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「――師匠……?」
オラトリオは、耳を疑った。コードから電話が掛かって来る事など、2度と無いと思っていた。謝りたいとは思っていたが、自分から電話するのさえ気が引けた。
『今すぐ来い』
二人が何度か待ち合わせに使った事のある喫茶店を指定すると、短くコードは言った。怒っているのは明らかだった。
「…っと待って下さい。今すぐって言われても――」
『1時ジャストだ。1分でも遅れたら承知せんぞ』
乱暴に、電話が切れた。オラトリオは手の中の小さな機械を見つめ、軽く前髪をかき上げた。そして、溜息を吐く。
2日前、コードはオラクルの部屋に行った筈だった――オラトリオの電話におびき出されて。
そこで何があったのかは判らない――考えたくない。が、コードがそう易々とオラクルの言いなりになったとは思えない。
意外に、誰とでも寝るんだな、コードは
オラクルの言葉が、冷めた口調と共に脳裏に蘇る。
その言葉を信じたくはない。が、それほど意外でも無かった。
裏切ったのは自分の方。コードが腹いせにオラクルに乗り換えても、非難する権利は無い。
それにしても、コードから呼び出されるなどと思っていなかった。コードがどんな積もりなのか、自分に何を求めているのか判らない。
オラトリオはスケジュールをチェックし、待ち合わせ場所までの時間を頭の中で計算した。
そして思った。
いずれにしろ、償いはしなければならない…と。
だがそれが、あんな形で現れるなどと、この時のオラトリオは知る由(よし)も無かった。
10分前に店に着いたオラトリオは、時間通りにコードが姿を現すのを見た。
「貴様、オラクルの部屋の合鍵を持っているな」
オラトリオの向かいに座るなり、何の前置きも無く、コードは言った。
「……持ってますが、それが――」
「今も持っているな?」
オラトリオは頷いた。家の鍵も車の鍵も、鍵は全てまとめて外出する時には持ち歩いている――そう、いつかコードに話した事を思い出しながら。
「だったら、今から俺様と一緒にオラクルの部屋に行くぞ――写真を探しに…な」
「写真?」
鸚鵡返しに、オラトリオは言った。何の事かと尋ねるオラトリオに、コードは酷く不機嫌そうに眉を顰めた。そして、睡眠薬で眠らされている間にオラクルに写真を撮られた事、言いなりにならなければ、その写真を家族に送ると脅されている事を話した。
「――まさ…か。オラクルがそんな事を――」
「何がまさか…だ」
思わず声を荒げ、周囲を気遣って再び声のトーンを落とし、コードは続けた。
「貴様にあんな電話をかけさせ、俺様をおびき出させたのはオラクルだろう。そもそもあの最初の日だって、オラクルが仕組んだに違いない」
「俺に急な仕事の打ち合わせが入った時の話ですか?あれは本当に仕事の打ち合わせで――」
「貴様もグルなのか」
相手の言葉を遮って、コードは言った。
「貴様も従兄弟と一緒になって、俺様を嬲り者にする気か?」
オラトリオは、首を横に振った。
「だったら協力しろ」
言って、コードは席を立った。
オラクルの部屋はいつ来ても整理されていた。きちんと片付いていると言うより、生活の匂いがしない。冷蔵庫を開けてもまともな食べ物が入っている事は希だ。
デジタルカメラがすぐに見つかり、コードはその中身をチェックしてからPCを立ち上げた。その間に、オラトリオはクローゼットの中を探した。
古いカメラが見つかったが、フィルムも入っていなければ、最近、使った形跡も無い。
アルバムの1冊も無い事に、オラトリオは気付いていた。
ずっと以前――まだオラクルの両親が生きていた頃――この家に来た時には、家族の写真があちこちに飾ってあった。オラクルとオラトリオ、二人で撮った写真も沢山あった。
それがなくなったのは、オラクルの両親が事故死してからだ。
両親を思い出すのが辛いから、どこかにしまったのだろうと、その時、オラトリオは思っていた。
けれども、何処にも無かった――1冊のアルバムも、1枚の写真も。
きっと棄ててしまったのだろう。或いは焼いてしまったか。
形見の品も、思い出のよすがも、何もかも全てを。
その時、オラクルはどんな気持ちだったのだろう……
「何か見つかったか?」
苛立たしげなコードの声に、オラトリオは振り向いた。そして、首を横に振る。
「デジカメのデータならすぐに見つけられると思ったが……ネガなんぞ、隠そうと思えば何処にでも隠せる」
「……本当にあるんすかね、そんな写真」
「俺様を疑う気か?」
掴みかからんばかりに怒りを露にした相手を、そうじゃないと、オラトリオは宥めた。
「オラクルは、その写真をあんたに見せたんですか?そうでなきゃ、はったりって事も考えられるでしょう」
「……脅迫されているのは貴様では無いからな」
オラトリオは、憤りにぎり、と歯を喰い縛るかつての恋人を見遣った。
オラクルが本気でコードを脅したとは、矢張り思えない。もし写真を撮ったのが本当だとしても、それをコードの家族に送りつけるだろうとは、とても考えられなかった。
「――その…一昨日の事…なんすけどね」
なるべくコードの神経に障らないよう、穏やかにオラトリオは言った。
「オラクルはあんたに、何か――酷い事をしたんですか」
「そのまま帰ったに決まってるだろう!」
オラトリオは軽く眉を上げた。
コードは写真をたてにオラクルに脅迫されたと言っているが、結局、実害は無かったのだ。問題の写真も送られてはいない――少なくとも、未だ。
「……脅迫を受けている側から見たら、どんな脅迫も酷く悪質なのは判りますが――あいつが本気であんたを脅す積もりだったとは、俺には思えないんですけどね」
「…貴様――」
「一昨日だって、何もされずに帰れたんでしょう?ちょっと引き留めたくて言っただけじゃないんですか?」
コードは、驚きと共にオラトリオを見つめた。ここでも自分は迂闊な道化だったのかと、口惜しさに拳を握りしめる。
「貴様…やはり、あの出来損ないの人形とグルか」
「――人形…?」
「人間らしい心も感情も持たない人形だろう。怒りも泣きもしない。ただ薄っぺらな笑顔を貼り付けて、人の心を平気で踏みにじるような奴だ」
コードの言葉に、オラトリオは胃を掴まれたように感じた。
確かに、オラクルが怒った姿も、泣いたところも見たことが無い。
両親――養父母――が亡くなった時にも、不思議なほど落ち着いて見えた。
だが、だからと言って……
「――あんた、まさか」
改めて相手を見、オラトリオは言った。
「そんな酷いことを、あいつに言ったんじゃ無いでしょうね」
「酷い――だと…?」
コードは、裏切られた思いで、かつての恋人――と言うより、そう思い込んでいた相手――の顔を見つめた。
私がオラトリオを脅す理由なんて、どこにも無い
オラクルの言葉は正しかったのだ。オラトリオはオラクルに脅迫されている訳でも弱みを握られている訳でも無い。
ただ、自ら弱みを曝け出しているだけだ――恋という名の。
「あんたには色々、迷惑をかけちまったし、済まないとも思っている」
それでも、と、静かにオラトリオは続けた。
「あんたがオラクルを傷つけたんなら――」
俺はあんたを赦せない
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