(3)

それから暫くは何事も無く過ぎた。
嫌、『何事も無く』時間が過ぎるなんて事は、あの時以来、一度だってありはしねぇ。
薬の力で抑えられているだけで、記憶が無くなった訳じゃない。
そして今、俺はイルカ先生の言葉が気になっていた。
無論、イルカ先生がアイツを『弟思いで優しい』だの『里や一族を大切にしていた』だのと言ったのを信じたりはしない。
アイツは俺が『望むような兄を演じてきた』と言っていた。
アイツを『優しい』と思ったんなら、イルカ先生も騙されてたんだろう。
だがそれでも、初めの頃はそうじゃなかったんじゃないかと、思わずにいられない。
シスイさんが『自殺』して、殺害の嫌疑をかけられたアイツがうちは一族を『下らない』と罵ったあの日から、アイツは変わってしまった。
家族とも余り口をきかなくなり、笑わなくなった。

でも、それ以前は優しい兄貴だった。

「……くそっ……」
それともそれは思い込みか?
オレの中にまだ残っている甘いガキの部分がそう信じたがってるだけなのか?
ガキの頃、オレはいつもアイツの後ばかり追っていた。
構って欲しくて、修行をみて欲しくて、いつも付き纏っていた。
でもアイツが何かを教えてくれた記憶は殆ど無い。
『また今度だ』と、額をこづかれた思い出ばかりだ。
だが公平に考えればそれは当然の事とも言えた。
アイツは7歳で既に下忍、11歳で暗部に入隊して任務をこなしていた。
二人きりの兄弟だからと言って、弟に構っているヒマが早々ある筈も無い。
だから……

だから、何だ?

考えると、いつも判らなくなる。
何故、アイツがあんな真似をしたのか。
アイツは最初から演技していただけなのか、変わってしまったのか。
変わってしまったのだとしたら、何故、変わったのか。

----イタチがあんな事をしただなんて、いまだに信じられねぇんだ

イルカ先生の言葉を思い出した。
本当にお人よしだと思う。
この里でアイツの無実を信じる人間なんて、イルカ先生くらいのものだろう。
だが逆に、アイツがやったという証拠は何も無い。
オレが見せられたのは幻術で、実際に殺すところを見た訳じゃない。
オレが帰った時には皆もう、殺されてた。
それでもアイツが一族滅亡に関わったのは確かだ。でなけりゃあの場にいた筈が無い。
シスイさんを殺したのだってアイツだ。自分ではっきりそう、言っていた。
万華鏡写輪眼を手に入れるために…と。
力を手に入れる為なら何でもする。そういう奴だったんだ。
考えただけで吐き気がする。
だけど…だけど何故だ?
何故、父さんや母さんや皆を殺さなけりゃならなかったんだ?
『下らない』一族が気に入らないから滅ぼしたのか?
気に入らなきゃ黙って里を出れば良いだけの筈だ。
『器を量る為』?
ワケわかんねぇよ。自分がどれだけ強いか試したかったのか?
12の時にうちは一の手練れと恐れられたシスイさんを自殺にみせかけてあっさり殺せる程の実力があったのなら、わざわざ腕試しをする必要なんかなかった筈だ。それに忍を引退して煎餅屋をやってるおばさん達まで殺す事に何の意味がある?

「うちはサスケ!」
不意に名を呼ばれて、オレはハッとして顔を上げた。
教壇の向こうから、教師が不機嫌そうな顔で睨んでいる。
「授業中に何をぼんやりしている?」
「…別に」
教師は何か言いたげだったがそのまま授業に戻った。
オレがいまだに抗欝剤を飲んでると知っているからだろう。
教室の隅の方で、「贔屓だ」と囁く声が聞こえた。
だったらてめぇも薬漬けになりゃ良いんだよ__咽喉まで出掛かった言葉を、オレは何とか飲み込んだ。



その日オレは、いつも通り演習場で一人で修行してから受付所に回った。
イルカ先生に会うのが目的だった。
あの人の話を聞いたところで何も解決しないのは判っている。だがイルカ先生の言葉がどうにも引っかかって仕方なかったオレは、そのもやもやを少しでも晴らそうと、イルカ先生が出てくるのを待った。
やがてイルカ先生は建物から出て来たが、何人かの同僚と一緒だった。
多分、これから一緒に飲みにでも行くのだろう。
今日は出直そうと思って歩き始めた時、イルカ先生に呼び止められた。
「サスケじゃないか。どうしたんだ、こんな時間に」
「オレはいつも帰りはこの時間だ」
「…俺を待ってたのか?」
待ってたのは確かだが、この時間まで修行するのはいつもの事だ。
オレがどう答えるか迷ってるうちに、イルカ先生は同僚たちに「先に行っててくれ」と言って、オレに向き直った。
「何か、話でもあるのか?」
「…話って訳じゃ…」
やっぱりイルカ先生の話なんか聞いても無駄だという気がして、オレは口ごもった。
「立ち話もなんだから、一楽__嫌、俺のうちに来るか?」
「__え……?」



イルカ先生の家は狭い教員宿舎だった。
もっとも、無駄にだだっぴろいうちはの本家より、よほど居心地良さそうに思えた。
「ありあわせのものしか無くて悪ぃが、すぐに用意するからちょっと待っててくれ」
「飯はいらねえ。ただちょっと話を聞いたらすぐに帰るから」
「まあ、そう言うな。すぐに出来るからな」
イルカ先生に笑顔で言われ、オレはそれ以上、反論できなくなって口を噤んだ。
聞きたかったのはただ、何故、イルカ先生がアイツを知っているのか。
イルカ先生の知っているアイツはどんな人間だったのか。
だがそれを聞いたところで、何も変わりはしない。

イルカ先生が用意してくれたのは缶詰だとかインスタントの寄せ合わせで、オレが普段食べてるのと同じくらい適当な食事だったけど、何故だか久しぶりにまともな食べ物にありつけた気がして、暫くは夢中で頬張った。
イルカ先生は次の学内行事の話とか同僚から聞いた笑い話とか当たり障りの無い話をして、場を和ませてくれた。
オレはせっかくのその雰囲気に水を射したくなくて、いっそこのまま礼を言って帰ろうかとも思ったが、それじゃ来た意味が無い。

「イルカ先生…アイツの事を知ってるって言ってたよな?」
食後のお茶を出された時、そう、オレは切り出した。
「アイツってイタチの事か?__まあ…な。何度か話した程度だが」
「任務の事でって言ってたな。何の任務なんだ?」
「それは言えないな。極秘任務だ」
「アカデミー教師が極秘任務?」
無遠慮なオレの言葉に、イルカ先生は苦笑した。
「俺だって中忍なんだからな。アカデミーと受付以外の任務だってこなす」
「だがアイツは暗部だった。普通の中忍と共通点なんか無い筈だ。それとも、アイツが暗部に入る前から知ってたのか?」
イルカ先生は困惑したように口を噤み、多分、無意識なのだろうが鼻の傷痕を指で掻いた。
何かを隠そうとしているのは明らかだった。
普通の大人ならもっとうまく誤魔化そうとするだろうけど、イルカ先生はそれをしない__単に、出来ないだけかも知れないが。
「__まさか……」
不意に嫌な事を思い出して、オレは鳩尾の辺りが重苦しくなるのを感じた。





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