(1)


「この後、一緒に飲みにでも行きませんか?」
「折角のお誘いですが、今日は帰りが遅くなりそうですので…」
「俺は何時まででも待ってますよ?」
「__でも…それでは……」
人懐こそうな笑みを浮かべて言ったカカシに、イルカは口ごもった。
こうやって誘われるのは何度目だろう__そう、内心で呟く。
暫く前から、カカシは度々イルカを食事や酒に誘うようになっていた。
「余りお待たせするのも申し訳ないですから…」
「俺は全然、構いませんよ。気長に待ってますから」
満面の笑顔を浮かべ__露出されているのは顔のほんの一部だが__カカシは言った。

初めの内、イルカは誘いを喜んでいた。
色々と問題を抱えている元の教え子たちの様子を聞きたかったし、彼らの師となったカカシがどんな人間なのか、興味もあったのだ。
だが、誘いの回数と頻度が増すようになると、イルカはカカシの意図を訝しむ様になった。
イルカは相手が上忍だからといって媚びへつらう性格では無く、それが却って気に入られて上忍と親しく付き合う事も稀ではない。
だからと言って殆ど接点の無い相手から頻繁に誘われる事は予想外で、同僚たちからも不審がられる程だ。

「でも今日は本当に遅くなりそうですから、申し訳ありませんが、また今度、誘ってください」
「今度っていつ?」
鸚鵡返しに訊いたカカシに、イルカは言葉に詰まった。
「確か明日はイルカ先生、受付のシフトは入ってないですよね。だったらアカデミーが終わったらすぐ、帰れるんでショ?」
「ですが、俺は明日はナルトと約束が__」
「じゃあ、三人で飯でも喰いに行きましょうか」
「いい加減にしろ」
言って、カカシの後ろにがっしりした姿を現したのはアスマだった。
受付所は禁煙なので、火の点いていない煙草を咥えている。
「イルカが困ってるじゃねえか。何より、てめぇが粘ってるせいで受付業務が滞って迷惑だ」
「だったら空いてる列に並べば?__ね、イルカ先生。俺って迷惑ですか?」
「…いえ……そういう訳では…」
「じゃあ明日の夕方、ナルトと一緒にアカデミーの正門前で待ってますから」
それだけ言うと、カカシは踵を返し、受付所を後にした。

「ったく、図々しい野郎だ。お前もお前だぞ。嫌なら嫌と、はっきり断れば良かっただろうが」
「…別に、嫌じゃないですから」
軽く苦笑して、イルカは言った。
「むしろ、光栄に思っています。ただ同僚のくの一から代わって欲しいとか手紙を渡してくれとか頼まれて、それにはちょっと辟易していますが」
「……お前は、それで良いのか?」
「……はい?」
怪訝気に聞き返され、アスマは眉を顰めた。
「俺がとやかく言う事でもねぇんだろうが、だが__」
途中でアスマは口を噤み、苦虫を噛み潰したような表情のまま、続けた。
「何か困ったことがあれば相談してくれ。どんな下らねぇ事でも構わん」
「有難うございます」
まっすぐにアスマを見、相手の心を和ませる笑顔でイルカは言った。
アスマは視線を逸らし、片手で後頭部をぼりぼりと掻きながら、報告書を差し出した。



翌日。
「でさ、でさ、せっかくサクラちゃんがそう言ってんのに、サスケの奴__あ、イルカ先生!」
身振り手振りを交えてカカシに熱心に話しかけていたナルトは、それでもイルカの気配に目ざとく気づいて手を振った。
イルカはナルトに笑いかけてから、カカシに一礼した。
正直言って、ナルトとの約束に強引に割り込んで来たカカシに内心困惑していたのだが、嬉しそうに話すナルトの姿に考えが変わったのだ。

ナルトは里の忌み子だ。
ナルト本人に何の罪も無いと判っていても、九尾事件で肉親を喪った者たちは、やり場の無い怒りをナルトの中の九尾に向ける。
それはそのままナルトに対する不信や嫌悪感となり、里の殆どの者たちがナルトを忌み嫌い、そうでなくとも遠ざけて関わりを持つまいとしている。
だからナルトは、誰かに自分を認めてもらいたくて必死なのだ。
「火影になる」と口癖のように言うのも、皆に自分を認めてもらいたいが故だ。
そのナルトをカカシがどんな風に扱うのか、イルカは幾分か不安に思っていた。
カカシは忍としては優秀で他国にも名を知られた男だが、優秀な忍であることと優秀な教師であることは全く別だ。
カカシの態度如何によってはナルトは潰されてしまうかも知れない。
が、目の前の二人の姿を見て、その心配は杞憂だったと、イルカは思った。
カカシは飄々としていて掴み所のない人物という印象をイルカは抱いていたが、ナルトの話を聞いているカカシは穏やかな笑みを絶やさず、ナルトの子供っぽい話を馬鹿にせずにきちんと聞いてやっている。
ナルトがそんなカカシに好意を抱いているのは傍目にも明らかで、まるで仲の良い年の離れた兄弟を見るようだと、イルカは思った。



「今日はどうも有難うございました。俺までご馳走になってしまって」
「カカシ先生、サンキューだってばよ。また奢ってくれってば?」
「こら、ナルト…」
「俺は別に構いませんよ」
笑顔を浮かべて、カカシは言った。
「でもま、ナルトにばかり奢るのは不公平だから、今度はサスケとサクラも誘いますか」
「そうですね。サクラはとも角、サスケは一人暮らしだからちゃんと食べているのか、ちょっと気になります」
「だったら一楽より、家庭料理のほうが良いかも知れませんね」
もしよろしければ、と、カカシは続けた。
「俺の家で皆で飯を喰うっていうのは如何でしょう?俺が何か作りますよ」
「カカシ先生って、料理作れるんだ。すげえってばよ」
「味の保証は出来ないが、栄養バランスは完璧だ__イルカ先生も、是非」
「有難うございます。喜んで、お伺いさせて頂きます」
でしたらイルカ先生の都合のいい日を教えてください、7班はそれに合わせますからとカカシが言って、次のアカデミーの休みの日にカカシの家に皆が集まることが決まった。
イルカ以外の家に呼んで貰ったことのないナルトはひどくはしゃいで、イルカはナルトのはしゃぎ過ぎを軽く窘めながらも楽しそうだった。
そしてカカシは、そんな二人を満足そうに眺めた。



「将を射んとすれば、まず馬を射よ」
二人と別れたあと、そう、カカシは呟いた。
そして口布の下で形の良い口元を歪め、嗤った。




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