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クォータはその後すぐに、オラクルを別のホテルに移らせた。コードの執念を、クォータは恐れたのだ。

検査部に頼んで、オラトリオはコードのアンプルの中身を調べた。既知の薬品が、幾分か特殊な割合で配合されているだけだった。これならば今後、オラクルがアレルギー症状を起こしても、コードに頼る必要は無いと、オラトリオは思った。

オラクルはやがて落ち着きを取り戻し、医局に電話がかかって来る事もなくなった。が、コードが諦めたとは、オラトリオには思えなかった。


その日も、オラトリオはオラクルと一緒に病院のカフェで食事をしていた。今ではこうして一緒に食事し、テーマパークや博物館に出掛けるのが習慣のようになっていた。
「なあ…今度、俺のアパートに来ねえか?」
もう一度、オラトリオは誘ってみた。オラクルは今度は即座に拒絶したりはしなかった。
「…どうして?」
「俺の手料理を食わせてやるよ。こう見えても料理は結構、うまいんだぜ?」
オラトリオが言うと、オラクルは興味を示したらしかった。
「じゃあ…行こうかな」
「お前が住んでるホテルに比べりゃ、大分、質素だが」
「研修医って貧乏なんだって?クォータが言ってた」
オラクルの無邪気な言葉に、オラトリオは苦笑した。
「まあ、研修中の身だからな。それでもお前を遊園地に連れてく位の金はあるから心配するな」
クォータなら、財力にものを言わせてオラクルに幾らでも高価なプレゼントが出来るのだろう。それを思うと、オラトリオは幾分かの羨望を覚えた。
それでも、オラクルは贅沢好きな女性とは違い、高価な贈り物で心を動かされる事は無かった。それが、オラトリオの救いでもあった。



次の土曜に、オラトリオは自室にオラクルを迎えた。
「狭いね」
率直に、オラクルは言った。狭い上に何の飾り気も無い。せめて鉢植えの一つでも買っておけば良かったと、オラトリオは後悔した。
「学生時代から住んでるからな…。その内、もう少し広い所に引っ越そうとは思ってるが」
「その内って?」
お前が一緒に住むようになったら__その言葉を、オラトリオは口にしなかった。
オラクルは興味ありそうに部屋の中を見回していた。
そして、すぐにその写真に気付いた。
「__これ…私?」
不思議そうに言って、オラクルはシルバープレートの写真立てに飾られた写真を手に取った。オラトリオが亡き従兄弟と一緒に撮った物だ。
「私じゃ無いな…こんな服、持ってないし。それに……」
オラクルの写真はたくさんあった。もう一人のオラクルは、その1枚1枚を手に取り、不思議そうに眺めた。
そのオラクルの姿を、オラトリオはじっと見つめた。
「似てるけど、私じゃ無い__これ、誰?」
「…俺の従兄弟だ」
従兄弟だった__口の中で、オラトリオは呟いた。
「どうしてこんなに沢山、写真があるんだ?」
「__とても大切な…大好きな従兄弟だったから」
オラクルは、改めてオラトリオを見た。過去形である意味が判らないらしく、きょとんとしている。
「今度、遊園地に行く時に、カメラを持ってこうぜ」
口調を変え、オラトリオを言った。
「お前の写真を撮りたい__この部屋に飾れるように」
「それって…」
オラトリオをまっすぐに見つめ、幽かに小首を傾げてオラクルは聞いた。
「お前が私を大切に思ってるって事?」
「__ああ…」
余りに率直な言葉に軽い目眩を覚えながら、オラトリオは言った。相手の心が7歳の子供のものだと知らなければ、駆け引きを楽しまれていると思う所だ。
「それより、飯にしようぜ。すぐに用意するから座ってろ」


食事はオラクルの口に合ったらしく、とても喜んでいた。ホテルの食事はこってりしすぎていて好きじゃないと、オラクルは言った。
食後、オラトリオはいつもコーヒーを飲むのだが、オラクルの為に紅茶を用意した。その紅茶を飲みながら、オラクルは言った。
「クォータがね、一緒に住まないかって」
何気ないオラクルの言葉に、オラトリオは息が止まるかと思った。
「クォータは仕事がとても忙しいから、私がホテルにいたんじゃ、あまり一緒に過ごせないからって」
オラクルは紅茶に砂糖を少し足し、スプーンでかき混ぜた。それから、オラトリオを見る。
「でも私は、お前と一緒にいる方が良いな」
思わず、オラトリオはオラクルに手を差し伸べた。そして頬に触れる直前で思いとどまる。
「…に触っても良いか?」
「え…?」
「手に触っても良いか?」
自分の臆病さを気恥ずかしく思いながら、それでも真剣に、オラトリオは言った。
「別に、良いけど?」
オラトリオは躊躇いがちに、オラクルのほっそりした手に軽く触れた。それから、両手で包み込む。

「お前が…好きだ」
オラクルの手を引き寄せ、指先に軽く、ほんの触れるだけのキスを落とす。
「お前が好きなんだ、オラクル…」
「私もオラトリオの事、好きだよ」
躊躇いも無く、オラクルは言った。
オラトリオは軽く目を閉じた。
まだとても、そんな段階ではない。オラクルはまだ、恋愛感情など理解できないのだ。ひどく閉鎖的な環境で育っているし、コードはオラクルに社会性を持たせようなどと、考えなかっただろうから。
オラトリオを好きだと言うのも、単にあちこちに遊びに連れて行ってくれるからに過ぎないかも知れない…
「__なあ…俺と一緒に住まないか?」
躊躇った末、それでもオラトリオは言った。
今、オラクルと同じ部屋に住んだりしたら、理性を保てる自信が無い。だが、オラクルを傷つけるような真似は絶対にしたくない。
それでもそう、言ったのは、このままではオラクルをクォータに奪われてしまうという焦りからだった。
「考えておくよ」
明るく微笑って、あっさりとオラクルは言った。



その後も、オラトリオはたびたびオラクルと一緒に食事をし、出掛けた。クォータもオラクルを食事に誘い出したりはしていたが、オラクルの心がオラトリオに傾いている事を、彼は感じ取っていた。
「私と一緒に暮らしませんか?」
ひと月後、クォータはもう一度、オラクルに聞いた。オラクルは首を横に振った。
「私はオラトリオと一緒に住む事にしたから」
嬉しそうに微笑って、オラクルは言った。見蕩れるほど奇麗な笑顔だった。
「__そうですか…残念です」
見るからに残念そうなクォータの様子に、オラクルは軽く小首を傾げた。
「でも、また会えるだろう?」
クォータにその積もりは無かった。オラクルの心がオラトリオのものなら、追い続けるのは未練でしか無い。
それよりも……
「__ええ…また、お会い出来ると良いですね」

別れ際にクォータは、オラクルから数枚の絵を、不当と言えるほど高い値段で買い取った。餞別の積もりだったのだろう。
オラトリオはそのいかにも金持ち然としたやり方が気に食わなかったが、オラクルが受け取った金を突き返す訳にも行かなかった。そして、オラクルはその全てをオラトリオに渡した。


それからすぐ、オラトリオはベッドルームが2つある部屋に引っ越した。街からは少し遠くなるが、窓から公園の緑が見渡せ、リビングも前よりは広い。
オラクルは小さな花の鉢植えを沢山買い込み、窓辺を飾った。

オラクルは大分、落ち着き、みのるのところに通う必要は無くなっていた。
将来の事を思えばオラクルにも仕事があった方が良いだろうと思い、オラトリオはオラクルを画学校に通わせた。それが職業になるかどうかは判らないが、オラクルはその生活が気に入っていた。
画学校に通うようになってから、オラクルは油絵を描き始めた。だから寝室とアトリエは別にしてやりたいとオラトリオは思ったが、そこまでの贅沢は無理だった。
そして、オラクルと寝室を共にしながら理性を保つのは、もっと無理だった。

それでも一緒に暮らすようになってからは、自然と互いに触れる事が多くなった。オラクルはオラトリオに髪を撫でられたり頬に触れられたり、時には軽く抱きしめられても怯えなかったし、嫌がりもしなかった。むしろそれを望んでいる様にすら見えた。

急ぐ気も焦る積もり、オラトリオには無かった。オラクルの意志を踏みにじる気は無かったし、世間知らずの無垢さを利用して、こちらの都合の良いいように”教育”しようとも思わなかった。
無論、いつまでも我慢していられる自信は無いが。
コードのした事で、オラクルがあれほど傷つき、怯えていたのを目の当たりにしていなかったら、ここまでの自制心は到底、発揮できなかっただろう。

そして、今はそれで幸せだった。
オラクルが側にいてくれる__それだけで、充分、幸福だった。










オラトリオがオラクルと共に生活するようになって、2ヶ月が過ぎた。
「ただいま、オラクル」
その日、いつもの様に勤めを終え、オラトリオは部屋に帰った。が、いつもなら出迎えてくれるオラクルの姿は無かった。リビングの灯かりも消えている。

まさ…か…

全身の血が凍るように、オラトリオは感じた。
コードが完全に諦めたとは思っていない。だからこそ、今の住所は医局にも知らせていないのだ。が、勤め先を知られているのだから、尾行されれば住所は突き止められてしまう。
それにここは、クォータの子飼いのボーイがガードマンの役割を果たすホテルとは違うのだ。
「オラクル…オラクル…!」
愛しい者の名を呼び、オラトリオは乱暴にドアを開けた。
自分の部屋に、オラクルはいた。
床の上に膝を抱えて座り込んでいる。
「…どうした、オラクル?」
悪い予感に激しく鼓動する心臓を宥めながら、オラトリオは相手に歩み寄った。脅えたように、オラクルが見上げて来る。
「__コードが……」
思わず、オラトリオはオラクルを抱きしめていた。
「痛__やだ、オラトリオ…」
強く抱きしめ過ぎたせいで、オラクルがもがいた。オラトリオは慌てて腕の力を緩めた。そして落ち着けと、自分に言い聞かせる。
「済まん__それより…コードが来たのか?」
オラクルは頷いた。パニックを起こしている訳では無いが、不安そうだ。何があったのか、オラトリオは聞きたくない気がした。
「私を連れ戻しに来た訳じゃ無いって…。でも…凄く怖かった」
「連れ戻しに来た訳じゃ無い…?」
鸚鵡返しに、オラトリオは聞いた。オラクルの、というよりコードの言葉が信じられなかった。
「帰って来る積もりは無いのかって聞かれたんだ。無いって答えたら、『判った』って…」
オラトリオは、オラクルの髪を軽く撫でた。それでオラクルは少し、安心したらしかった。
「それでね、思い出の品として、私の髪の毛を少し、欲しいって」
その言葉を聞いた時、オラトリオは全身の血が逆流するかに感じた。

毛髪からは、DNAが採取できる。そしてそれにヒトの受精卵があれば、オラクルのクローンが造れるのだ__幾らでも。

意に従おうとしないオラクルを追い続けるよりも、新しいクローンを造り、今度こそ失敗のない様に、洗脳してしまえば良い。
遺伝情報を元に半年かそこらで青年の姿に成長するクローンは、恐ろしく無垢で世間知らずなのだ。初めからその積もりで育てれば、何でも言う通りに従う従順な恋人に仕立て上げるのは、たいして難しくないだろう。

あの後、クォータからも何の連絡も無い事を、オラトリオは思い出した。
遺伝子治療の実験で、オラクルが唯一の成功例でしかないのは、もとのDNAの遺伝情報を複雑に操作しなければならないからだ。が、単純に核を入れ替えるだけのクローンなら、コードであれば簡単に造れるに違いない。
無論、人工子宮内での成長過程で、何人かの”胎児”は犠牲になるかもしれない。だがその程度の”失敗”を、コードは気にも留めまい。
その事情を、クォータは知っている。そして、愛しい者を手に入れる為ならば、彼ならば惜しげも無く大金をつぎ込むだろう。そしてそれは、コードに取っても美味しい話に違いない。

背筋が寒くなるのを覚えながら、オラトリオは改めてオラクルを抱きしめた。何処かで生み出されているかも知れないオラクルのクローン達を、彼はどうしてやる事も出来ない。

オラクルにコードに研究所の場所を聞き出して、当局を差し向ければ…?

そんな事をすれば、オラクルから引き離されてしまうかもしれない。それに、研究第一の医学会のハイエナどもが、”興味ある症例”であるオラクルを放っておくとは思えない。何より、秘密を話した時点で、コードは研究所を移転させるか何かの手を打っている事だろう。

「お前は俺が護る……」
言い聞かせるように囁きながら、オラトリオはオラクルを抱きしめていた。抱きしめていなければ、自分が震え出しそうだった。
「何があろうと、お前だけは……」
オラクルは間近にオラトリオを見、嬉しそうに微笑んだ。
「信じているよ、オラトリオ」

オラトリオは改めて、秘密を打ち明けた時のコードの言葉を思い出した。そして、従兄弟のオラクルを喪った時の無念さを。
コードのしている事は、倫理に反する。新しいオラクルのクローン達にしようとしている事も、本人の意思を無視しているのだから、人間の尊厳を踏みにじる行為だ。
だが……
従兄弟のオラクルが亡くなってから、オラトリオは生きる意味を見失っていた。毎日、後悔と無念さに苛まされながら、流されるように日々を送っていた。医師になって、一人でも多くの生命を救いたいという願いも、オラクルその人を助けられないなら、無意味に思えた。

もしもそんな時、オラクルを蘇らせてやると囁かれたら?

オラクルと同じ瞳、同じ髪、同じ口元
同じ声、同じ囁き、同じ微笑み……

最愛の者を喪った哀しみの中でなら、人は容易に悪魔にも魂を売り渡すのだろう__





「…ねえ、オラトリオ?」
暫くして二人とも落ち着くと、オラクルは言った。
「今度は、プラネタリウムに行きたいな」

太陽と月と星と雲と雨を見たい

薄幸な従兄弟の、たった一つの『望み』を思い出す。
「__ああ…連れて行ってやるぜ」
嬉しそうに微笑んだオラクルを、オラトリオは改めて、しっかりと抱きしめた。






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