(4)


「イルカ先生〜!」
任務の終わった後、カカシと一緒に受付所に報告書を提出に来たナルトは、イルカの姿を見るなり駆け寄ろうとした。
が、カカシ首根っこを捕まれ、「ぐぇっ」と短く呻く。
「カカシ先生、何すんだってばよ!」
「受付所で走ったり騒いだりするんじゃなーいの。それからイルカ先生に勝手に抱きつくな」
「勝手にってどういう意味だってばよ」
ぷくっと頬を膨らませ、いかにも不満そうにナルトは訊いた。
「んー、勝手にって言ったのは俺とイルカ先生が__」
「カカシ先生。任務、お疲れ様でした」
カカシの言葉を遮って、イルカは言った。
それからナルトに向き直り、もうアカデミー生じゃないんだから余り子供っぽい真似をするなと窘める。
「報告書を、お預かりします」

イルカは言ったが、カカシはすぐには答えなかった。
既に書き上げてある報告書を手に持ったまま、黙ってイルカを見つめる。

「…カカシ先生?」
「そんなに、厭なんですか?」
「…あの__」
「俺と付き合ってるって認めるのが、そんなに厭なんですか?」
カカシの言葉に、サクラは「うそぉ」と呟いて慌てて口を押さえ、サスケは軽く眉を顰めた。
ナルトはきょとんとした表情で、二人の師を代わる代わるに見上げた。
夕方の受付所が混み合う時間帯で、イルカの隣に座る同僚や近くに並んでいる者たちは、無関心を装いながら聞き耳を立てていた。
「…その事は、後で話しませんか」
「良いですよ。アナタを困らせたい訳じゃないですから」
にっこりと笑って、カカシは報告書を差し出した。
「…なあ、カカシ先生。カカシ先生とイルカ先生が付き合ってるって、どういう意味だってばよ」
「ちょっ…ナルト。止めなさいよ」
サクラは小声で窘めたが、ナルトは納得しなかった。
答えを求めるようにカカシを見つめ、それからイルカに視線を移す。
「…お前にも、後でちゃんと話す。ここは個人的な話をする場所じゃない」
イルカの言葉に、ナルトは尚も不満そうだったがそれ以上は何も言わなかった。



「怒ってるんですか?」
その日、先にイルカのアパートに来ていたカカシは、イルカが帰ってくるなりそう訊いた。
「…いいえ」
「嘘つきですね。それとも怒りを通り越して、呆れ果ててモノも言えないとか?」
「俺は怒っても呆れてもいません。ナルト達にも、いずれ機会を見て話す積りでした」
「それも嘘だ」
カカシは哀しげに笑うと、「別れましょう」と言った。
「カカシさん、いきなり何を__」
「だってそうでショ?付き合い始めて一ヶ月近くになるのに、アナタは俺との関係をずっと周囲に隠して来た。いずれ機会を見てって、その言葉、何度目か判ってるんですか?」
イルカは口を噤んだ。
「俺、すごく馬鹿みたいですよね。アナタが俺と付き合うのを承諾してくれたから、俺のこと好きになってくれたんだと勝手に思い込んで舞い上がって。でもアナタは俺のこと、恋人だなんて思ってもいなくて…」
「そんな事はありません」
幾分か強く、イルカは言った。
「あなたを好きでなかったら、あなたを抱いたりしません」
「でも、認めるのは厭なんでしょう?」
「厭だなんて言ってません。それに隠している訳でもありません。こういう事は、言いふらすような事でもないでしょう?」
「俺が女だったら、認めてくれたんですか?」
だったらと、カカシは続けた。
「外でアナタと一緒にいる時は変化しますよ。アナタが望むなら、二人きりの時もずっと女の姿でいます」
「そんな事は止めて下さい」
「何故?ちゃんとアナタ好みの女になりますよ__身体の奥の方まで」
イルカは首を横に振り、吐きそうになった溜息を何とか飲み込んだ。
「アナタがうみのイルカという一人の人間を好きになってくれたように、俺もはたけカカシという一人の人間を好きになったんです。ですから、自分を偽るような真似は止めて下さい」

カカシの指先が幽かに震えた。
が、イルカはそれに気づかなかった。

「同性と付き合うのは初めてなので、正直、戸惑いはありました。そのせいであなたを傷つけてしまったなら、申し訳ないと思います」
「……本当に、俺のこと怒ってないんですか?」
叱られた子供のように躊躇いがちに訊いたカカシの手を、イルカは宥めるように軽く撫でた。
「謝らなければならないのは、むしろ俺の方です。ナルトにもいつか話そうと思ってたのに、きっかけが掴めなくて」
「イルカ先生は、俺よりナルトの方が大切なんですね」
言ってから、カカシは視線を落とし、小声で「スミマセン」と呟いた。
「今日だってナルトに嫉妬して……本当、バカみたいです」
「カカシさん…」
イルカはカカシを抱き寄せ、しなやかな銀髪を優しく梳いた。
「俺が戸惑っているのは、男同士だからという以上に、あなたが俺には勿体無いくらいの人だからなんです。あなたのような人にこんなに想われて、俺は果報者です」
「その言葉、信じて良いんですね?」
「はい」
躊躇いも無く言って、イルカは微笑んだ。
カカシも嬉しそうに笑って、イルカの背に腕を回した。



「カカシ先生もイルカ先生も男なのに、恋人ってどういう意味だってばよ」
翌日、イルカはアカデミーの裏庭にナルトを呼び出して、カカシとの事を話した。
「世の中には同性を好きになる人もいるんだ__可笑しいか?」
「可笑しくはないけど……何かよく判んないってばよ」
「無理に理解しようとしなくても良いぞ。ただ、カカシさんが俺に取って特別な存在なんだと、それだけ判ってくれれば良い」
イルカは言ったが、ナルトは答えずにただイルカを見た。
「…どうした?お前も、カカシ先生の事は好きだろう?」
「好きだけど……でも違うってばよ」
「違う?」
鸚鵡返しに、イルカは訊いた。
「そりゃ勿論、お前はカカシ先生の事を恋人のように好きだって訳じゃないだろうけど__」
「そうじゃないってばよ。何かもっとこう……違うんだってばよ」
ナルトは視線を落とした。
「カカシ先生は他の奴らみたいに俺を爪弾きにはしない。サクラちゃんやサスケと同じように扱ってくれる。それは嬉しいけどでも、違うんだってばよ」
「…何が…違うんだ?」
「カカシ先生はイルカ先生とは違う。俺に優しくしてはくれるけど、俺の為に泣いてはくれねえ」

イルカは微笑し、ナルトの頭を撫でた。
そして、カカシがナルトに嫉妬したように、ナルトもカカシに嫉いているのだろうかと思った。

「恋人が出来たからって、俺がお前たちを大切に思う気持ちは変わらないぞ?」
「…判ってるってばよ」
言って、ナルトは顔を上げた。
「イルカ先生、カカシ先生と付き合ってて幸せか?」
「ああ。幸せだ」
イルカの言葉に、ナルトは笑った。
「だったら応援するってばよ。カカシ先生ってちょっと変わってて良く判んねぇ人だけど、イルカ先生が幸せなら俺も嬉しいってばよ」
「ありがとうな、ナルト」
ナルトが理解してくれて良かったと胸を撫で下ろし、イルカは言った。



「一体、どうやってイルカを誑し込んだ?」
同じ頃、上忍待機所からカカシを連れ出し、アスマは訊いた。
「そんなこと聞いてどうすんのさ。まさか本当にイルカ先生を狙ってるワケ?」
「ひとのモノに手を出すほど不自由しちゃいねぇよ。単に後学の為だ」
「そういえば紅って、今までアスマが遊んでた相手とはちょっとタイプが違うよね。イルカ先生とも全然、違うケド」
言って、カカシは笑った。
「まさか紅にはまだ手を出してないとか?アスマらしくもない」
「こっちにもそれなりの事情があるんだ。で、どうやってイルカを陥とした?」
「紅がアスマを好きなのは見え見えなんだから、攻略法なんて考える前にヤっちゃえば良いでショ」
「良いからもったいぶらずに教えろ」
重ねてアスマに訊かれ、カカシはもう一度、哂った。
「簡単だよ。ガキどもをダシにして適当に仲良くなって酒に誘って、アルコールと媚薬の効果でその気にさせる。ああいうクソ真面目な手合いはね、一度、ヤらせてしまえば勝手に責任感とか感じてくれちゃうから」
「『クソ真面目な手合い』ってのは、好きでもない相手を抱いたりしねぇもんだ。簡単に陥ちる相手じゃないから面白いんだと、自分で言ってただろうが」
「そ。その辺は演技力がモノを言うんだよね。俺がイルカ先生がいなけりゃ死んでしまうほどにあの人を好きだって、いかに信じさせるかがポイントだから」
カカシの言葉に、アスマは煙草の吸い口を強く噛んだ。
「…切り札がある、と、言ってたな。お前、イルカを脅迫でもしたのか」
まさか、と、カカシは笑った。
「脅迫や力ずくじゃ、ゲームにならない。あの人が俺を好きにならなきゃ、意味が無いんだから」
それにと、カカシはアスマの肩に腕を回し、間近に見つめた。
「切り札っていうのは最後まで取っておくから切り札なの。そう易々と使ったりしなーいよ」
耳元で囁くように言って、カカシは三度、嗤った。





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