(9)
「あの人が何を考えているんだか、俺にはもう、判りません」
数日後、イルカはアスマの自宅で冷酒の杯を次々と干して言った。
アカデミーの帰りがけにアスマに声をかけられ、そのままアスマの自宅に来たのだ。
「親同士の話を持ち出すなんぞ、汚ぇマネ、しやがる」
吐き棄てるようにアスマは言った。
初め、イルカは言葉を濁していたが、酔いが回ると共に饒舌になり、カカシから聞かされた話の全てをぶちまけたのだ。
「…俺の父親が、助けられたにも拘わらずカカシさんのお父さんを非難したっていうのは本当なんでしょうか」
「俺も詳しい事は知らんが、知ってそうな奴に聞いてみるぜ」
「でも…調べればすぐに判るような嘘を吐く筈ないですよね」
言って、イルカは杯に酒を満たし、それをすぐに飲み干した。
そして更に杯を重ねようとしたイルカの手を、アスマは軽く押さえて止めた。
「もう、止めておけ__酒も、カカシとの事も」
イルカは顔を上げ、虚ろな眼でアスマを見た。
「親たちの間にどんな因縁があったにしろ、お前には関係のねぇ事だろ?」
イルカが「関係ない」で済ませない性格だと判っていて、敢えてアスマは言った。
「……あの人も、お父さんと同じように孤独なんでしょうね。子供の頃から特別扱いされて、優秀な忍として期待されて。普通の子供時代を過ごすことも赦されなかった」
「あいつは__」
言いかけて、アスマは口を噤んだ。
カカシは信頼の置ける仲間だ。
安心して背中を任せられるし、カカシもアスマの事を同じように思っている。
だがそれはあくまで『忍』の『仲間』としてであって、カカシ個人の事は意外なほど、知らない。口布の下の素顔を見たことも無い。
ガイはカカシをライバル視しているが、ガイに対するカカシの態度は冷めている。
カカシの言葉が正しいなら、サクモはイルカの父が、自分を一人の『人間』として受け入れてくれる唯一の相手なのだと信じ、期待していた。
人付き合いの苦手なサクモは自分の気持ちを言葉にすることが出来ず、その為、彼の想いは鬱積し、膨れ上がった__敢えて無謀な選択をしてしまう程に。
そしてその想いはイルカの父に受け入れられず、サクモは自ら死を選んだ。
----あの人は、寂しいんですよ
10代の頃、遊女から聞いた言葉をアスマは思い出した。
----寂しい癖に、寂しいって認められないんです__きっと、傷つくのを恐れているのね
イルカも、アスマから聞かされた遊女の言葉を思い出していた。
人は勝手に期待するから傷つくのだ。
期待などしなければ、傷つく事も無い__
父親の死に様を知ったカカシが期待する事を止めたとしても、無理は無い。
「あの人は俺に言ったんです。『写輪眼のカカシでも暗部出身のエリートでもない、ただの一人の人間として、はたけカカシとしての自分を見て欲しい』って。それに俺と二人でいるとすごく子供っぽい態度を取るんです」
だから、とイルカは続けた。
「あの人は気の休まる場所が欲しかったんじゃないかって思ったんです。里の誉れとなるエリートとして、いつも里の為に尽くし、殺伐とした任務もこなしている。でも優秀な忍だって人間です。だからあの人も、あの人のお父さんも、安心して自分の弱みを曝け出せるような、そんな場所が欲しかったんじゃないかって」
アスマは黙ったまま、イルカが続けるのを待った。
イルカは視線を落とし、口元を歪めて哂った。
「俺の側が、あの人にとって気の休まる場所なのかどうか、俺には判りません。俺が役不足なのかも知れない。でもあの人は、わざわざ揉め事を持ち込んで俺を苛立たせるんです。まるで……俺の父親があの人のお父さんの想いを受け入れなかった事の復讐をしているみたいに」
「そいつは……」
言いかけて、アスマは口を噤んだ。
いくらカカシでもそんな真似はすまいと、そう思う端からカカシならその位の事はやりかねないとも思う。
『白い牙』が自殺したのは、カカシがまだ8歳だった時の事だ。
その年の頃に受けたショックが後の人生観や人格形成にどれほどの影響を与えるかは計り知れない。
カカシは自分が傷つくことを恐れる余り、無意識のうちにイルカを傷つけてしまっているのかも知れない。
或いはイルカの父親を憎み、イルカに復讐しているのかも知れない。
どちらがカカシの本心なのかどちらも本心では無いのか、アスマには判らなかった。
「…で、お前はどうしたいんだ?」
アスマの言葉に、イルカはのろのろと顔を上げた。
「……ガキの頃、怪我をしてた野良猫を拾ったことがあるんです」
かなり酔いが回っているらしく、焦点の合わない目で宙を見遣りながら、イルカは言った。
「うちで飼えないのは判っていたから放っておこうとしたんですけど…雨が降っていて、そいつは酷く弱っていて、立ち去ろうとした俺を、縋るように見上げたんです。そいつと目が合ってしまって、どうしても見捨てられなくて……」
イルカはその猫を家に連れて帰ったが、猫はまったく懐かなかった。
怪我の手当てをしてやろうとしても暴れるし、餌をやっても警戒して中々、食べようとしない。
それでもイルカは一心に猫の世話をした。
猫が暴れるせいで引っかき傷だらけになりながら、怪我の手当てもした。
そして或る日、猫は姿を消していた。
傷が癒えたので、イルカの元から立ち去ったのだ。
「まだガキだった俺にはショックでした。裏切られたみたいで。そして、もう野良猫なんて拾わないって自分に誓いました」
でもきっと、と、イルカは続けた。
「縋るような目で見られたら、また拾ってしまうんでしょうね…」
「…拾って、それでどうする?」
「拾ったからには責任を持ちますよ__でもきっとまた…勝手に出て行っちゃうんでしょうけど」
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