(5)


「お呼びたてしてしまって済みません」
「良いってことよ。俺もお前と話したかったからな」
その日、イルカはアスマを誘い、二人で居酒屋に来ていた。
「実は…紅先生に頼まれたんですが…」
「俺がアイツをどう思ってるか訊いて来てくれ、ってか?」
アスマの言葉に、イルカは頷いた。
「アイツは上忍になったばかりだ。今は色恋沙汰に気を散らして良い時期じゃねえ」
「お言葉ですが、紅先生はしっかりした方だと思いますが」
「判ってる。今のは口実だ」
アスマは紫煙を吐いて煙草を灰皿に押し付けると、ビールジョッキを一気に呷った。
それから、日本酒を冷やで注文する。
「俺が暗部に入ったのは、16の時だった」
アスマの言葉は唐突だったが、イルカは黙ってアスマが続けるのを待った。
「カカシは歳は俺よりいっこ下だが、俺が入隊した時にはもう何年も暗部の飯を喰っていた」

カカシはその若さに似合わぬ強さと放縦さで暗部内では有名な存在だった。
入隊したばかりのアスマにも誘いをかけて来たが、男に興味の無いアスマは断った。するとカカシはアスマを遊里に連れて行った。
若さには逆らえず、アスマはすぐに遊郭遊びの快楽にどっぷりと浸かり、カカシに誘われるままにあちこちの遊郭をはしごして歩くようになった。
ほどなくカカシはある『ゲーム』を提案してきた。
遊女を誑し込んで、タダでヤらせれば勝ちという単純なゲームだ。
初めはアスマも面白がってゲームに興じたが、すぐに飽きた。と言うより、面倒になったのだ。
思わせぶりな言葉や態度で遊女を騙すより、金を払って後腐れの無い関係でいたほうが余程、楽だ。

「俺は3年後に暗部を辞め、遊郭通いも減った。けど、女の好みはそうすぐに変わるもんでもねぇ。だから何となく、お互い遊びと割り切れるような相手としか付き合って来なかった」
「…紅先生はそういうタイプでは無いでしょうね」
「ああ。だから俺は、迷っているんだろうな。アイツが本当に俺で良いのか、俺は本当にアイツに惚れているのか__その気持ちの整理がつくまで、アイツには手を出さねえって、そう決めたんだ」
注文した料理が運ばれて来て、アスマは一旦、口を噤んだ。
それから、続ける。
「それがアイツに対する誠意の積りだったが、中途半端な態度でやきもきさせてるだけかも知れん」
「紅先生には、アスマさんのお気持ちを伝えておきますよ」
微笑して言ったイルカに、アスマは軽く首を横に振った。
「アイツには俺から直接、話す。ったくなぁ、俺の胸倉ひっつかんで『何考えてやがる』って訊くくらいの女だったらこんなに面倒くさくねぇのによ」
「それはつまり、紅先生はアスマさんの好みでは無い、と?」
「好みで無かったらこんなに苦労しねぇだろ」
アスマの言葉に、イルカは「そうですね」と、笑った。

「俺のことより、カカシとはどうなってる」
イルカは笑うのをやめ、改めてアスマを見た。
「もう、ご存知でしょうけど、一ヶ月くらい前からお付き合いしています」
「はっきり断るって、言ってた筈だが?一体、ヤツに何を言われた?」
「…『俺の事を良く知りもしないで拒まないで下さい』って……。『お友達』からで良いから付き合って下さいって言われたんです。結論を出すのは、その後でも遅くないでしょうって」

アスマは苦虫を噛み潰したような顔でパッケージから煙草を取り出した。
取り出した煙草に火は点けず、手に持ったまま見つめる。

「…どうかしましたか?」
「……それは、ヤツの常套手段だ」
幾分か躊躇ってから、アスマは言った。
「俺が『ゲーム』を降りてからも、カカシは一人で『ゲーム』を続けてた。相手は遊女や男娼に限らず、仲間の忍やくの一、そのうち一般人にも手を広げた。ルールを変えて、な」
「……それは__」
「他人の色恋沙汰に口を出す積りなんぞ無かったんだ、面倒くせぇ。だが俺はお前がガキの頃から知ってるから、傷つくのが判っていてみすみす放ってはおけなくてな」
アスマは煙草に火を点け、すぐに揉み消した。
そして、イルカをまっすぐに見る。
「お前との事も『ゲーム』だと、ヤツは言ってやがった。お前を陥とす『切り札』がある、とも」

イルカは暫く黙ってアスマを見ていた。
それから、視線を落とす。

「……カカシさんみたいな人が俺を好きになるなんて、変だとは思ったんです。そぐわなすぎます」
でも、と、イルカは続けた。
「あの時、カカシさんは一人の人間としての自分を知って欲しいって言ったんです。写輪眼のカカシでも暗部出身のエリートでもない、ただの一人の人間として、はたけカカシとしての自分を見て欲しいって。そう言った時のあの人はとても真剣で…だから俺は……」
「ひょっとしたら、ヤツは本気かも知れん」
「…え?」
聞き返したイルカに、アスマは「面倒くせぇ」と呟いて頭をガリガリと掻いた。
「本気の可能性もあるから、お前から相談された時すぐに止めとけとは言えなかった」
やっぱり関わるんじゃ無かったとぼやきながら、アスマは続けた。
「暗部時代、ヤツには何人も馴染みの遊女がいた。要するに、ヤツのゲームのカモだ。どの女も廓で一、二の上玉だったが、一人だけ、例外がいた」
その遊女は年増で取り立てて美人でも無く、決して売れっ子という訳では無かった。
そんな女のどこにカカシが惹かれたのか興味を持ったアスマは、ある時、その遊女を買った。
「閨の相手をさせてみたが、別にどうってことも無かった。はっきり言って、期待はずれだった。だが一晩、買っちまってたから泊まる事にして、色々とカカシの話を聞いた」

あの人は、寂しいんですよ__そう、その遊女は言った。
若くしてエリートの座に昇り詰め、優秀な忍として里の内外から高く評価されている。
だがそれだけに誰もがカカシを忍としてしか見ない。
余りに早く上忍にまで昇格したせいで、仲間はいても友人がいない。
スリーマンセルの仲間だったオビトを『親友』と呼ぶのも、そんな孤独の表れだ。
寂しい癖に、寂しいって認められないんです__微笑して、遊女は言った。
きっと、傷つくのを恐れているのね
でも寂しさに耐えられないから、せめて人肌の温もりを求めて、何人もの相手と寝るんでしょうよ

「まさか、って、俺は笑った。里一番の業師と、色んな意味で揶揄されるアイツが、そんな小娘みたいにヤワなものかって」
カカシに騙されてカモにされてるだけだとアスマが言うと、遊女はそうかも知れないと、笑った。
でもカカシは自分にはちゃんとお金を払ってくれるし、いつも話をするだけで閨の相手は求められないのだとも言った。
まるで幼い姉弟のように抱き合って、共寝するだけなのだ、と。
「そっちの話は、あながち嘘でもねぇって思った。閨の相手に相応しい女は他に幾らでもいたし、それに何より、その女と話してると不思議と気持ちが和んだ__まるで、お前と話してる時みてぇにな」
「……は……?」
イルカの反応に、アスマは笑った。
それから、真顔に戻る。
「カカシのヤツは『ゲーム』だとほざいてるが、それは本心じゃないかも知れねぇし、本心かも知れん。混乱させるような事を言って悪いが、俺には判断がつかん」
「…これは、俺とカカシさんの問題ですから」
言って、イルカは静かに笑った。



「イルカ先生〜、遅いです〜」
イルカがアパートに戻ると、待ちくたびれたらしいカカシが文句を言った。
卓袱台の上には手付かずの夕食が載っている。
「食べてなかったんですか?俺、アスマさんと一緒に飲みに行きますって言いましたよね?」
「お茶漬けくらい付き合ってくれるんじゃないかと思って待ってたんです。一人で食べても美味しくないし」
拗ねたように言うカカシの頬に軽く触れて、イルカは微笑った。
付き合うようになってから、カカシに意外に子供っぽい面がある事を知った。
そしてそれを可愛いと思っていたのだが、アスマの話を聞いた後では、それも演技に過ぎないのではないかと思ってしまう。
それでも大きな仔猫のようにじゃれついてくるカカシを見ると、疑いよりも愛しさが勝る。
「…寂しい想いをさせて、済みませんでした」
「センセ、誘ってるの?」
抱きしめて耳元で囁くと、カカシは半ば意外そうに、半ば嬉しそうに聞いてきた。
「違います…。まず、飯にしましょう。今度からは、俺の帰りが遅くなる時は先に食べてて下さいね?」
「判りました。でもイルカ先生も、髭なんかと遊んでないでなるべく早く帰ってきて下さいね?」
でないと俺、拗ねます__カカシの言葉に、イルカは笑った。
「立派な上忍さまが、何、子供みたいなこと言ってるんですか」
「上忍だって、人間です」
深い藍色の瞳と緋色の瞳でまっすぐにこちらを見つめ、カカシは言った。
そうやって見つめられると、息が止まるようだとイルカは思った。
「…判りました。出来るだけ早く帰ると、約束します」
「約束破ったら、針千本ですからね」
「本当に呑まされそうで怖いですね」
「本当に呑ませます」
真顔で言ってから、カカシは笑った。それにつられるように、イルカも笑った。






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