(1)


指定された時刻きっかりに、カカシは指定された場所に姿を現した。
ほぼ同時に姿を現した相手には、見覚えがある。暗殺戦術特殊部隊の総帥だ。
無論、相手もカカシも面で顔を覆っている。が、それでも相手が何者であるかの識別は出来た。そして、この場合、そうでなければならない。
「これだ」
短く言って、隊長は巻物をカカシに手渡した。受け取ったカカシはすぐに印を結び、巻物を封印した。その結果、カカシ以外の何者もこの巻物を開くことは出来なくなったという訳だ。
「じゃあ、ね」
両者を包む緊張感にそぐわない口調で言うと、カカシはその場から姿を消した。





カカシが五代目火影の執務室に呼び出されたのは3日前の事だ。
ふた月ほど前、カカシは他ならぬ綱手の命で暗部に戻っていた。暗部は火影直属であり、火影の勅命で動く。とは言え、火影に呼び出され、直々に下命を受けるのは稀だ。
『そりゃまたどーゆー理由なんです?』
暗部で保管している禁術の巻物を火影屋敷に移す__与えられた任務の説明に、カカシは訊いた。
綱手は答える代わりに、組んでいた指を組み替えた。
わざわざ火影執務室に呼び出されたのだから、これが極秘任務であるのは明らかだ。そして、暗部に長く籍を置いていたカカシは、暗部の保管所の守りの鉄壁さをよく知っている。
その保管所から貴重な巻物をわざわざ持ち出すとなれば、考えられる理由は一つだけだ。
『暗部に、密偵が…?』
綱手は幽かに溜息を吐いた。
『あろうことか暗部。それもかなりの中枢に潜り込んでいるらしい』
恐らく何年も前に種を撒いておいて機会を待っていたのだろうと、綱手は言った。
その表情には何の変化も無かったが、口調に悔しげな色が混じる。

大蛇丸による『木の葉崩し』は里に手酷いダメージを与えた。
五代目火影の座には早々に綱手が座り、表面上は復興が進んでいるように見える。が、大蛇丸のもたらしたダメージは後からじわじわと効いてくるボディー・ブローのように、木の葉の里を蝕んだ。
現に今も、カカシの教え子を含む下忍たちが里を出たままだ。
うちは一族の最後の生き残りを単に抜け忍として処分できない程に、木の葉の忍は人材薄になっている。そしてそれだけにサスケを追う任務に下忍を割り当てなければならなかった。



『それにしても、暗部の中枢にねえ…』
カカシの口調はむしろ暢気と言えるほどだったが、内心、穏やかではいられなかった。
火影直属のエリート部隊である暗部の中枢に密偵が潜り込んでいるという事は、木の葉の里の中枢が敵の耳目に晒されていると言うに等しい。
『それで?どの程度の事が判ってるんですか?』
『敵は恐らく複数。何年も前から潜入していたらしい__それだけだ』
『…綱手様?』
半ば咎めるような、半ば拗ねたようなカカシの言葉に、綱手は軽く眉を顰めた。
『お前を疑って隠し立てしてる訳じゃ無いよ。こちらの手の内が敵に筒抜けになっていたとしか思えない事態が何度かあった。だが、その時の敵や利害関係がバラバラで、相手の正体が掴めない』
或いはどこの里にも属さず情報を売って暴利を貪っている抜け忍崩れかも知れないがと、綱手は続けた。
『うちの暗部にそんな外道と繋がってる奴がいるだなんて…』
『…それじゃ、巻物は囮ですか?』
カカシの問いに、綱手は首を横に振った。
『巻物が密偵を誘い出す餌なのは確かだ。だが、疑似餌じゃない』
『それなのに、単独任務なんですか?』
『さもなければ、餌にならないだろ?』
口元の一方だけを歪めて嗤った相手に、カカシは軽く溜息を吐いた。
『Sランク任務を単独でこなせだなんて、人遣いが荒いですね』
『…怖気づいたか?』
『いーえ』
躊躇いも無く、かと言って気負いも見せず、何でもない事のようにカカシは答えた。
暗部に戻れと命を受けた時に、全てのしがらみは断ち切って来た。
今更、迷いはしない。





----あんたは勝手だ
そう言って、殺気すら滲ませてこちらを見据えていた黒い瞳が脳裏に浮かぶ。

俺はもう、帰ってくるって約束ができないんです。
だから、約束を守れない俺のことなんか、捨てちゃって下さい。

その言葉の身勝手さは判っている。
判っているが、言わずにはいられなかった。
待っていてくれる人がいるというのは、酷く心地が良かった。心地よくて、温かくて、ずるずると引き摺られてしまう程に。
実際、暫くの間、俺はその心地よさに溺れていた。
あの人は俺を甘やかすのが上手で、俺は時折、自分が何者であるか忘れそうになった。
あの人は俺に安らぎと温もりを与えてくれた。
だが同時に、俺を不安にさせ苛立たせ、追い詰めたのもあの人だ。
人を、殺める__子供の頃から何年も当たり前のように繰り返してきたその行為が、あの人と出会ってから耐え難く思えるようになった。
あの人も誰かを殺めた事くらいはあるだろう。
けれどもあの人は陽の当たる場所にいるべき人で、俺は闇に住まう『獣』だ。
だからもう一度、暗部に戻れと命じられた時、俺はあの人に言ったのだ__アナタの中の俺を殺して下さい、と。





その夜は新月だった。が、夜目の利くカカシには、仄かな星明りだけでも充分だった。
問題はむしろ、敵がついて来れるかどうか、だ。
禁術の巻物を火影の屋敷に届けるのも任務の内だ。が、肝心の密偵を暴きだして捕らえなければ意味が無い。
何度も同じ手は使えない。が、相手が喰いついて来るかどうかは判らない。

敵さんが現れてくれないと、俺、何か間抜けなんだけどねー

内心でぼやいた時、カカシは幽かな気配を背後に感じた。
面の下で、カカシは嗤った。
気配の消し方が甘い__が、その考えは、思った端から否定された。
相手は、気配を消してなどいない。姿を隠そうともせず、堂々とカカシを追って来る。
カカシは速度を落とさずに枝から枝へと飛び移りながら、後ろを振り返った。
カカシを追っている相手も、カカシと同じく暗部の装束を身に纏っている。
「随分、大胆と言うか、自信過剰と言うか…」
カカシは枝を離れ、地面に降り立った。
相手も同じように地面に降りる。
まず、顔を拝ませて貰いましょうかねー__声も無く呟いて、カカシはクナイを投げつけた。それを交わした相手にそのまま斬りかかる。
相手の身のこなしには隙がなく、動きも速い。
生け捕りにしなければならない事を考えると、一対一でも厄介な相手かも知れない。
増してや仲間が現われでもしたら、苦戦を強いられそうだ。
それでも何度か斬り結ぶ内に、カカシの忍刀の切っ先が、相手の面の紐を捉えた。
幽かな音を立て、狐の面が地に落ちる。
「……!」
面の下の顔に、カカシは我が眼を疑った。




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