(3)


「貴様…イルカ先生をどうした」
「訊くまでも無い。始末した」
相手の言葉に、カカシは全身の血が逆流するような感覚を覚えた。

今まで敵を憎んだ事は無い。
親友のオビトがカカシを庇って死んだ時にも、彼を殺した敵を憎みはしなかった__自分の不甲斐なさを呪いはしたが。
カカシや彼の同胞たちが任務を果たしているに過ぎないように、敵の忍もまた、任務を遂行しているに過ぎないのだ。
だが今、カカシは眼の前の男に対して、煮えたぎる程の憤りを感じずにはいられなかった。

「何故、イルカ先生を……」
呻くようにカカシは言った。が、答えを聞きたくは無かった。
敵の狙いが巻物ならば、イルカが犠牲になった理由は一つしか考えられない。
「…好都合だったからだ」
「好都合…だと?」
「成り済ますには自分と似た相手のほうが好都合だからだと言ったんだ」
相手の言葉に、カカシは眉を顰めた。
どうやら、カカシを油断させる為にイルカに変化した訳では無い様だ。それに、もしそうならばイルカの生命を奪う必要は無い。
だったら?
カカシの理性は、答えを見つけていた。
が、感情がそれを否定する。
不意に眩暈と吐き気に見舞われ、カカシはふらつきかけた。
「千本に毒を…」
「そうだ。そしてその毒には、お前も耐性は無い筈だ」
まっすぐにカカシを見据えたまま、男は言った。
「…俺がどんな毒に耐性があるのか、どうして貴様が知ってる?」
「あんたが自分で教えてくれたんじゃないか」
言って、『イルカ』は幽かに嗤った。





お前は忍には向いていない__何度も、仲間や先輩から言われた。お前みたいなお人よしがどうして忍になんぞなったのか、と。
理由など無い。
そして、俺はお人よしでも無い。

俺は元々、忍の家に生まれた訳では無かった。
父親は俺が物心つく前に俺と母親を棄てて行方知れずになっていた。だから、俺は父親の顔を知らない。
女手ひとつで俺を育てるのに疲れたのか、母親も俺が5歳の頃に俺を棄てた。それから俺は母親の親戚の家をたらい回しにされて育った。
再び棄てられるのを恐れた俺は、精一杯、『素直な良い子』であろうとした。お陰で親戚からはそれなりに可愛がられたが、母親は貧しい家の出で親戚も似たり寄ったり。余計な食い扶持を抱える余裕は無かった。

そんな俺を引き取ろうと申し出た男が現われたのは、俺が7歳になったばかりの時だ。
その男は忍で、伯父の一人が武器の研ぎ職人をしていた縁で俺の事を知ったらしい。
俺と一緒に暮らすか?__男の問いに、俺は何も考えずに頷いた。
選択の余地など無かった。

男は俺を亡くなった姉の子だと周囲に説明し、俺は彼を『叔父さん』と呼ぶように言いつけられた。『叔父』は俺を忍になる為のアカデミーに入学させ、俺は忍になる修行をした。
俺は『叔父』に棄てられるのを恐れた。見放されたら、今度こそ行き場が無くなってしまう。
それで俺は『叔父』の歓心を買う為に熱心に修行に励み、教師の言葉に従順に従い、級友とは決して諍いを起こさなかった。
成績も悪くなかった。そして『叔父』は、俺を可愛がってくれた。
俺は、やっと見つけた居場所に、一生懸命にしがみついていた。

アカデミーを無事、卒業して下忍となった時、『叔父』は俺の身体を求めた。
いずれ里外に長期任務に出るようになれば、上忍や部隊長の相手をさせられる事になる。だから今のうちに身体を慣らしておけと、『叔父』は言った。
俺は拒まなかった。
ただ何も考えず、首を縦に振った。

やがて俺は中忍になり、『叔父』の庇護を必要とはしなくなっていたが、『叔父』との関係は変わらなかった。
育ててくれた恩を感じていた訳でも無ければ、『叔父』の元を離れる事が彼の怒りを買うかもしれないと恐れた訳でもなかった。
ただ俺は十年近くの間ずっと『叔父』の言いなりでいた。その習慣が、まるで生まれながらの本能のように俺を支配していたのだ。



忍に向かないお前に打ってつけの任務があると言い渡されたのは、二十歳になる少し前の事だった。
木の葉の里に潜入し、そのまま木の葉の里に住み着き、得た情報を自分の里に流す__いわゆる、草だ。
それまでも俺は何度か他の里に潜入任務を果たしていた。行商人の振りをして潜入するのが常だったが、俺の『人当たりの良さ』は確かに潜入任務に打ってつけだった。
だが、草ともなると話は別だ。
草は数年から数十年、或いは生涯を任地で過ごす事になる。俺は『叔父』がどんな反応を示すのか、幾分か不安だった。
そして『叔父』は、あっさりと俺を手放した。
彼にとって、俺はそれだけの存在だったのだ。

例によって行商人に身を変えた俺は、木の葉の里に入り込むと、自分が成り済ます相手を探した。
里を出る前に叩き込まれた禁術を使えば、外見や声はおろか、気配やチャクラのようなものまで相手そっくりに成り済ます事が出来る。しかもそれは一時的な変化とは異なり、自分自身をターゲットに合わせて変えてしまうものだ。
そしてその為には自分と似通った相手を選ぶ必要があった。
うみのイルカを初めて見かけた時、忍らしからぬ人当たりの良さそうな雰囲気が自分と似ていると思った。
年齢も同じ。
背格好も似通っている。
調べると両親も兄弟もなく、恋人もいない。 それも成り済ましのターゲットとしては好都合だ。
しかも2年の長期任務から帰って来たばかりで、もうじきアカデミー教師の職に就き内勤となることが決まっていた。
まるで誂えたかのような好都合さだ。
だが木の葉の忍に成り済ますのは、幾らなんでもリスクが大きすぎる。それで俺は他のターゲットを探した。だから、うみのイルカが上忍と口論しているのを見かけたのは、ほんの偶然だった。
俺は咄嗟に気配を消して二人の様子を窺った。上忍は階級をカサに着て理不尽な言葉を並べ立て、うみのイルカはそれに反論していた。
信じられないと、俺は思った。
うみのイルカは俺と同じ孤児あがりだ。だから俺と同じように生きて行く為の方策として、『人当たりの良さ』を身につけたのだろうと思っていた。
だが、違った。
うみのイルカは何も考えずに首を縦に振ったりはしない。
相手が自分より明らかに実力の上回る相手であろうと、迎合もへつらいもしない。それどころか、堂々と反論する。

俺は、うみのイルカに嫉妬と羨望を覚えた。
そして、うみのイルカをターゲットに決めた。

口論相手の上忍は激昂してうみのイルカを叩きのめした。上忍が去ってから俺は通りすがりを装ってうみのイルカに近づき、介抱を申し出た。
それから後は簡単だった。
うみのイルカは何の疑いも持たずに俺の肩に縋って自宅に戻り、何の疑いも持たずに俺の汲んだ水を飲み、そして死んだ。
俺は術を発動させてうみのイルカに成り済まし、本物の死体を始末した。

それからの俺は、常に『うみのイルカ』らしく振舞う事に腐心した。
『うみのイルカ』らしく笑い、『うみのイルカ』らしく怒り、『うみのイルカ』らしく泣く。
『うみのイルカ』らしいお人よしさで同僚の残業を代わってやり、『うみのイルカ』らしい実直さで上司に意見した。そのせいで色々と損をしたり、理不尽な上忍から暴力を振るわれたのも一度や二度では無かった。
が、俺は『うみのイルカ』らしくあり続けた。
生徒たちからは慕われ、彼らの家庭の事情や、家庭内で密かにこぼされる愚痴や不満、それに噂話などを易々と入手しては里に情報を送った。

そうして、日々は恙無く過ぎた。
里からは特に指令も何も無く、俺は自分が里の役に立っているのかどうかも判らなかった。いつ戻れるのか、帰れるのかどうかも判らない。
判るのはただ、里に戻った所で俺の居場所は無いという事だけだ。
『叔父』は今頃、俺の代わりの少年を手に入れているだろう。
父親は勿論、母親も俺の事を気にかけてはいまい。
恋人がいた事は一度も無い。誰に対しても当たり障りの無い付き合いをしていた俺に、友人であれ恋人であれ、親密な関係になった相手などいなかった。

だから、はたけカカシから『好きです』と言われた時、心底、当惑した。





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