「ねえ、俺のどこが好き?」
イルカへの想いを自覚するようになると、カカシはたびたびイルカにそんな問いを仕掛けた。
「すごく強くて優秀で、忍として憧れます」
「そうじゃなくてさ。恋人として俺のどこが好き?」
恋人という言葉に、イルカは幽かに頬を赤らめた。
「…あなたはとても綺麗でそこにいるだけで絵になる人で、それなのに俺なんかに優しくしてくれて…」
「優しくなくなったら、俺のこと嫌いになっちゃうんだ?」
カカシの言葉に、イルカは困惑したように表情を曇らせた。
カカシは笑った。
「そんな顔、しないでよ。俺はいつだってアナタの望むようにしてあげるから」
だからずっと俺の側にいて__イルカを抱き寄せて、カカシは言った。相手の腕の中で、イルカは黙ったまま頷いた。






(8)


「おめぇ、最近またイルカに付き纏ってるそうじゃねぇか」
その日、上忍待機所にいた俺に、不機嫌そうにアスマは言った。
「付き纏うだなんて心外だね。たまに一緒に飲みに行ってるだけでしょ?」
「カカシ。てめぇのせいで__」
「判ってる」
俺は、アスマの言葉を遮った。
今でも罪悪感が消えた訳では無いのだ。俺は8年前のあの日からずっと自分自身を責め続けている。
その上、他ならぬアスマから責められるのは耐え難い。
「もう二度と、あの人を追いつめるようなマネはしないよ。あの人はただナルトの事が心配で、俺に話を聞きたがってるだけだ」
アスマは何か言いたげに口を開いたが、すぐには何も言わなかった。煙草に火を点け、深く吸い込む。
「…ここじゃなんだ。外の空気でも吸いに行こうぜ」
待機所には他にも何人かの上忍がいた。
俺は黙って、アスマの後に従った。

「おめぇは自分が何をしたのか、まだ判っちゃいねえ」
人気のない所まで来ると、ぽつりとアスマは言った。
アスマの態度は落ち着いていて口調も穏やかで、奴が嫉妬からこんな事を言い出したのではないのは判った。
「…イルカ先生が記憶を失った理由、知ってるんだろ?」
聞かせてよ__俺が言うとアスマは俺を見、それから視線を逸らせた。
その後、アスマが話した事は、俺にはショックだった。

あの人は12年前の九尾事件で両親を喪った。そしてその時、心に深い傷を負った。
混乱の中だったので詳しい事は誰にも判らない。ただ事件の後、あの人は精神的に酷く不安定になり、暫くの間、火影様の屋敷で保護されていた。
その後、落ち着いたのであの人は一人暮らしを始めたが、ある日、自分の部屋で手首を切って意識を失っている姿を発見された。
「イルカを診た医療忍の話では、九尾事件のショックのせいで起きる発作のようなものらしい。普段は何事も無く過ごしていても、突然、何の前触れも無く耐え難い不安に襲われる」
特に夜、一人でいる時にそういう『発作』が起き易いらしいと、アスマは言った。
「血の匂いが発作の引き金になるらしい事が判って、火影のじいさんは忍を辞める様にイルカに勧告したそうだ。だがあいつは逆に流血を伴う任務に就く事で、それを克服しようとした」
「だから…暗部に?」
「そうだ。あの頃には事件から何年も経っていたし、イルカの発作も大分、落ち着いている様だったからじいさんはイルカの暗部入隊を認めた。が、それでもじいさんは心配していて…」

途中で、アスマは言葉を濁した。
アスマは三代目火影の甥にあたる。
そしてあの人が暗部配属になる2、3年前からアスマは暗部にいた。

「心配してあの人の事をアスマに頼んだって訳?そしてアンタはあの人の弱みに付け込んだって訳だ」
「付け込んだ訳じゃねえ」
幾分か強い口調で、アスマは言った。
「一人きりでいると危ないって聞いてたんで、同室の連中がいなくて不安になった時はいつでも俺の部屋に来いと、そう言っておいたんだ。そしてある晩、イルカが俺の部屋に来て……」
「別に、アンタを責めてる訳じゃ無いよ」
あの頃のあの人はとても初心で無垢で、どこか頼りなげなところがあった。アスマがどんな気持ちだったかは、俺にも判る。

アスマを責めるどころか、俺はショックを受けていた。
あの人が暗部に入る前から複数の男と関係を持っていたのも、耐え難い不安のせいだったのだ。
大の大人でも、そして何度も修羅場を潜り抜けてきた歴戦の兵(つわもの)ですら、時には心に深い傷を負って、その呪縛から逃れられなくなる事がある。
ましてや12年前の事件の時、あの人はアカデミー生に過ぎなかった。心に傷を負ったのはあの人のせいではないし、あの人を弱いと決め付ける事も出来ない。むしろあの人は、それを克服しようとして、精一杯、努力したのだ。
それでもどうしても不安に耐えられなくなると、あの人は側にいてくれる『誰か』に頼った。
そして頼れる『誰か』のいない時には、衝動的に手首を切った。あの人の手首に残る傷痕はひとつやふたつでは無かった。

「あの人が…全てを話してくれてたら……」
「話せなかったんだろうよ。『血の匂いに耐えられない』とは言ってた。だが生きているのが耐えられなくなる程の不安に苛まされてるなんて、俺にも言わなかった。じいさんから話を聞いてたんでなけりゃ、俺もあいつの事を理解してやれなかっただろう」
「……アンタはあの人の『発作』の事を知ってた。そのアンタが側にいるのに、どうしてあの人は俺を……」
俺の言葉に、アスマは奇妙な嗤い方をした。
蔑みと哀れみがごちゃ混ぜになったような、妙な表情だった。
「長期任務が入ればイルカの側にはいられなくなる。だから、あいつは『予備』を必要としたんだ」
「予備……」
鸚鵡返しに、俺は呟いた。
「お前は俺の予備だった。だが俺も、お前の予備だった。俺もお前も任務でイルカの側を離れるだけじゃなくて、死んじまって帰って来ないかも知れない__あいつは、それが不安だったんだ」
アスマの言葉に、俺はあの人と関係のあった男の一人が戦死した話を思い出した。
噂によればその男があの人の初めての相手だったらしい。その男は医療忍だったから、あの人を治療したのがきっかけだったのだろう。
そして、その男は死んでしまった。
医療忍が戦死する事など滅多にない。それなのにその男は任地で死に、あの人の許へは帰って来なかった。

あの人は俺との約束を守ろうとして、いつ帰るとも、生きて還るかどうかも判らない俺を待った__耐え難い不安に苛まされながら。
約束を破ってアスマに頼ってしまえば救われただろうに、あの人はそれをしなかった。そんな事をして、俺を傷つけたくなかったのだ。
それなのに俺は、あの人を見舞いもしなかった。
あの人を追いつめてしまった罪に慄き、逃げたのだ。

「イルカが里に戻ってからの事は俺も詳しくは知らん。ただ、火影のじいさんから、イルカの記憶を消したと聞かされた」
それでやっと、あの人は晴れやかに笑えるようになったのだろう。
だがそれを聞いても、俺の気持ちは晴れなかった。
あの人の記憶が消えても、俺の罪は消えないのだ。



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