。あの人とオビトの間に何があったにせよ、それは昔の話だ。

だがあの人は狼狽し、言葉を濁した。

「……あなたのスリーマンセルの仲間で、親友だった人だと、いつかあなたが話してくれたじゃないですか」
「どうして隠すんですか?」
苛立ちを感じ、俺は言った。
あの人は驚いたように俺を見、躊躇うように視線を泳がせた。
「…隠さなくても良いですよ?昔の事じゃありませんか」
俺は内心の苛立ちを隠して笑顔を見せ、出来るだけ穏やかに言った。
あの人は俺の__オビトの__写輪眼を見、そしてまた視線を落とした。
「……九尾事件の時に、俺はオビトさんに生命を助けられたんです」
事件の時、俺とオビトは負傷した仲間を救護するように、先生から言いつけられていた。
本当は一緒に前線で戦いたかったが、先生はそれを赦してくれなかったのだ。
「…アナタは、あの戦場にいたんですか?」
俺が問うと、イルカ先生は首を縦に振った。
そして、一旦は避難所に逃れたものの、どうしても両親の許に行きたくて、止める大人たちを振り切って惨劇の場へと駆けつけたのだと言った。
「九尾に吹き飛ばされた木の下敷きになって動けなくなって……あの時、オビトさんが助けてくれなかったら俺は死んでいました」

イルカ先生の言葉を聞いて、俺は運命を呪いたくなった。
俺もあの戦場にいて、同じように負傷者を救護していたのだ。
けれどもイルカ先生を助けたのはオビトで、俺では無かった。

「オビトさんはその後も見舞いに来てくれて…両親の事で酷く落ち込んでた俺を、励ましてくれたんです」
「それが縁で、恋人に?」
「そ…んな関係じゃありません…!」
不自然なほど強く、あの人は否定した。
いっそ、恋人同士だったと認めてくれたほうが良かった。
「昔の話でしょう?隠さなくても、妬いたりしませんよ?」
何とか自分を鎮めようと、俺は言った。が、苛立ちは募るばかりだ。

あの人はいつもいつも俺の左目しか見ていなかった。
俺に移植されたオビトの写輪眼を見て、オビトを偲んでいたのだ。
俺は、身代わりに過ぎなかった。
それなのに俺は、自分が愛されているのだと、愚かにも信じていた。

「……あの人は俺の修行につきあってくれたり、術を教えてくれてたんです。……それだけです」
「アナタがオビトの事をどう思っていたにしろ、アイツはアナタの事を愛していましたよ」
弾かれたように顔を上げ、イルカ先生は俺を見た。
「アナタの事、すごく大切な人だって言ってましたよ。誰よりも幸せになって欲しいって」
12年も前にオビトと交わした会話が、鮮やかに俺の脳裏に蘇った。
俺が黒鷺の事を話すと、オビトはいつも熱心に聞いていた。残酷な任務をやらされた事を憤っていたのも、このせいだったのだ。黒鷺が負傷した事を聞いて大げさなくらい心配していたのも、全て納得できる。
「オビトはアナタの事を真剣に愛していたんですよ。ふしだらだった俺には眼も眩むほど、真剣で純粋な愛でした」
イルカ先生は何も言わなかった。ただその漆黒の瞳から、大粒の涙がとめどもなく零れ落ちる。
12年前に見た時と同じ、綺麗な涙だった。
だが今は、その美しさも恨めしいだけだ。
イルカ先生は俺には決して素性を明かそうとしなかったのに、オビトには全てを打ち明けていたのだろう。そしてオビトは、親友の俺にもイルカ先生との事を隠していた。

誰よりも大切な親友と、
誰よりも愛しい恋人。
その二人に、俺は裏切られたのだ。

「…帰ります」
ベッドから離れ、俺は言った。
イルカ先生は驚いて俺を見上げた。
「…何故……ですか?オビトさんとの事は、もう……昔の話なのに」
昔の事ではあっても、イルカ先生に取ってそれは古い現在であって、色褪せた過去では無いのだ。
さもなければ、どうしてそんなに泣くんですか?
そうやって泣きながら、俺の左目しか見ないのは何故なんですか?
「…カカシさん__」
俺の腕に触れようとしたあの人の手を、俺は振り払った。
今でもオビトを愛している人に、触れることなど出来ない。
このまま何事もなかったかのように恋愛ごっこを続けることなど、出来る筈が無い。

なぜなら__

オビトを殺したのは、俺なのだから。




back/next