(2)

「…サスケ?」
名を呼ばれ、オレは改めて相手を見た。
イルカ先生は5年前のあの頃と少しも変わらない。
すぐに怒鳴るので一見、単純な男のように見えるが、その実生徒一人一人の事をとても良く見ていてくれる。
あの事件の後、それまで兄貴を『天才』だと誉めそやしていた先生たちが手の平を返して『やはりどこか変わっていた』だの『早熟すぎて心の成長が追いつかなかった』だのと貶める中で、イルカ先生だけはアイツをけなすような事は言わなかった。
そして、繰り返し手首を切って入院したオレを皆が退学処分にしようとした時、一人だけ反対してオレがアカデミーに戻って来れるように主張したのもイルカ先生だったと、オレは医療忍の一人から聞いていた。
「……どうして…オレの退学に反対してくれたんだ?」
以前から聞いてみたいと思っていた事を、オレは口にした。
「お前が帰ってくるって信じてたからな。だから、居場所を取り上げたくなかった」
「オレが…アイツみたいになるとは思わないのか?」
オレの言葉に、イルカ先生は眉を顰めた。
「他の先生たちがオレを退学させようとしたのは、オレが事件のショックで使いモノにならなくなるだろうと思ったからじゃない。むしろオレが力を得て、いつかアイツみたいに狂って仲間を殺すのを恐れたからじゃないのか?」
「サスケ……」

イルカ先生は困惑したように表情を曇らせた。
オレの言葉を否定はしなかった。つまり、そういう事だ。
あの事件で生き残ったのはオレ一人。
目撃者も証拠もなにも無く、アイツが何故あんな事をしたのかは判明しないままだった。
オレは事情聴取を受け、最後にアイツから聞かされた言葉をそのまま答えたが、それは事件の真相究明には何の役にも立たなかった。
里の連中が下した結論は、『うちはイタチは乱心して己の一族を皆殺しにした』というものだった。
そして同じ血を引く弟のオレが同じ道を歩むかもしれない__そう、里の連中は警戒しているのだ。
俺がその事を知ったのは、通院していた頃に医療忍たちが話しているのを偶然、立ち聞きしてしまったからだ。
----あの子は被害者なのに、そんな目で見るなんて可哀想だわ
----判るものか。何しろイタチと同じ『うちは』なんだからな
その言葉を聞いた時、オレの中で何かが変わった。

「俺には…イタチが狂っていたとは思えない」
幾分か躊躇いながら、イルカ先生は言った。
オレはイルカ先生の顔を見上げた。
「と言うより…イタチがあんな事をしただなんて、いまだに信じられねぇんだ」
「イルカ先生…アイツを知っていたのか?」
好奇心より警戒心から、オレはそう訊いた。
イルカ先生とアイツの間には、オレ以外の接点は無かった筈だ。
そしてオレが知る限り、二人が会ったのはオレが足に怪我をした時だけだ。
「ああ、まあ……。任務の事で、何度か話をした程度だが」
嘘だと、オレは思った。
二人が会ったのは5年前のあの時が初めてだった筈だ。
そして兄貴は暗部、イルカ先生はアカデミー教師。
任務の接点などある筈が無い。
「イタチは13で暗部の分隊長になっただけあって、とてもしっかりしていた。里の事も、自分の一族の事も大切にしていて…」

----お前は一族と里の中枢をつなぐパイプ役でもあるのだ
不意に、父さんの言葉が脳裏に蘇った。
何があったかは判らない。
だがあの頃から、アイツは変わっていった。

「お前がアカデミーでどうしているか、イタチは気にしていたぞ?友達は出来たのかとか、そんな事をな」
「……アイツが……そんな事を……?」
意外に思って、オレは聞き返した。
イルカ先生は頷いた。
「他の先生方は皆イタチとお前を比較したがるから、それがお前のプレッッシャーになるんじゃないかって、心配もしていた」
「……アイツは……」
「あんな弟思いの優しい子が、自分の一族を滅ぼしただなんて俺にはとても__」
「嘘だ…!」
イルカ先生の言葉を遮って、オレは叫ぶように言った。
「アイツはオレを騙していただけだ!何もかも全部、嘘だったんだ!」
「__サスケ…!」
引き止めようとしたイルカ先生を振り切って、オレは走った。



その夜、オレは夢を見た。
暗部に入ったばかりの頃のアイツが、血まみれになって家に戻って来た時の夢だった。
オレはアイツが酷い怪我をしているのだと思い、半狂乱になって母さんに助けを求めた。
----母さん、早く!兄さんが、兄さんが……!
----サスケ…イタチは__
----早く助けてあげてよ!あんなに血だらけで、兄さんが死んじゃう……!
----お願いだから少し、黙って
動揺するオレに、母さんはきつい口調で言った。
オレは驚き、母さんを見上げた。
アイツは何も言わず微動だにせず、こちらに背を向けて座っていた。
オレは酷く不安になった。
だがどうする事も出来ず、母さんとアイツを交互に見つめた。
母さんは黙ったまま、アイツの血だらけの身体を抱きしめた。
----母上、汚れます
やがて、アイツはぽつりと言った。
それでも、母さんはアイツを離さなかった。

目が覚めた時、オレは泣いていた。
バカみたいに。






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