「お前か」
俺の顔を見て、上忍待機所に後から入って来たアスマは言った。
その時、待機所にいたのは俺とアスマだけだ。
暗部を辞めてからアスマには何度も会ったし話もした。が、こんな風に二人きりになったのは多分、初めてだ。
アスマはカップにコーヒーを注ぎ、俺の斜め向かいのやや離れた位置に腰を降ろし、煙草に火を点けた。
「……昨日、イルカ先生に会ったよ」
「…イルカに?」
俺の言葉に、アスマは何気なさそうに聞き返した。が、奴が幽かに緊張したのは判った。
「俺の事……綺麗に忘れてた」
「……ああ……。そうだろうな」
紫煙を吐き出して、アスマは言った。





(6)


それから暫くは、平穏な日々が続いた。地中にはマグマを抱えているが表面には熱の気配も感じられない__そんな静けさだった。
尤も、毎日のように敵を殺し仲間が負傷する、そんな日常を平穏と呼べるのかどうかは別だが。
カカシとアスマは時折、顔を合わせたが、必要最低限の言葉しか交わさなかった。
アスマは何か言いたげにカカシを見る時もあったが、カカシは気づかない振りをした。
イルカはカカシに求められるままに毎夜をカカシの部屋で過ごし、カカシの望むままに身体を開いた。
カカシに再び里外の任務が言い渡されたのは、イルカが再びカカシに笑顔を見せるようになった頃だった。
予想される期間は3週間。
カカシは任務を拒否したが、聞き入れられる筈も無かった。

「…どうかしたんですか?」
その夜、いつものようにカカシの部屋を訪れたイルカは、カカシの様子がいつもと違うのに気づいて言った。
「……イルカさん、俺のこと、好き?」
「好きですよ」
躊躇いも無く、軽く微笑ってイルカは答えた。
「アスマの事も、まだ好きなの?」
「…それは……」
イルカの顔から、笑みが消える。
カカシはイルカの手を取った。
「俺の事が好きなら__少しでも俺の事を想ってくれてるなら__一つだけ、俺の頼みを聞いて」
「何か…あったんですか?」
「さっき、次の任務を言い渡された。3週間、アナタの側にいられなくなる」
カカシの言葉に、イルカの表情が曇る。
「でも任務が終わったら、俺は必ずアナタの許に帰って来る。だから……俺を待っているって約束して」
「……カカシさん…」
「アスマには会わないで。話もするななんて言わない。でも、あいつの部屋に行くのは止めて」
イルカは、視線を落とした。
「……以前から思っていたんですけど、俺は…あなたに相応しくありません」
「イルカさん…!」
心臓を引き裂かれるような痛みを覚えながら、カカシは相手の腕を掴んだ。
「俺を嫌わないで。お願いだから、俺から離れて行かないで。アナタと別れるくらいだったら俺は……」
カカシは途中で言葉を切った。
喉が締め付けられるように苦しくて、思うように言葉が続かない。
「だったら……アナタがどうしてもって言うなら、アスマと会っても構わない。この前みたいにアナタを監視させたりもしない。何があって、アナタもアスマも責めない。だからせめて……」

祈るような気持ちで、カカシは続けた。
神の存在など信じないけれど、それでも祈りたかった。

「だからせめて……俺が帰るのを待っていて。俺が帰って来たら、俺の許に戻って」
イルカは暫く黙ったまま、俯いていた。
やがて顔をあげ、カカシを見る。
「…そんな事をすればあなたを苦しめてしまいます。俺は……あなたを苦しませたくはありません」
「……イルカさん…」
イルカは僅かに躊躇い、それから改めてカカシを見た。
「あなたの帰りを待っています。アスマさんには会いません」
「……本当に……?」
「はい。約束します」
言い切らないうちに強く抱きしめられて、イルカは息を呑んだ。
「本当に、約束してくれるね?」
「はい」
「良かった……」
溜息と共に、カカシは言った。
「アナタが俺を待ってるって言ってくれなかったら、アナタを連れて里抜けしようと思ってたんだ」
「カカシさん、何て事を……!」
「ごめんね?でもそうなっても、アナタに苦労はさせないから」
イルカはとんでもないと言わんばかりに首を横に振った。
「あなたは自分が里に取ってどれだけ重要なのか、判っているんですか?」
「判ってる。でも里が俺を必要とするのは、優秀な道具としてだけ。所詮はただの頭数に過ぎない」
でも、と、カカシは続けた。
「アナタは俺にとってただ一人の、かけがいのない大切な人なんだよ。誰も、代わりになんかなれない」
「カカシさん…。そんなに……」
「アナタが好きだよ。誰よりも、何よりも。言葉で言い尽くせないくらい、愛してる…」
幽かに黒い瞳を潤ませた恋人を、カカシはしっかりと抱きしめた。





任務は予定以上に長引き、カカシがイルカの許に戻ったのは一ヶ月後の事だった。
逸る気持ちを抑える事もできず、カカシは宿舎の自室に駆け戻った。
そこで、イルカがカカシの帰りを待っている筈だ。
引き戸の向こうにイルカの気配を感じ取り、カカシの口元が綻ぶ。
「イルカさん、ただいま…!」
勢い良く引き戸を開けたカカシが見たのは、血溜まりの中に倒れ伏すイルカの姿だった。


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