(7)
「お前がカカシと寝てるっていう中忍か?」
その日、イルカは数人の同僚と飲みに行っていた。
カカシと付き合うようになってからは仲間からの誘いは断っていたが、カカシは前日から任務に出ていて、戻るのは2日後の予定だ。それで久しぶりに同僚と居酒屋に繰り出したのだった。
突然、声を掛けて来たのは、受付で何度か顔をあわせた事のある上忍だ。
かなり酔っているらしいのは、一目で判った。
「……確かにカカシさんとはお付き合いさせて頂いてますが、それが何か?」
「けっ!『お付き合い』だなんて笑わせるぜ。俺らの新しい穴兄弟に中忍がいるって聞いてツラを拝みに来たが……カカシの野郎、こんな何の面白みもない中忍のどこが気に入ったんだか」
一緒に飲んでいた同僚たちは目を伏せ、イルカは眉を顰めた。
「それともアレか?お前はヤツに突っ込まれてる方なのか?」
「…その質問にお答えする義務はありません」
「何だとぉ?内勤の中忍の分際で、里の為に生命を張ってる上忍様に逆らう気か!」
相手がイルカの襟首を掴んで怒鳴ると、ざわついていた店の中がしん、と静まった。
少し離れたテーブルから、その上忍の連れらしき何人かがこちらを見ている。
「手を離して頂けませんか?それに、少しは周囲の迷惑もお考え下さい」
「何だと貴様、こっちが大人しくしてりゃ、付け上がりやがって__」
「イサギ、その位にしておけ」
イルカに突っかかって来た上忍が拳を振り上げようとした時、連れらしき上忍の一人が声をかけた。
「その中忍、火影様のお気に入りだぞ」
「火影様の……?」
イサギと呼ばれた男は、意外そうに仲間を振り返った。
「カカシの奴がそいつに近づいたのも、何かで利用できると思ったからじゃないのか?」
「……フン、こんな野郎が何で火影様のお気に入りかは知らんが、それならカカシがこいつにケツを貸す理由も判るぜ」
イサギはそのあと、二言三言イルカを口汚く罵ってから、連れと共に店を出て行った。
「…悪かったな、巻き込んで」
上忍たちが出て行った後、イルカは溜息と共に言った。
「お前のせいじゃ無いよ。あのイサギって上忍、酒癖が悪くて色々問題を起こして、何度か処分を受けている奴だ」
「俺もそんな話はどっかで聞いたな。けど、イルカ……こんな事はあんまり言いたくなかったが…」
同僚の一人が、躊躇いながら口を開いた。
「はたけ上忍、お前と付き合ってるって自分で言いふらしている癖に、あちこちでさっきの上忍みたいな連中と関係を持っているらしいぞ?」
「そういう噂は俺も聞いたな。お前と付き合うようになる前も今も、まったく変わってないらしい」
イルカは黙って温くなったビールの残りを飲み干し、席を立った。
「悪いけど、俺、先に帰るわ」
「…イルカ?気を悪くしたんなら__」
「そうじゃ無い。気を遣わせちまって悪かったな」
けど、とイルカは続けた。
「俺にだって、耳もあれば目もある」
「イルカ、お前……」
「これに懲りず、また誘ってくれ。じゃ、な」
それだけ言うとイルカは店を出た。
耐えられなかったのだ。
同僚たちの、同情と哀れみを帯びた視線に。
2日後、予定より半日ほど遅れてカカシが帰還した。
遅れた理由が何であるか、イルカには判っていた。
「やっぱりここに帰って来ると落ち着きます」
イルカの淹れたお茶を飲んで、カカシは嬉しそうに言った。
その言葉にイルカは軽い痛みを覚えた。
それでも、決心は変わらない。
「…カカシさん、お願いがあるんですが」
「何ですか?イルカ先生のお願いだったら何だって聞きますよ?」
無邪気な子供の様に罪の無い笑顔を浮かべ、カカシは言った。
「有難うございます。それでは、もうここには来ないで下さい」
カカシの顔から、ゆっくりと笑みが消えた。
「……どういう意味ですか?」
「俺と、別れて下さい」
これ以上、回りくどい言葉を並べたくなくて、イルカは言った。
カカシは表情のない白い顔で、暫くイルカを見つめた。
「…どうして?誰かに何か言われたんですか?」
「誰に何を言われたかとか、噂がどうだとかいうのはどうでも良いんです。ただ、俺はこれ以上、あなたのゲームには付き合えません」
「__アスマの奴…」
低く、呪うようにカカシは言った。
それから、改めてイルカに向き直る。
「アスマはアナタのコトが好きなんですよ。それで俺からイルカ先生を取ろうとして『どうせお前はイルカとの事をゲームか何かにしか思ってないんだろう』って決め付けて。俺は違うって言ったのに」
「…アスマさんには紅先生という恋人がいらっしゃいます」
「本命はアナタで紅は予備なんです。アスマは昔からそういう奴だった」
「アスマさんはあなたの大切な仲間でしょう?」
思わず眉を顰めたイルカに、カカシは軽く笑った。
「そうですよ。暗部にいたガキの頃からの。だからアナタより俺のほうがよくアスマを知ってるんです」
「……それでも、もう、そんな事はどうでも良いんです」
「だったら__」
「気づいたんです。あなたが俺に、一度も『好きだ』と言った事がなかった、と」
それがゲームのルールだから__イルカの言葉に、カカシは内心、思った。
遊女を騙していた10代の頃から、そのルールは変わっていない。
「……言ったと思ってました。何度も」
「失礼ですがあなたの荷物は勝手にまとめさせて頂きました。少ないですから持って帰られますか?それとも__」
「好きです、イルカ先生。愛しています」
相手の余りに冷静な態度に、思わずカカシは言った。
ルールを破ったのは、これが初めてだ。
「……それとも、お送りしたほうが宜しければ明日にでもご自宅に__」
「俺はアナタが好きなんです。アナタも俺のこと、好きなんでしょう?」
縋るようなカカシの言葉に、イルカは溜息を吐いた。
だが、ここで絆されてしまったら、また同じことの繰り返しだ。
「…お帰りが予定より遅れた理由、聞かせて頂けますか?」
「遅れたって程、遅れたワケじゃありませんよ。それとも、何か疑ってるんですか?」
カカシの言葉に、イルカは答えなかった。
黙って、カカシを見つめる。
カカシは溜息を吐き、軽く肩を竦めた。
「判りました、白状します。遊郭に寄ってたんです。殺伐とした任務だったんで、気分転換したかったんです。それにちゃんと風呂に入って匂いがしないようにしてるじゃないですか」
「俺がいるのに、どうしてわざわざ遊郭なんかに行ったんですか?」
「それはこの前、イルカ先生が言ってくれた通り、俺だって男だから__」
「それなら、他の男に抱かれるのは何故なんですか?」
イルカの言葉に、カカシはすぐには答えなかった。
その姿が、言い訳を探しているように、イルカには思えた。
「……任務ではチームワークの乱れが命取りになるんです。頑なに断って雰囲気を悪くするより、性欲処理ぐらい、付き合ってやった方が任務の成功率も高くなる」
「そのお相手と里に戻ってからも関係を続けるのも、任務の為だと仰るんですか?」
「それは根も葉もない噂です。イルカ先生と付き合うようになってからは、里ではアナタだけです」
「だったらどうして…」
途中で、イルカは言葉を切った。
こんな押し問答を続けても無駄だ。
カカシが他の男たちと関係を続けている事をイルカが知ったのは、噂を聞いたからではない。
里外任務など無い時でも、カカシの身体には時々、明らかな情交の痕が残っていた。
しかもカカシはそういう時にわざわざ自分からイルカを誘って痕を見せ付けたのだ。
子供の頃から戦場暮らしだったから貞操観念が薄いというのもただの言い訳だ。
カカシは故意に遊女の香をさせてイルカの許に帰り、そして酔った昔馴染みに抱きつかれて匂いが移ったのだと言い訳した。
イルカが傷つく事が判っているからこそ、言い訳などしたのだ。
「……あなたは思わせぶりな言葉や態度で俺の気持ちを揺さぶり、俺を翻弄した。ゲームの目的は、もう充分に達せられた筈でしょう?」
「ゲームなんかじゃありません。どう言ったら信じてくれるんですか?」
「例えあなたが本当に俺の事を好いていてくれるのであっても、俺は……俺はもう、あなたを愛せないんです」
言って、イルカは視線を落とした。
カカシの不実を知った時から、ずっと苦しんできた。
これ以上は耐えられないし、人の心を平然と弄ぶカカシも赦せない。
「…アナタが俺を愛せないなら、それでも良いです。俺がその分、アナタを愛しますから」
カカシの言葉に、イルカは伏せていた目を上げた。
深い藍色の瞳と血の色をした瞳が、哀しげにこちらを見つめている。
「だからせめて、側にいさせて下さい」
「…あなたの相手なんて幾らでもいるでしょう?平凡な中忍をからかうのがそんなに楽しいんですか?」
「からかってなんかいません。アナタでないと駄目なんです。アナタのように安らぎを与えてくれる相手なんて、他には一人もいない」
息苦しさを覚えながら、カカシは言った。
何故、苦しいのか判らない。
きっと、ルールを急に変えたせいだろう。
でも大丈夫、と、カカシは自らに言い聞かせた__こっちには、切り札があるのだから、と。
「…もう、止めましょう。俺はあなたの望むものを__それが何であれ__与えられません。俺の事は、忘れて下さい」
「……そうやって、アナタも俺を拒絶するんですね」
カカシはゆっくりとひと呼吸おいて、続けた。
「アナタのお父さんが、俺の父を突き放した様に」
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