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遺伝子操作による難病の治療__それがコードの研究課題だ。ラットやチンパンジーを使った実験段階はとうに過ぎ、実際にヒトの受精卵とDNAを使った実験段階に進んでいる。
「下らない倫理規定のせいで、公表は出来んがな」
オラトリオは反論したかったが、黙っていた。
先天的な障害を持つ者の遺伝子治療が、コードが十年来、取り組んできた分野だ。そしてその方法は、単純に言えば患者からDNAを採取し、遺伝情報を操作する。その後、核を取り除いた受精卵に植え付けるというものだ。
そこまで聞いた時、オラトリオは全身の血が逆流するかに感じた。
「…貴様、まさか__」
クォータはオラトリオを留め、コードに話を続けさせた。
「今から7年から10年前の間に、先天的な障害を持つ被験者から、DNAを採取した」
「オラクルのDNAを勝手に使いやがったんだな…!」
クォータが止めていなかったら、オラトリオはコードに掴み掛かっていただろう。そのクォータの顔色も、酷く蒼褪めていた。
「…あの被験者を知っているのか?」
「オラクルは俺の従兄弟だった」
「…何度かお見舞いに行きましたよ」
オラトリオとクォータの言葉に、二人がこれ程までにオラクルに関心を持つ理由が判ったと、コードは思った__特に、オラトリオの方は。
「ならば良く知っているだろう。あの被験者は生まれつき全盲で、心臓に欠陥があった。詳しく並べ立てればきりがないほど多くの遺伝的障害を抱えていた」
挑発するように、コードはオラトリオを見た。
「俺様のオラクルとは雲泥の差だ。眼も見えるし心臓の働きも正常。歩く事も走る事も出来る。それに絵の才能がある事も判った。眼が見えなければ発揮し得ない才能だろう?」
オラトリオは、爪が皮に食い込むほど強く、拳を握り締めた。
オラクルの眼が見えるようにしてやりたい
いつ次の発作が起きるか恐れずに済む心臓をあげたい
太陽を、月を星を雲を雨を見せたい……
幼い頃から、何度、思ったか知れない。だからこそ、医者になったのだ。
「貴様も医者の端くれなら、先天障害の治療に、遺伝子操作が何より効果的である事くらい、判るだろう」
「__でも…健康なクローンを造ったところで、もとの人間は治せないでしょう?」
クォータの言葉に、コードは鼻で笑った。そしてオラトリオに向き直る。
「骨髄移植をすれば、DNAが入れ替わるのは知っているな?」
ごくりと、オラトリオは唾を飲み込んだ。
自分の心臓の鼓動が聞こえる気がした。
「無論、事はそれほど単純では無いし、まだ実験段階だがな」
自分の功績に酔っているかのように、コードは言った。
「…それ程、”立派な”研究なら、何で勝手にオラクルのDNAを盗んだりした?」
「さっきも言ったように、ヒトの受精卵や遺伝子には__」
「どこかの金持ちの先天障害の子供でも見つけて、治してやるって持ち掛けた方が良いんじゃねえか?あんたの研究には酷く金がかかる筈だ」
コードは答えなかった。
黙ったまま、グラスに口をつける。
「…例え倫理規定違反でも、難病の家族を持った人は藁にもすがりますからね。DNAを採取するのは難しくないのに、どうして盗んだりしたんですか」
「俺が代わりに答えてやる。あんたはこの気違いじみた実験で、他に成功した事が無いからだ」
クォータは驚いたように、そしてコードは憎々しげにオラトリオを見た。
「全ての研究には段階という物がある。失敗の積み重ねの上に、初めて成功に辿り着くのだ」
「失敗して訴えられるのを恐れて、あんたは勝手に病人のDNAを盗んで回ったんだ。受精卵も盗んだんだろう?そうやって、どれだけの数の赤ん坊を殺したんだ?」
「受精卵と赤ん坊は全くの別物だ。貴様、それでも医者か?」
冷たく、コードは言った。
「…オラクル一人が突然、完璧な成功例として現れたとは思えませんね。胎児や幼児の段階まで成長した”失敗例”が、何人もいたのでは無いですか?」
クォータの言葉に、コードは答えなかった。
答える積もりなど無いだろう。
「オラクルは俺様の手元にいるべきだ。俺様が遺伝子デザインから造り上げたと言っても良い」
「てめえなんぞ、人間じゃねえぜ…」
うめくように言ったオラトリオを、コードは見据えた。猛禽のような、琥珀の瞳で。
「死に掛けた人間から臓器を抜き取るのは、野蛮では無いのか?」
「それとこれとは__」
「では聞くが、貴様の従兄弟は心臓のドナーが現れるのを待っていたのでは無いのか?」
オラトリオは否定できなかった。
子供のドナーは数が少なく、オラクルは移植されるべき心臓を得る前に、亡くなったのだ。
「『臓器移植の他に助かる術は無い』__これは無能な薮医者の言い訳だ。そう言っておけば、臓器が手に入らないのは医師の責任ではないからな」
「…それは言い過ぎ__」
「大体、脳死判定がどの程度いい加減なものか、お前も知っているだろう?脳死判定の後、息を吹き返した例など幾らもある。尤も、臓器移植が盛んになれば、その例は減るだろうがな__延命治療が短縮されるのだから当然だ」
クォータは視線を落とし、グラスの中を見つめていた。
「もし…患者からDNAを採取し、臓器を再生させる事が出来れば__」
「皮膚なんぞの分野では既に実施されている。臓器だけ再生するのと、人間一人を作り上げるのじゃ、訳が違うぜ」
クォータの言葉を、オラトリオは遮った。コードは冷笑った。
「皮膚移植の場合は、本人のDNAなど必要ない。全く別人の皮膚から増殖させて、拒絶反応の無い移植用皮膚が作れる」
オラトリオは口を噤んだ。
それは無論、判っている。
判っているが……
「だが、お前の言った通りだ、ひよっ子。『臓器だけ再生するのと、人間一人を造り上げるのでは、訳が違う』__人間一人造り上げて、初めて治癒出来る障害もあるという点ではな」
それに、と、コードは続けた。
「脳死者からの臓器移植は、ただの一例だ。倫理的に100%無傷ではない治療方法など、他に幾らでもある。それでもそれが行われるのは、他に方法が無いからだ」
「…あなたのやっている事は違法でしょう」
「安定した治療法方が確定すれば、いずれ合法になる」
平然と、コードは言った。
「それよりオラクルに会わせろ。これ以上、素人やひよっ子相手に講義を続ける気は無いぞ」
「あんたはまだ、全てを話しちゃいねえぜ」
オラトリオの言葉に、コードは眉を顰めた。
「具体的な遺伝子操作の方法や、人工子宮内での培養方法なぞ話す気は無いぞ__言っても判るまいが」
「遺伝子の切り貼りの仕方なんぞ、聞きたくねえ。そんな事より__」
オラクルに何をした?
その言葉に、コードの態度が変わった。尊大で冷酷で自信に満ちた態度から、急に後ろめたそうなそれに変わったのだ。
それを見、コードがオラクルに何をしたにせよ、初めからオラクルを虐待するつもりでは無かったのだと、オラトリオは思った。そしてそれは、恐らく実験とは無縁の事で__
コードがオラクルに何をしたか、オラトリオには判った気がした。そしてそれが正しいならば、聞きたくは無かった。
クォータも同じ気持ちだったのかどうかオラトリオには判らない。が、二人はそれ以上、コードを追及しなかった。
三人が部屋に上がって行った時、オラクルはベッドでテレビを見ていた。クォータは先に入ってオラクルに説明する積もりだったが、コードは彼を押しのけて中に入った。咄嗟に、オラトリオはコードの腕を掴んで引き留めた。
「これ以上、オラクルに近づくな」
「近づかんでどうして診察が出来る」
改めて、コードはオラクルに向き直った。オラクルはベッドの上に跳ね起き、脅えた眼でコードを見た。
「__大丈夫だ…もう何も心配する事はない」
そう言った時のコードの口調と表情は、バーにいた時とはまるで別人だった。
オラクルは怯え、ベッドの上で僅かに後ずさった。コードの表情が哀しげに曇るのを、オラトリオは見逃さなかった。
「お前の病気を治す為の薬を持って来ただけだ」
優しくコードは言ったが、オラクルの恐怖は和らがなかった。
「や…だ…」
「オラクル。もう…あんな事は決してない。だから__」
「厭だ…!」
枕を抱きしめたまま、オラクルは部屋の隅まで逃げた。その姿に、コードは溜息を吐き、目を閉じた。
自分の腕の中で泣き叫んでいたオラクルの姿を思い出す。
あんな事をする積もりでは無かった。苦痛を味合わせたくなど思わなかった。全てはただ、愛しさの故にした事なのだ。
唯一の成功例であるオラクルは、コードにとって特別な関心の的だった。それが、別な感情に変わるまで、大した時間はかからなかった。
遺伝情報を元に、半年ほどの間で18歳の姿に人工子宮内で成長したオラクルは、外見上は24、5歳の青年だが、心はまだ7歳の子供だった。その無垢さと無防備さが、コードの理性を狂わせそうになった機会は何度もあった。
あの日、いつものようにコードがオラクルの部屋を訪ねた時、オラクルはシャワーを浴びたばかりだった。素肌にバスローブ1枚まとっただけの姿で、無邪気にコードにじゃれついて来たのだ。
オラクルが厭がって暴れれば暴れるほど襟元や裾が乱れ、真っ白な膚が露になった。初めは何とかオラクルを宥めようとしたコードだったが、ひとたび狂暴な激情に囚われると、前後の見境も無くなった。
そして__
ゆっくりと、コードは目を開けた。オラクルは怯えきった眼差しでこちらを見ている。
あれほど細心の注意を払い、大切にし、慈しんで育てた。信頼されている筈だった。その全てを、一瞬の劣情の故に失ったのだ。
「…代わりにお前が診察しろ」
投げやりな口調で、コードはオラトリオに言った。そして、持ってきた医療カバンをオラトリオに渡した。
オラクルは、オラトリオの側にもすぐには近づこうとしなかった。オラトリオはオラクルを抱きしめて宥めてやりたい衝動を何とか抑え、神経質な子供の患者に対する時のように、辛抱強く振る舞った。
「オラクルには一種のアレルギーがある。そのせいだろう」
オラトリオの診断結果を聞くと、コードは言った。今までに何度もあった事で、大事に至る事は無いが、特別に調合した薬が無ければ熱が下がらないのだと説明した。
コードはオラトリオにアンプルを渡したが、中身を調べるまではそれをオラクルに投与する気は、オラトリオには無かった。
立ち去り際、コードはもう一度、オラクルに向き直った。
「俺様の所に帰る気は無いのか?」
迷いもせず、オラクルは首を横に振った。
「貴様らにオラクルを渡す気は無い」
だがロビーまで降りると、きっぱりとコードは言った。
「オラクルがあんなに厭がってるのに、あんたはまだ__」
「貴様らがオラクルに関心を持つのは下心があるからだろう__違うとは言わせんぞ」
コードの言葉に、オラトリオとクォータは思わず互いの顔を見た。オラクルが女性であれば、下心では無く、結婚する積もりなのだと、二人とも言っていた。
が、二人は何も言えなかった。オラクルが同性だからと言うより、オラクルの気持ちを確かめていないから。そして__
確かにその無垢さは愛している。だが、7歳の子供の心でしかない相手に、どうやって想いを告げれば良い……?
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