(2)


『…重いですよ、カカシさん』
俺の腹の上で懐く相手の肩を軽く揺すると、あの男は俺の腰に回した腕に一層の力を籠めた。
『あったかくて、気持ち良いです』
『俺は暑くて気持ち悪いです。シャワーを浴びたいからどいて下さい』
あの男は俺を見上げるとふにゃりと猫のように笑い、そのまままた俺の腹に懐く。
本当にこれが里一番の業師なのかと呆れながら、何とかベッドから出ようとした。が、あの男の腕は俺を放そうとしない。
俺は諦めて、銀色の髪に指を絡めた。
しなやかで柔らかいそれは猫の毛皮を思わせる。ゆっくりと頭を撫でてやると、あの男はそれこそ猫のように俺に身を摺り寄せた。

あの男がこんな風に聞き訳が無いのは、『何か』があった時だ。
任務で人を殺めたか、部下が死んだか。
そういう時には、あの男には何を言っても無駄だ。
何があったのか訊いても答えない。俺も、訊こうとは思わない。
ただこうして、求められるままに肌を交わす。
時には一晩中、手を繋いだままで過ごし、時には朝まで互いを貪る。どうやらあの男は、身体のどこかが触れ合っていれば満足ならしい。

『……あんたはまるで猫みたいですね』
『そうですか?よく言われるんですけど、何ででしょうね』
自覚していないのかと思うと何となく腹が立った。が、自覚していないのは判っていた。
あの男はそうやって野良猫のようにふらりと俺の前に現われ、勝手に俺の生活に入り込み、自分が甘えたい時だけ勝手に懐き、そして……
『……イルカ先生?』
俺が力任せに腕を振り払ってベッドを出ると、あの男は不安そうな声で俺の名を呼んだ。
まるで頑是無い子供だ。
『どうしたんですか、イルカ先生。怒ったの?』
さっきまで俺を散々、翻弄していた男が、母親に縋ろうとする幼子のような眼で俺を見上げる。
絆されてしまいそうになりながら、俺はベッドを出た。

『……イルカ先生……?』
冷たいシャワーを浴びていると、あの男が声を掛けてくる。
無視していると、勝手に風呂場に入って来た。
『どうしたんですか、イルカ先生。何で怒ってるの?』
『怒ってなんかいません』
『だったら、どうして?』
そんな事を訊くなんて、馬鹿だよあんたは__俺は、内心で毒づいた。
いつまでもあんたと一緒にいたい。
そう、思ったら急に腹が立っただなんて、そんな事を言える訳がないだろう?
そしてあんたみたいな野良猫に気を許した俺は、あんたに輪をかけて馬鹿だ。

俺が間違っていなかった事は、すぐに証明された。
----俺を棄ててください。
どの面下げて、そんな勝手な事が言えるんだ?
----俺を、忘れてください。
けれどもあの男を拾った日に、俺にはそうなる事が判っていた筈だった。
ただ、認めたくなかっただけで。





「イルカ…先生……?」
「今晩は。カカシさん」
言って、イルカは微笑んだ。
カカシは反射的に周囲を窺い、二人きりである事を確かめてから面を外し、相手に向き直った。
「こんなトコロで何やってんですか。それにその格好は…?」
「あんたが呼び戻されるくらいですからね。人手不足なんでしょうよ、暗部も」
「アナタが、暗部に……?」
カカシの問いに、イルカは頷いた。
が、カカシは緊張を解かなかった。
イルカが暗部に入隊したのだとしても、今ここにイルカがいる筈が無い。
「何て顔、してるんですか、カカシさん。俺は敵の変化でも何でも無いですよ?」
笑って言うイルカを、カカシは改めて見つめた。
このチャクラ。この気配。
カカシの知っている、カカシの慣れ親しんだそれに間違いはない。追跡に気づいた時にすぐにそれと判らなかったのは、殺気のせいだ。殺気を鎮めて穏やかに微笑む相手は、かつてカカシが愛し、今も想っているその人に間違いない。
それでも、カカシの中の本能が、『気を許すな』と訴えている。
「俺に付いて来れますか?」
挑発するように笑うと、イルカは地面を蹴った。



速い__イルカを追いながら、カカシは思った。
これは、明らかに中忍のレベルを超えている。
イルカに興味を持ち始めた頃、色々と調べた事がある。その結果によればイルカが中忍になったのは16の時で、決して早い方とは言えなかった。
が、それがイルカの能力の低さを示しているので無い事は、二桁に及ぶAランク任務の実績が物語っている。
『早熟の天才』と呼ばれていた自分とは、全く異なるタイプなのだろう__そう、カカシは思っていた。
だがいずれにしろ、たった今、目の当たりにしているイルカの実力は、中忍のそれでは無い。

「そろそろ良いでしょう」
軽い身のこなしで地面に降り立つと、イルカは言った。
カカシも続いて地面に降りる。
「イルカ先生」
かつての恋人に、カカシは言った。
「説明して下さい。一体、どういう事なのか」
「簡単な事です。巻物を、渡してください」
言い終わるか終わらぬかの内に、イルカが印を結ぶ。
「火遁、紅蓮華!」
放たれた言葉と同時に自分を取り囲んだ炎を、カカシは地面を蹴って避けた。が、カカシが跳んだ先にも炎が回りこむ。炎はまるで意志を持った生き物であるかのように、カカシを追った。
「何……!?」
『イルカ』は新たな動きを見せるでもなく、冷然とカカシを見据えている。
どうやら、放たれた炎がターゲットを自動的に追尾するらしい。相手のチャクラに反応してターゲットを追う禁術があると噂に聞いた事はあるが、現に目の当たりにするのは初めてだ。
カカシは素早く印を結ぶと、火遁の術の威力を減殺する水遁の術を発動させようとした。が、そのカカシ目掛けて四方からクナイの雨が降りかかる。

しまった……!

まんまとトラップ原に誘い込まれたのだと気づいた時には後の祭りだった。
どういう仕掛けになっているのか判らないが、トラップは炎と共にカカシを追って発動した。まるで生き物のように、執拗にカカシを追い詰める。
イルカは離れた安全な場所にいて、逃げ惑うカカシを冷たく見据えた。
確かに器用な術だけど、この程度で俺を仕留められると思われちゃ、困るんだけどね?__内心で呟き、カカシは降り注ぐクナイの雨と炎とを器用に避けた。
幾度かの攻撃をかわしたカカシに、千本の雨が降りかかる。
その時、不意にイルカがカカシのすぐ前に降り立った。
背後から襲い掛かる千本を避ければ、目の前のイルカに当たる__その事実が、僅かにカカシの反応を遅らせた。
「__くっ……!」
右肩を貫く鋭い痛みに、カカシは思わず呻いた。
その姿に、イルカは口の端を歪めて嗤う。
「__貴様……イルカ先生じゃ無いな……」
「気づくのが遅い__遅すぎる」
カカシの言葉に、『イルカ』は冷たく言った。





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