(1)

「ただいま、イルカ先生」
「お帰りなさい、カカシさん」
台所で夕食の支度をしていたイルカ先生は、俺を玄関まで出迎えてくれた。
狭いアパートだから大した距離ではないが、それでも愛しい人が笑顔で出迎えてくれるのは嬉しい。
俺は付き合い始めて3ヶ月の恋人を抱き寄せて、軽く触れるだけのキスをした。

12年振りにイルカ先生に再会した時、俺はすぐには誰だか判らなかったし、あの人も初対面のように振舞った。鼻梁の上の特徴的な傷痕が無かったら、そのまま思い出さなかったかも知れない。
その位、あの人は変わっていた。
暗部にいた頃のあの人はいつもピリピリしていて、絶対に面を取ろうとはしなかった。あの人の素顔を見てしまった俺を殺そうとした程だ。
そして幾つもの禁術を得意とし、ターゲットを冷静に仕留めた。
だからと言って、あの人が冷酷だった訳ではない。むしろその反対で、殺した相手の死を悼み、いつまでもその死を忘れないような人だった。
再会したあの人はアカデミーの教師になっていて、いつも子供たちに囲まれていた。子供たちがイルカ先生を慕っているのは一目瞭然で、あの人も幸せそうだった。
そして受付では、疲れて任務から帰って来た忍を労う様に、満面の笑顔で迎えていた。
俺はすぐにその笑顔の虜になった。
そしてその笑顔を独り占めしたいと思うようになるまで、長くはかからなかった。

俺はたびたびイルカ先生を食事や酒に誘った。
初めは緊張していたイルカ先生も、やがて打ち解けてくれるようになった。暗部で俺の部下だった頃には決して打ち解けてくれなかった人が打ち解けてくれるようになって、俺は嬉しかった。
想いを打ち明けてから恋人同士になるまでの道のりは、決して平坦ではなかった。最初、あの人は俺の言葉を冗談だと思い、本気だと判ってからも中々、受け入れてはくれなかった。
俺は辛抱強く、そしてしつこくならない程度にイルカ先生に求愛を続けた__アスマや紅からは、ストーカーだと言われたが。
漸く願いの叶った時、俺は本当に嬉しかった。そして、それはほんの始まりに過ぎなかった。

里外に出るような任務のない時には、俺はいつもイルカ先生の家で過ごすようになった。
身の回りの品を持ち込み、合鍵を貰った。
朝は一緒に家を出、あの人はアカデミーに、俺は任務に向かう。遅刻しないで下さいねといつも言われるのだけど、途中、慰霊碑に寄るのだけは欠かせない。
帰りは都合がつけば待ち合わせて一緒に帰り、途中で一緒に買い物をしたりする。
一緒に帰れない時には早く帰ったほうが夕食の支度をして相手を待つ。
初めイルカ先生は、俺に家事をさせるのを申し訳ながったけれど、『恋人同士は対等でショ?』と言うと、それ以来は家事を分担させてくれるようになった。
俺は捨て子で5歳で下忍になったから、家事だとか炊事だとか、そういう『普通の』生活に縁遠かった。
15、6の荒れていた頃には、碌に食事も取らず兵糧丸だけで何週間も過ごしたこともあった。
その内、落ち着いてきて暗部を抜けてからは、少しずつ料理も覚えた。多分、『普通の生活』に憧れていたのだろう。
イルカ先生と一緒に暮らすようになって、俺は憧れの『普通の生活』を手に入れた。
イルカ先生がいてくれるお陰で、それは平凡でありながら楽しく、何でもない出来事が新鮮に思えた。
俺は、幸せだった。

勿論、全てが順調だった訳ではない。
あの人は暗部にいた過去を絶対に隠しておきたいらしく、俺と二人きりの時でもその話題を嫌う。
俺はあの頃からあの人の事が好きだったし、あの後、オビトが死んで、俺は2年くらいの間、酷く荒れていた。それでも俺が何とか立ち直れたのは、僅か数週間を共に過ごしただけのあの人との思い出が、俺を支えてくれたからだ。
俺はあの人との出会いが自分の初恋だったのだと、あの人に告げたかった。
荒みきった辛い時期に、俺が何とか『人』である事を失わずに済んだのは12年前の思い出のお陰だったと、あの人に感謝したかった。
けれどもあの人は、暗部の話題になると、酷く頑なになった。
12年前に決して素性を明かそうとしなかったように、今も決して事情を話そうとはしない。
あの頃のように「カカシ」と呼んでくれと頼んでも、首を横に振るばかりだ。
俺自身、今でもオビトの事を思い出すと辛い。それでも忘れる事は出来なくて、毎朝、慰霊碑の前で過ごす。
俺とオビトの間に何があったのか俺があの人に話す積りが無いように、あの人も俺には話せない何かがあるのだろう。
だから俺は、12年前の事を口にするのを止めた。
そのせいで自然と、お互いの過去に関する話題も避ける様になった。
だが、そんな事はどうでも良かった。
今、イルカ先生が俺の側にいて、俺を愛してくれている。
それだけで、俺は充分に幸せだった。

俺たちは一緒に忍犬たちを洗ってやったり、7班の子供たちを連れてピクニックに行ったりした。
一緒にジャガイモの皮を剥き、一緒に洗濯物を干した。
初めのうち、イルカ先生は二人でいるところを同僚に見られるのを嫌がったが、やがて同僚に対しても、俺と恋人同士である事を隠さなくなった。
俺は嬉しかった。
他人に興味の無かった俺が、誰かを愛し、愛されることの素晴らしさを知った。
俺の荒れていた頃を知っているアスマには「別人のようだ」と言われ、ガイには「青春してるな」とからかわれた。
空虚だった日々が、充実したものに変わった。
モノクロームの死んだ世界が、色鮮やかな生きた世界に変わった。
俺は、幸せだった。
そしてあの人も幸せなのだと、信じて疑わなかった。

その事に、気づくまでは。




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