「アカデミーの先生…ですか」
「はい」
言って、あの人は屈託無く笑った。
それが偽りでないのなら、教師という職業があの人に合っているのだろう。
「良かったら…この後、飲みにでも行きませんか?アナタの仕事が終わった頃に、迎えに来ますから」
俺の言葉にあの人は一瞬だけ躊躇い、それから、「喜んで」と答えた。





(3)


「カカシさん……」
任務の後、宿舎に戻ろうとしていたイルカは突然、目の前に現れた相手に身を強張らせた。
イルカの緊張を解こうとして、カカシは笑った。
「そんなに怖がらないでよ。アスマとは話をつけたから」
「話をつけたって……」
「アスマに『お願い』してアンタを譲ってもらったんだ。だからアンタは、今日から俺だけのモノ」
言って抱き寄せようとした手を、イルカは振り払った。
「譲るとかモノだとか、そんな言い方は止めて下さい。俺は…品物じゃないんです」
「そんなのただの言葉の綾でしょ?ねえ…この前、強く言ったから拗ねてんの?」
逃れようとするイルカを追い詰め、カカシは言った。
抗おうとするイルカの両手首を片手で易々と押さえつけ、まだ少年らしさの残る身体を木の幹に押し付ける。
「俺はやっぱりアンタが好きなんだ。アンタもまだ俺のこと好きでしょ?」
首筋に唇を這わせ、空いている手で身体を弄ると、イルカは身を捩って抵抗した。
「止めて下さい。こんな…こんな所で……」
「何人もの男を手玉に取る淫乱の癖に、外でヤルのが厭な訳ないでしょーが」
「あなたは俺を…そんな風に思ってるんですか?」
キッと相手を睨みつけ、それからイルカは悔しげに唇を噛んだ。
抵抗していた身体から、力が抜ける。
「…あなたが俺を欲求処理の道具としか見ていないなら、好きなようにすれば良い。どうせ抵抗したって無駄なんですから…」
「……イルカさん?ねえ、怒ったの?」
イルカの手を離し、カカシは相手の顔を覗き込むようにして見た。
イルカは唇をきつく噛み締めたまま、視線を逸らす。
「言い過ぎたよ。ゴメン、謝るから……ね?機嫌、直して」
「……あなたは…アスマさんに何をしたんですか?」
「アナタを譲ってって頼んだだけだよ。ヤツには指一本、触れていない」
「それで…アスマさんは俺をあなたに譲るって言ったんですか?」
イルカの言葉に、カカシは頷いた。
それでイルカは納得してくれるものだと思っていた。
まさかそこで、イルカが涙を見せるとは、思ってもいなかった。
「……イルカさん……?」
狼狽するカカシから離れ、イルカは相手に背を向けた。
幽かに震えるその肩を、カカシは背後から抱きしめた。
「アスマの事なんかもう、忘れて。俺が、誰よりもアナタを愛するから」
「……俺は……」
「部屋に行こう。ね…?」
宥めるように言って、カカシは相手を抱き上げた。





気を失うようにして眠ってしまったイルカを抱きしめていても、カカシの気持ち満たされなかった。
イルカの見せた涙が、鋭い棘のように心に突き刺さって抜けない。
イルカは確かに、アスマを愛しているのだ。
「俺のこともアスマの事も好きだなんて、理解できないよ…」
腕の中の相手の髪を撫でながら、カカシはぼやいた。

整った顔立ちの上、若くして暗部に入ったカカシは男女を問わず、暗部の先輩たちから言い寄られた。
カカシは年齢に似合わぬ狡猾さで自分の利益になる相手を選び、彼らから術を習得したり、暗部内で便宜を図ってもらったり、身を護る盾とした。
同時に何人かを相手にする時もあった。そのせいで淫乱と罵られることもあったが、気に留めなかった。逆上した相手から誰か一人に決めろと詰め寄られたこともあったが、巧妙に態度を使い分けてあしらった。
そんな自分を恥じた事はない。

羞恥心だとか罪悪感だとか或いはプライドだとか、そんなモノはとっくに棄てた。何の役にも立たない上に、厄介ごとをもたらすだけだから。
四代目が亡くなってから、心から笑うことも無くなった。元々『笑う』事を教えてくれたのは四代目だ。そして四代目の死と共に、四代目の与えてくれたものはあらかた失った。
オビトが死んだ時に、仲間を思う気持ちも一緒に死んだ。
任務は任務だから作戦は遂行させる。その為の人員は必要だ。流石の『写輪眼のカカシ』でも、単独でこなせる任務は多くない。だから他の忍も必要になる。それだけの事だ。所詮はただの頭数。
そんな風にしか思えない自分を、恥じたことは無い。

初めてイルカに引き合わされた時、思ったのは、『どうやって潰してやろうか』だった。
歳若い中忍で暗部に送り込まれてくる連中は、例外なく天狗になっている。エリート集団である暗部へ配属されたのは、自分の実力が認められたからで、すぐにでも上忍になれるのだと思い込んでいるのが常だ。
そういう連中を潰すのを、カカシは面白がっていた。いい暇つぶしになるのだ。
時折、やりすぎだと隊長に窘められることもあるが、そんな事は構わなかった。
潰す積りで、カカシは自分の配下に入ったイルカの配置を決めた。
だからイルカがその任務で大怪我を負った時も、当然の結果だと思った。動けなくなったイルカをかついで医療塔に連れて行ってやったのも、思ったより負傷が酷く、放っておけば死んでしまうからというだけの理由だった。
それなのに、イルカはカカシを命の恩人だといって感謝した。
こういう時には命令ミスだとカカシを罵る生意気なガキもいるというのに、イルカは自分が至らないせいでカカシに迷惑をかけたと恐縮していた。余りに思いがけない反応だったので、つい優しい言葉をかけたら感動された。
イルカはとても暗部に配属されるに相応しいとは思えないほど、純真で真面目だった。その初心な表情や無垢な言葉が酷く新鮮に思えて、単なる好奇心からカカシは毎日、イルカを見舞った。



イルカの怪我が治った時に、カカシはイルカの身体を求めた。
カカシに取ってイルカは珍しい玩具のようなものだった。そろそろ飽きて来たので一度抱いて、それで棄てる積りだった。抵抗されると面倒なので、『好き』だと言ってやった。
心にもない言葉を、イルカは簡単に信じた。
初めてでないのはすぐに判って、何だか騙された気分だった。尤も、その分面倒な手間が省けて思ったより楽しめた。
すぐに棄てるには惜しい玩具だと思った。それで、関係を重ねた。
何故、イルカが暗部に配属されたのか興味を覚え、探りをいれた。すると、イルカが三代目のお気に入りである事が判った。それが一層、カカシの興味をそそった。

関係が続くうちにイルカも打ち解けてきて、よく笑顔を見せるようになった。
殺戮を伴う任務の後でも、イルカと会うと気持ちが和んだ。欲情も感じるが、それはガツガツした衝動的なものではなく、甘く優しくさえあった。それまでなら情事の後には相手の顔も見たくなくなるのに、イルカとは朝まで抱き合って眠った。
これが『恋』というものなのだろうと、カカシは思った。
初めての経験だった。



「……教えてよ、イルカさん。アンタ……本当に俺が好きなの……?」
黒絹のような髪に指を絡め、囁くようにカカシは言った。
胸が、苦しかった。



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