「あの人、良い先生だな」
そう言ってアイツは綺麗な顔に優しい笑みを浮かべ、静かに微笑んだ。
(1)
兄貴と比べられるのは嫌いだった。
「兄さんのように」と言われるたびに、自分の存在が否定される気がしたから。
それでもオレは、確かにアイツに憧れていた。
「お前って、すげぇよな」
「オレの兄さんはもっと凄いんだぜ?」
アカデミーでクラスの連中に言われるたび、オレは得意げになってそう、自慢していた。
今にして思えば、オレはバカだった。
アイツはオレの事など、全く眼中に無かったのだ。
オレだけでなく、父さんも母さんも一族の皆も、アイツに取っては虫けらみたいなモノだったんだろう。
オレはそんな事には気づきもせず、ただ必死にアイツの後を追っていた。
少しでも良いから、アイツに近づきたかった。
そうすれば、父さんに認めてもらえると信じていたから。
さすがオレの子だ__そのひと言を、言って欲しかったから。
あの頃のオレは、アイツの影ばかり追っていた気がする。
アイツは余りに遠い存在で、オレは影にすら近づけなかった。
今にして思えば、オレは本当にバカだった。
「大丈夫か?」
不意にかけられた声に、オレは顔を上げた。
イルカ先生が、どこか困ったようなちょっと不思議な表情をして、オレの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫って…何が?」
「ああ…いや、何だか考え込んでるみたいだから、どうしたんだろうって思ってな」
言って、イルカ先生は笑った。
その笑顔を見ると、この人本当に忍なんだろうかと、いつも思う。
取り立てて優秀という訳でもなく、かと言って無能でもない。
おおらかで熱血漢でお人よし__全く、忍には向いていない。
その人がオレに声をかけた理由は明らかで、オレは思わず目を逸らせた。
あの事件があってから、オレは半年ほど入院した。
事件の直後は全てが非現実の出来事のようで、オレは何事も無かったかのようにアカデミーに通っていた。
だが家に帰ると、どうしても事件の事を思い出さずにはいられなかった。
だから周囲は家を出て寮に移れと何度も勧めたが、オレはそれに従わなかった。
何故、オレが家に留まり続ける事に拘ったのかは自分でも判らない。
もしかしたらオレは、全てがただの悪夢に過ぎなくて、家に帰ればいつものように母さんが迎えてくれるのを期待していたのかもしれない。
そんな馬鹿げた期待を棄てられなかったせいか、オレは夜毎悪夢に苛まされるようになった。
寝つきが悪くなり、眠れば悪夢を見た。
昼間、アカデミーの授業を受けていてもあの日の出来事が脳裏に蘇り、集中できなくなった。
やがて繰り返し手首を切るようになったオレは、強制的に入院させられた。
色々な薬を飲まされ、不眠と悪夢からは解放された。が、同時に、オレは無気力になった。
いくら努力したところで、もうオレを認めてくれる父さんも母さんもいない。
うちは一族が滅んだせいで、警務部隊も変わった。
オレの目標は、もう何処にも無い。
「…サスケ?」
名を呼ばれ、オレはもう一度、顔を上げた。
「……!」
愕然として、オレは自分の眼を疑った。
心配そうな表情でオレを見下ろしていたのは、紛れも無くアイツだったからだ。
「何でアンタがここに__痛ッ……!」
飛び退ってアイツから離れようとしたオレは、右足首の痛みに呻いた。
「大丈夫か?」
「無理はするなって言ったろ?校医の先生は軽い捻挫で骨には別状はないっておっしゃってたが」
「そうですか。わざわざ送って来て下さってありがとうございます」
オレは半ば呆然として、アイツとイルカ先生が話すのを見つめた。
それから、不意に記憶が蘇った。
アカデミーに入って暫くたったある日、オレは一人で演習場で修行をしていて右足を痛めてしまった。
そんなオレを見つけて医務室に連れてゆき、家までおぶって送ってくれたのがイルカ先生だった。
イルカ先生はその年アカデミーの教師になったばかりで、まだクラスは受け持ってはいなかった。
今、オレが見ているのはその日の記憶だ。
もう大分落ち着いた筈だったのに、また記憶がフラッシュバックして、幻覚を見ているのか……
「サスケはいつも遅くまで一人で修行している。頑張りやさんだな」
だが、と、大きな手をオレの頭に載せて、イルカ先生は続けた。
「余り無理する事は無いんだぞ?体術の授業の時も言ったが、まだ身体が出来上がっていない子供の頃に無理をし過ぎると、成長に悪影響を及ぼす虞もある」
「でもオレは兄さんに追いつきたくて__」
6歳のオレは、言いかけて口を噤んだ。
アイツを見上げると、アイツはただ静かに微笑んだ。まるで、お前の気持ちは判っていると言っているかのように。
「イタチがすごく優秀だって言うのは先輩の先生方から聞いている。伝説になるくらいの天才だってな」
だが、と、イルカ先生は続けた。
「サスケはサスケ、兄さんは兄さんだ。勿論、兄さんを目標にするのは良い事だが、焦る必要はない」
オレは意外に思って、イルカ先生を見上げた。
他の先生たちは皆、オレと兄貴を比べたがるのに、こんな風に言われたのは初めてだ。
「サスケはまだアカデミーに入ったばかりで、時間は充分にある。俺なんか中忍になったのは16の時だしな」
言って、イルカ先生は笑った。
俺は7歳でアカデミーを卒業した兄さんに追いつきたいのであって平凡な中忍になりたい訳じゃないと思ったが、それでもイルカ先生の言葉は嬉しかった。
イルカ先生の言葉のお陰で、少しだけ__ほんの少しだけだが__肩の荷が軽くなったような気がしたから。
「あの人、良い先生だな」
イルカ先生が帰ると、アイツはそう言って微笑った。
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