「教師という職業はアナタに合っているみたいですね」
俺が言うと、あの人は嬉しそうに「そうですか」と答えた。
「以前より、ずっと活き活きしてるように見えますよ」
「以前…ですか?」
あの人は怪訝そうに眉を顰めた。俺たちは居酒屋に来ていて、周囲が騒がしい。
「あの……以前、お会いした事がありましたか?」
その言葉に、俺は打ちのめされた。






(4)


宿舎の誰もいない部屋に戻って、アスマは吐きそうになったなった溜息を噛み殺した。
イルカがこの部屋を訪れる事はもう、無いのだ。そう思うと、部屋の中が酷く殺伐としているように感じる。
煙草に火を点けて、アスマは苦笑した。
元々、暗部の宿舎に潤いのあろう筈も無いのだ。中忍と違って上忍には個室が与えられるが、必要最低限の品しか持ち込んでない事に変わりはない。
すなわち、武器、巻物、暗部の装束と、面。
あるのは任務に必要な物だけ。個人的な思いの入った品は、一切、無い。
忍が任務を果たすための道具に過ぎない事は以前から判っていたし、覚悟もしていた。が、暗部に入って『人間らしい』生活から離れると、それが一層、身に染みる。

イルカは、こんなところに来るべきではなかったのだ。

イルカが何故、暗部配属を希望したか、アスマは伯父である三代目火影から聞かされていた。『イルカの事を頼む』と三代目に言われた時、厄介ごとを押し付けられたと思った。が、イルカに初めて会った時に、アスマの考えはすぐに変わった。
三代目はアスマとイルカの仲を知るとこっぴどくアスマを叱ったが、二人を引き離そうとはしなかった。暗部にいてイルカが手つかずのままでいられる筈も無く、タチの悪い輩の餌食になるくらいなら、アスマの庇護下に置くほうがマシだと思ったのだろう。
「カカシの野郎に寝取られたなんて知られたら、ジジイに何て言われる事やら…」
紫煙を吐いて、アスマはぼやいた。
カカシが力ずく権力ずくでイルカをモノにしたのだったら、自分の生命に代えてでもイルカを取り戻しただろう。だがイルカは、自分の意志でカカシを選んだのだ。
無論、嫉妬は感じる。それも激しく。
どうせカカシの事だ。すぐに飽きてイルカを棄てるだろうから、そう気落ちするなと仲間の一人に言われ、危うく相手を殴るところだった。
それどころか数日前、一緒の任務に就いた時に、チャクラ切れで弱っているカカシを始末してしまおうかと思った程だ__尤も、その時にはアスマも消耗が激しくて、仲間を闇討ちにするだけの力は残っていなかったが。

「…アスマさん…?」
引き戸の外から掛けられた声に、アスマはやや驚いた。声を掛けられる前から気配で気づいていたが、それでもまさか、と思ったのだ。
「…入っても良いですか?」
控えめな問いを無視する訳にもいかず、アスマは引き戸を開けると、イルカを自室に招き入れた。
「……済みません、こんな時間に……」
アスマは夜半にかけての任務を終えて戻ったところだった。
時刻は明け方だ。
「…どうしたんだ?」
こんな時間にイルカが訪ねて来る理由は一つだけだと思いながら、アスマは訊いた。
案の定、イルカは酷く憔悴して見えた。
「……血の匂いが取れないんです。何度も何度も洗ったのに」
ほら、とでも言うように、イルカは手の平を上にしてアスマに両手を見せた。手袋をつけていないので、手首の傷痕がはっきりと見て取れる。
「…血の匂いなんかしねぇぜ?」
イルカの手を取って鼻に近づけ、宥めるようにアスマは言った。
アスマが初めてイルカを抱いた夜にも、イルカは同じ事を言っていた。
そして、こういう夜にイルカを一人にしておくのは危険だと、アスマには判っていた。
「今日は、同室の連中はどうした」
「一人は里外の任務で、もう一人は『野暮用』だと言って出かけました」
カカシも4、5日前から里外の任務に就いている。確か、帰還は2週間後の予定だ。碌に休みもよこさないで人使いが荒いと、カカシにしては珍しくぼやいていたらしい。
「……なあ、イルカ。こんな事は言いたくないが、お前が俺の部屋に来てたって事がカカシの耳に入ったら……」
「……アスマさん?」
俯き加減に、イルカは言った。
「俺をカカシさんに譲るって、そう仰ったそうですね」
本当ですか?__問われて、アスマは渋々頷いた。
「そうとでも言わなきゃ、奴がお前に何をするか判らなかったからな」
「……俺の為だと…仰るんですか?」
イルカの言葉に、アスマはすぐには答えられなかった。カカシを好きだと言ったのは、他ならぬイルカなのだ。
「…カカシの奴、お前に何か酷いことをしたり言ったりしたのか?」
「いいえ」
躊躇いもせず、イルカは答えた。
「カカシさんはいつも優しくしてくれます。でも……」
「でも…?」
「でも……もう、帰って来ないかも知れません……」
アスマは煙草の灰が落ちるのも構わずにイルカを見つめた。
それから、深く溜息を吐いた。

確かに今、カカシが就いているのは危険な任務だが、カカシは今までにもそういった任務を数え切れないくらい、こなして来ている。だから大丈夫だ、などと言えないのは確かだが、特別に悲観する必要も無い。
が、そんな事をイルカに言っても何の慰めにもならないのは判っている。
問題なのは、カカシが今、ここにいないという事だけなのだ。

「あの…今夜、泊めて頂いても良いですか?」
部屋の隅で構いませんからと、控えめな態度でイルカは言った。
そんな訳にもいくめぇと、内心でアスマは思った。側に誰かいればそれだけで少しは安心出来るのだろうが、それだけでは『血の匂い』は消えまい。
何より、ここ暫く触れる事を許されなかった愛しい想い人の頼りなげな姿を目の前にして、心が動かないほど枯れてはいない。
「……面倒くせぇ事になっちまいそうだぜ」
「…アスマさん、あの…」
「良いからこっちに来い」
アスマはイルカの手首を掴み、強く引き寄せた。
「待って下さい。俺は__」
抗議の言葉を深い口づけで遮り、そのまま褥の上に押し倒す。
形ばかりの抵抗はすぐに止み、アスマは灯りを消した。



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