(6)


二ヶ月が過ぎた。
イルカは抑えられない苛立ちを感じながら、柱時計を見上げた。
日付はとうに変わっている。
カカシが何の連絡もせずに帰りが遅くなるのは、今月に入って3度目だ。
イルカは軽く溜息を吐き、先に寝てしまおうと腰を上げた。

カカシと付き合い始めて三ヶ月。
最初の月は、戸惑いと躊躇いの内に過ぎた。
次の月は、今思えば蜜月だった。
カカシがアスマに自分との事はゲームなのだと語ったことが気にならなかった訳ではない。
だがそれは謂わば照れ隠しのようなもので、本心ではないのだと信じた。
けれども蜜月は長続きしなかった。
長く続かなかったどころか余りに短かった。

「…やっぱり、ただの『ゲーム』だったのか」
苦い想いでイルカがひとりごちた時、玄関のドアの開く音がして、カカシが姿を現した。
「イルカ先生〜、たっだいま〜」
「大きな声を出さないで下さい。今、何時だと思ってるんですか?」
前回も前々回もそうだったように、カカシは酷く酔っていた__急な任務でも入ったのではないかと心配していた自分が愚かしく思える位に。
「えっとぉ、あれ…2時過ぎてるー」
「いいから早く風呂に入って下さい。俺は先に寝ますから」
カカシが帰って来た時から匂っている香料に苛立ちをかき立てられながら、敢えて穏やかにイルカは言った。そうやって、何とか自分の感情を鎮めようとしたのだ。
だが、カカシはイルカの神経を逆撫でした。
「せんせ〜、怒ってるんですか?俺の帰りが遅くなったから?」
カカシが背後から抱きつくと、そうでなくともきつく匂っていた香が更に強く鼻腔を刺激する。
「……遅くなるのは構わないんです。でも心配だから、遅くなる時には一言連絡してくださいって、そうお願いしましたよね?」
「連絡はしようと思ったんですよ。でもあいつらが〜……あ、あいつらって暗部時代の昔馴染みなんですケド、呑みに行こうって、強引に俺を引っ張ってって」
「でも今度からはちゃんと連絡しますと、この前もその前の時も約束してくれましたよね?」
言いながら、イルカはカカシの腕を振り払った。
甘ったるい香料の匂いで胸がムカツク。

1度目は、気づかぬ振りをした。
2度目には、酔った昔馴染みに抱きつかれて匂いが移ったのだとカカシが言い訳した。そして、「俺を信じてください」とも言った。
だがイルカも周りから思われているほど堅物ではなく、カカシの漂わせている匂いが遊女に特有の香料である事くらいは判った。

「イルカせんせー、怒ってるんですか?」
子供じみた口調でカカシは言った。
今はその態度にも無性に苛つく。
「イルカせん__」
「あなたも男ですからね。俺に抱かれるだけでなく、たまには女を抱きたいと思う気持ちも判ります。だから俺はそれを咎めている訳ではありません。ただその胸糞の悪い匂いをとっとと洗い流して下さいと頼んでるだけです」
カカシはまっすぐにイルカを見つめ、何度か瞬いた。
「…だったら、構わない、と?」
イルカは思わず握りこぶしに力を入れた。
一体、この男は自分に何を言わせたいのだ?
「俺が遊女を買うのは気にならないんですか?痕跡さえ残さなければ構わないと?」
「……少なくとも、そんな匂いをさせて帰って来られるよりマシです」
「マシかどうかじゃなくて、俺が遊女を買うのが気にならないかどうかを訊いてるんです」
「気にならない訳、ないでしょう…!」
思わず強く言ったイルカに、カカシは微笑った。
「それはつまり、嫉妬してるって事ですね?」
「ああ、そうですよ。俺は金さえ貰えばどんな男とでも寝る名も知らぬ遊女に嫉妬しています__これで満足ですか?」
「はい」
全く悪びれる風もなく、それどころか寧ろ嬉しそうに言ったカカシに、イルカはすぐには二の句が告げなかった。
「だって嫉妬するって事は、俺のこと、好きだってことでショ?そうやって怒るのも、俺のこと好きだからで__」
「だったら…だったらあんたはどうなんですか?俺を好きだと思う気持ちが少しでもあるなら、どうして平然と俺を裏切るんですか?」
「裏切る?」
きょとんとした表情で、カカシは聞き返した。
「たかが遊女ですよ?単なる性欲処理。イルカ先生が言った通り、俺も男だからたまには女を抱きたいってだけです。あ、病気の事を心配してるんだったら、その点はちゃんと__」
「もう良い、帰ってください」
カカシの言葉を遮って、イルカは言った。
「…帰れって…」
「ここは俺の家です。出て行ってください」
「イルカ先生、そんな…こんな夜中に__」
「こんな夜中に帰ってくるくらいなら、いっそ遊郭に泊まれば良かったでしょう?とにかく、これ以上あなたと押し問答する気はありませんから、出て行ってください」
カカシは酷く哀しげな眼でイルカを見つめ、それから踵を返し、黙ったままアパートを出て行った。

その夜、イルカはほとんどまんじりともせずに夜を明かした。
所詮あれも演技、カカシに取って全てはゲームだと思う一方、言いすぎたのではないかと悔やまれもした。
いずれにしろ、カカシとの仲はこれで終わりだと、イルカは思った。





「__なっ……!」
翌朝、出勤しようとアパートのドアを開けたイルカは、その場に膝を抱えて蹲っている相手の姿に絶句した。
「こんな所で何やってるんですか、カカシさん__カカシさん…?」
カカシは膝を抱えた姿勢のまま眠っているらしく、イルカの問いかけに答えない。
肩を掴んで軽く揺すると、ベストが湿っている。
よく見ると、アンダーも銀色の髪も夜露に濡れたかのように湿り気を帯びていた。
「…あ、イルカ先生……オハヨウゴザイマス」
「お早うじゃありませんよ。一体、こんな所で何を……」
改めてイルカが問うと、カカシは叱られた子供のように相手を見上げた。
「匂いを洗い流せって言ったでショ?イルカ先生、それが厭だったんだって思って、一旦、自分の家に帰ろうと思ったんです。でも俺の家まで戻ってたら時間がかかるから、途中の川に飛び込んで」
「川に……って」
「それですぐイルカ先生の所に戻ったんです、謝ろうと思って。でももう灯りが消えてたから、寝てるのを起こすのも悪いと思って」
幾分か不安げな笑顔でこちらを見上げる相手の姿に、イルカは溜息を吐いた。
「俺ね、自分に貞操観念がないっていうのを忘れてたんです。5歳で忍になって、戦場で育ったようなものだから『常識』が足りないって云うのか……」
「カカシさん…」
「戦地では手近なところで処理するのが普通で、そういう環境で育ったんで、つい…」
イルカは、まだわずかに湿っている銀色の髪を指で優しく梳いた。

自分がまだアカデミー生だったのと同じ年齢の時、カカシは既に中忍として戦地に送り出されていたのだ。
自分が遊びに夢中だった頃、カカシは戦っていた__そう思うと、胸が詰まる。
今の木の葉丸より幼い歳で中忍となり、優秀な忍として里の為に尽くした。
引き換えに、失ったものも多かっただろう。

「中に入って、シャワーを浴びて着替えてください。このままじゃ風邪を引きますよ?」
「イルカ先生?昨夜のこと、赦してくれるんですか?」
「もう、済んだ事です。でもせめて__せめて次からは、遊郭に行くのだったら俺に判らないようにして下さい」
言って、イルカは半ば自嘲気味に笑った。




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