(8)


「…俺の…父…?」
意外そうな表情でこちらを見つめるイルカを、カカシはまっすぐに見つめ返した。
「俺の父親がどうして死んだか、ご存知ですか?」
カカシに問われ、イルカはカカシの父親があの高名な『白い牙』だったのだと改めて思い出した。
カカシと深い仲になる前からその事は知っていたが、特に意識した事は無かったのだ。
伝説の三忍も霞むと言わしめた程の天才だと聞いた事はある。そして若くして亡くなったのだ、とも。
だがその理由までは、イルカは知らなかった。
「……いいえ」
答えたイルカを、カカシは哀しみと侮蔑が綯い交ぜになったような表情で見遣った。
「そうでしょうね。不名誉な死に方でしたから。慰霊碑に名も刻まれていない」
『白い牙』の名が慰霊碑に刻まれていないのは意外だと、イルカは思った。
そして不世出の天才との誉れ高かった忍と自分の父親がどう関係するのか、訝しむより不安な気持ちになりながら、カカシが続けるのを待った。
「俺の父親は、ある任務に失敗し、里はその失敗を咎めた。任務に失敗したのは仲間を助ける為だった。そしてその助けた相手にまで非難されて__自ら生命を絶ったんです」
「……まさか……」
「そう。俺の父親が助けて、その為に任務に失敗した仲間というのは、アナタのお父さんです」
「そんな、馬鹿な…!」
思わず、イルカは言った。

記憶にある父親は厳しくて優しくて、曲がったことが大嫌いな人だった。
任務に失敗したからと言って仲間を非難するような人では無かった。ましてやそれが自分の生命の恩人であれば尚更だ。

「信じられませんか?そうでしょう、俺もです」
冷静、と言うより冷淡な口調で、カカシは続けた。
「俺の父親は、アナタのお父さんのことが好きだったんです」
「…そんな……有り得ない…」
「どうして?二人とも結婚して子供がいたからですか?俺の父親が結婚したのはご意見番の命令に従っただけです。愛情なんて、無かった」

『白い牙』__はたけサクモは幼少の頃より忍としてのずば抜けた能力を発揮し、広く他里にまでその名を知られていた。
彼の能力は名門として知られるうちはや日向に匹敵するもので、その血筋を残し育てることは里にとって重要な急務とされた。
ご意見番たちは『白い牙』の能力をより確かに子孫に伝えるため、名門の家から妻を娶らせようとした。が、名門と呼ばれる家はどこも自分たちの血継限界を護る事を至上とし、一族以外との通婚を承諾しようとはしなかった。
結局、サクモの妻に選ばれたのは古い名門の家の末裔だった。
元は名門の家だったが相次ぐ戦乱で優秀な忍を若い内に亡くし、一族の体裁を保てない程に零落していた。
『白い牙』との結婚を承諾すれば、支度金の名目でかなりの金額が里から支給される__それが、娘の家が結婚を承諾した理由だった。
娘は自分が金で買われたように感じ、サクモの事を侮蔑していた。そしてサクモはそんな妻を押し付けられたことに辟易し、彼女を持て余していた。
二人は自分の感情を殺して義務を果たすことに専念し、婚儀の一年後にカカシが生まれた。
カカシの母は産後の肥立ちが悪く、病を得て遠い他国で療養することとなった。
そのまま彼女が帰ってこない理由が病ではない事は、幼いカカシも気づいていた。

サクモは忍としては優秀だったが、それ以外の事は何も出来ない男だった。
カカシの養育も、里から遣わされた乳母に任せきりにしていた。
部隊を統率する能力には長けているのに、人付き合いは苦手だった。
彼が人付き合いを苦手とする以上に、周囲は彼を敬遠した。
余りにずば抜けた能力の持ち主であり、三忍のように同等の仲間もいない。
結果としてサクモは、プライヴェートではいつも独りだった。
そんなサクモの唯一の“仲間”となったのは、彼と同様に幼い頃から能力を発揮し始めたカカシだった。

「6歳で中忍になると、親父は俺をあちこち連れまわす様になったんです。時には任務にも。俺はまだほんのガキだったけど、自分たちが周りから特別扱いされているのは判りました」
幼いカカシは自分の父親が周囲から優秀だと認められている事を誇らしく思い、自分も父親のようになりたいと願った。
どんな危険な任務であってもサクモはそつなくこなしたので、父の身を案ずる必要も無かった。
そして、サクモも息子の才能を喜んでいた。
「そうやって親父に連れられて、何度かアナタのお父さんにも会いました」
「俺の…父に…?」
「上忍になるまで、アナタのお父さんも受付をやっていたでショ?それで、報告書を提出に、ね」

里では皆、サクモを畏敬の念を込めて『白い牙』と呼んでいた。が、イルカの父親は例外だった。
まるでサクモが普通の上忍であるかのように「はたけさん」と呼び、他の受付と違ってサクモを特別扱いせずに皆と同じように列に並ばせた。
カカシはその受付の中忍を無礼な奴だと思った。が、サクモは何故か嬉しそうだった。
そして他の受付を選べば並ばなくて済むのに、わざわざいつもイルカの父の列に並んだ。
カカシは納得できなかったので、ある時、その理由を父に聞いた。
俺だって、人間だから__それが、サクモの答えだった。
幼いカカシにはその意味が判らなかったが、サクモが好きでやっている事だからと、それ以上は追及しなかった。

2年後の或る日、サクモはいつものように任務に出かけた。フォーマンセルの任務でサクモが隊長、部下3人の中にはイルカの父がいた。
イルカの父が敵に捕らえられ、サクモは任務達成よりイルカの父を助けることを優先した。
その結果、任務には失敗した。
別の任務に出ていたカカシは、『白い牙』が任務に失敗したとの噂を信じられない思いで聞き、急いで家に戻った。
サクモは家には帰っておらず、負傷した部下の見舞いに病院に行っていると聞かされたカカシは、すぐに病院に駆けつけた。その時まだカカシは事の詳細を知らなかったので、サクモも怪我をしているのでは無いかと心配したのだ。
「親父はアナタのお父さんの病室にいました。俺は気配を消して、会話を立ち聞きしました」
カカシは一旦、言葉を切った。それから、続けた。
「俺の父親はアナタのお父さんを助けたかったばかりに他の部下を危険に晒し、負傷までさせた。アナタのお父さんが非難したのは、任務の失敗ではなく、その事だったんです」
「…ですが、それは……そもそも俺の父が敵に捕らえられたせいであって…」
イルカの言葉に、カカシは笑った。
「アナタのお父さんはね、俺の父親の気持ちを知ってたんです。初めはただの好意だったでしょうが、2年の間にそれは恋にまで膨れ上がっていた。愚かしい、報われない恋に」

息苦しさを覚え、イルカは視線を逸らした。
記憶にある両親はとても仲が良かった。自分の父親がカカシの父の想いを受け入れただろうとは、到底考えられない。

「俺の父親はその愚かしい恋の故に判断を誤った。状況からして、任務を遂行してからでもアナタのお父さんを助けるには充分だったんです。それなのに判断を誤り、他の部下を徒に負傷させ、成功する筈だった任務に失敗した」
でも、と、自嘲するようにカカシは哂った。
「あの時の俺には会話の意味が判らなかった。だから助けられた癖に親父を非難したアナタのお父さんを憎んだ。里が任務の失敗を非難した事も納得できなくて、里の皆を憎んだ。そして多分……つまらない任務に失敗して、俺のちっぽけな誇りを傷つけた親父の事も」
「カカシさん……」

イルカは改めてカカシを見た。
カカシは今まで見せたことがない、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

「その後、親父は別人のように憔悴して、任務も全て断って家に引き篭もるようになりました。元々生活能力がない男だったから、俺が任務で家を空けている時なんか飲まず喰わずで禄に眠りもしないで。そしてそれから三ヶ月くらい後に、自ら生命を絶ったんです」
不世出の天才らしい死に方では無かった。
クナイで頚動脈を掻き切り、事切れていた。
首にタオルをあてて血が周りに飛び散るのを防いだのは、後に遺されるカカシへのせめてもの気遣いだったのだろう。
幸い、と言うべきか、死体を発見したのは幼いカカシでは無く、隣の家に住む忍だった。
血の匂いから異変に気づき、変わり果てた姿になった『白い牙』を見つけたのだ。

「親父が死んで一人になった俺に、周りの連中は『白い牙』の息子なら大丈夫だろうって言ったんです。その時俺は、特別扱いされる事の孤独を思い知らされた」
でも、と、カカシは続けた。
「あの時の俺はかなり依怙地になっていたから、誰の助けも要らないって思ってました。中忍でしたしね。そして『任務に失敗して自殺した男』の息子ではなく、『伝説の三忍も霞むほどの天才』の子として生きようと決心した」

そしてカカシは、規律やルールを守り、任務を完遂する事を自らの至上命題とするようになった。
自分が優秀な忍となる事が父の不名誉を晴らすことになるのだと考える一方、仲間を助けて任務に失敗した父親のようにはなりたくないとも思っていた。
それでも、リンを助けに行ったオビトを見棄てることが出来ず、自らに課したルールを破った。
だが、カカシの目の前でオビトは死んだ。
結局、助ける事は出来なかったのだ。

「オビトを助けられなくて、俺は酷く悔しい想いをしました。上忍に昇格していたのに、仲間一人も救う事が出来なかった。それで仲間の犠牲を出すことも任務に失敗する事も無い、本当に強い忍になりたくて、必死で修行しました」
そしてある時、と、カカシは言った。
「疑問にぶつかったんです。俺の父親はあんなに強かったのに、どうして任務に失敗したんだろうって」
それからカカシは、病院で立ち聞きしたサクモとイルカの父親の会話を、何度も反芻した。
そして何度も考えた。
どうしてサクモが判断を誤って任務に失敗したのか。
どうして自ら生命を絶ったのか。
「幾ら考えても答えは出ませんでした。でも九尾が里を襲い、先生が亡くなって、俺は暗部に入った。そして強さだけを求めて修行を続けて自分がまるで殺人機械みたいだと思った時、ふと気づいたんです」

カカシはゆっくりと目を閉じた。
受付でイルカの父と楽しそうに話しているサクモの姿が脳裏に浮かび、すぐにそれは憔悴しきった姿に変わった。
俺だって、人間だから__そう言って、寂しげに笑った父の顔が闇に浮かぶ。
目を開け、カカシは古い記憶を追い払った。

「アナタのお父さんだけが、俺の父親を名前で呼んでいたんです。特別扱いもせず、列に並ばせた。他の連中みたいに無駄に緊張したりせずに、普通に会話していた。だから俺の父親は期待したんです。アナタのお父さんに、一人の人間として受け入れられることを。不世出の天才でも何でもない、弱さも脆さも欠点もある、孤独に苛まされている一人の人間として」
「……それを…俺の父は、その事を……」
「気づいていた筈です。だからあの時病室で、『一時の感情に惑わされて判断を誤った』と俺の父親を非難したんです。でも俺の父親はアナタのお父さんが敵の手に堕ちたから動揺して判断を誤ったんじゃありません。冷静に状況を判断して、それでもアナタのお父さんに自分の気持ちを伝えたかったんです__他の何を犠牲にしてでも」

イルカは、黙ったままカカシを見つめた。
咽喉を締め付けられているようで、声が出ない。

「アナタのお父さんはとても聡い人だった。俺の父親は無口で口下手で自分の気持ちも禄に伝えられないような人間だったけど、アナタのお父さんは全て気づいていた。そしてその上で、俺の父親に言ったんです。『優秀な忍として、あなたを尊敬し、信頼しています』、と」
カカシは泣き出しそうな顔のまま、形の良い口元を歪めて哂った。
「俺の親父に取って、あれ以上の拒絶の言葉は無かった」

カカシは改めてイルカに向き直った。
口元からは、哂いが消える。
そして言った。

「アナタも、俺を拒絶するんですか?」





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